ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

コロナの奴め!

2021年02月24日 | 俳句

 今日は、私の正真正銘の歳の誕生日なんですよ!(^0^)でもお目出度くはないですから~ほっといて下さいね!アハハ…しかし、それではちょっと淋しいから自分で小さなでも買って自祝しよう…

 そういえば去年は主人と友人夫婦と4人で石垣島へ出掛け、私の誕生日と友人夫婦のダイヤモンド婚を祝ったんだっけ。それなのにその大事な晩餐の時私は足を骨折したりして…大変な旅行だったんだ。あれはコロナが広がる前だったけど、こんな時期にのんびりと旅行に出掛けるなんてと…やっぱり罰が当たったんでしょうかね。

 さて、昨日は天皇誕生日。なのでどこもお休みでしたが、O教室の句会の日でしたから午後から出掛けました。この教室のお世話をしてくれているFさんが23日、私が24日と…2人の誕生日でしたので、S夫妻からお祝のお菓子の差し入れがありました。(*^-^*)ございま~す!美味しかったですよ。

 …と、和やかな雰囲気で始まろうとした時に、私がついMさんに〝ところで、お母さんは大丈夫?〟と聞いたんですよ。すると、急に彼女が飛んできて、これと、句を指さしたんです。そして泣きそうな顔をしたので、みんなビックリ。

 実は先月の彼女の句稿にお母さんがコロナに罹ったことを詠んだ句がありましたので、それで心配で聞いたんですが…。見ると、今回出した彼女の句稿に、〈テレビに死者1てふは母凍(いて)返る〉や〈骨帰宅水仙の香に迎へたり〉の句がありました。そして、それには次のようなコメントも…

 〝2月2日の朝、母が逝ったとの連絡。一年以上も会えぬままでした。テレビに映し出された死者1名という画面が残酷でした〟と。また、〝お骨になって戻ってきた母のために庭中の水仙を切って飾りました〟とも。もう涙が出るでしょう?何を言ったらいいのか、咄嗟に慰める言葉も出なくって…しばらくは呆然としていました。やっと、気持ちを取り戻していろいろ話を聞いてみると…

 施設に入っておられたのは以前から聞いていましたが、まさか今回宇部のクラスターが発生したあの扶老会病院だったとは…。96歳だったお母様は陽性になるとあっと言う間に1週間ほどで亡くなられたんだそうです。それも事後報告でなんて…。そんなこととはつゆ知らず…ゴメンナサイね。

 それにしてもこんなに身近でコロナの恐怖を感じるなんて…全くいいようがありません。だって死に目に会えないどころか葬儀も骨拾いもできず、ただ骨壺だけをいただくなんて…。それがよりにもよって一番別れがたいお母さんなんですよ。こんな別れ方って辛すぎると思いませんか。

 あの志村けんさんや岡江久美子さんのことを思い出してしまいました。そういえばもうすぐ一周忌が来るんですね。そうそう、義姉の一周忌もこの3月13日に行うと言ってきましたもの。あの頃は散々でした。足にはギブスをはめて、大分まで葬儀へ行きました。もし、義姉がコロナだったとしたらと考えるとゾッとしますが…

 ところで、Mさんは今家にお母さんの骨壺を祀って冥福を祈っていますと。思い返せば、去年の誕生日も会えず、差し入れだけを職員の方に預けて帰ったと。コロナがまだ騒がれていなかった頃、一緒にあちらこちらへ連れて行ったのが、顔を見た最後だったと…。その時はまさかこんな事が起ろうとは誰も予測できなかったんですものね。

 彼女は根が明るくってとってもさっぱりした人なので、句会では気丈に笑っていましたが、本当は辛かったんではと思います。だって、母親というものはどんな状態になっても、生きているというだけで違うものでしょう。心の拠り所になりますもの。言うにいえない耐えがたいものがあるに違いありません。でもそのやるせない辛い気持ちを、是非俳句にぶっつけて詠んでほしい。たくさん詠めば詠むほど、少しは気が軽くなるはず…、ガンバレ!ガンバレ!Mさん!

 コロナはまっこと罹った人や家族には残酷なものですね。クヤシイ!ホントに、コロナの奴め!

 句会の兼題は〝下萌〟でした。これは2021年2月6日のブログ「兼題の〝下萌(したもえ)〟を探して!」に書いていますので、よろしかったらそれを見て下さいね。

 写真は、今日の綺麗な夕日。私の誕生日にちなんで…アアッ、去年石垣島で骨折したのもこの日の夕日が綺麗で、それを撮ろうとしていた時だったわ。こりゃ、イケン、イケン!

コメント (12)
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