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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

男女論

2018-08-19 16:29:26 | 読んだ本
山崎浩一 1993年 紀伊國屋書店
『愛しあってるかい』(1981年)の編集・制作をしてたということを知って、気になっている山崎浩一さんの本、ことし5月に古本まつりで見っけた。
おもに1989年から1992年くらいにかけて、雑誌とかに書かれたエッセイの、男性・女性の関係についてとりあげたのを集めたもの。
その時代は、
>「女たちの意識はススんだけれど男たちの意識はオクれてる」「女たちは元気がいいけれど男たちは元気がない」といった類いの言説を、80年代からのこかた耳にタコができるほど聞かされ続けてきた。(p.235「あとがき」)
というような状況。俺も若者として同時代を生きてたはずだけど、あんまりおぼえてないなあ。
1983年のアンアンのクリスマス特集から女性主導の恋愛ストーリーが始まったというのは、日本史の常識ではあるが、90年代に入るとそのテのイメージの情報が出まわって、パターンが確立されていた、と思う。
>ぼくたちの意識の中には、恋愛とは「私の恋愛」である以前に「~のような恋愛」の集積イメージとして刷り込まれる。恋愛はもはやこの国では個人的な体験などではなく、集団的な幻視なのだ。(略)
>こんな情報資本主義的恋愛環境の中で、だれかが「ああ、恋愛したい」と言う時、その恋愛はすでに特定の、そして既成の物語にすり代わっている。いまや恋愛とは、好みの物語を選択し、それと同化するということと同義なのだ。その物語に合致しない場合は「こんなの本当の恋愛じゃない」ということになり(略)
>恋愛が市場の中で消費できるモノでありモノ語りである限り、それは完成品でなければならない。(略)「未完成品を愛し、それをなんとか自分で完成させる」などという奇特な発想は、もはやこの市場からは消滅しているから。けれど元来、恋愛とはそんな奇特な発想の方に属するものだったはずなのだ。(p.36「エロトマニアの王国」)
なんて言われると、うん、たしかに世の中そんな感じだ、という気はする。
同じようなことは別の章で、結婚相手に不満な女性たちに対して、
>そして、結婚適齢期の男に一方的に「完成品」を求めることが、もはやないものねだりの幻想以外の何物でもないことは、肝に銘じておくべきだろう。そもそも結婚などというものは、元来「未完成品」同士が生活を共にしながら成長するためのプロセスでしかない。「そんなのイヤ、あたしはあたしを幸福にしてくれる完成品が欲しいの!」というあなたは、それなりの激烈な長期戦を覚悟すべきだろう。(p.90「マザコン男に不平不満を言う前に」)
なんて言ってます、まあ、そうでしょう。
恋愛論なんかよりも、私が読んでおもしろいと思ったのは、ドラマとかの登場人物の男女の構成の話。
70年代の小説やマンガや映画やテレビドラマでは、主人公たちのグループには女性がひとり、紅一点ってのが基本パターンだったと。
これは、
>一言でいってしまえば、おそらく当時の女という性(セクシュアリティ/ジェンダーともに)の社会的(パブリック)イメージは、たったひとりに代表させることができるほど画一的なものだったのだ。(p.58-59「トレンディドラマにみる《黒一点の時代》」)
という理由によるものだという。
で、紅一点だった『宇宙戦艦ヤマト』から、男女同数になった『機動戦士ガンダム』の時代を経て、90年代には主要登場人物のなかに男がひとりだけの恋愛ドラマができるとか、逆転が起きたと。
>これはつまり、いまや女性性のステレオタイプが崩壊し、イメージが多様化したのに対し、逆に男性(特に若い男性)のそれはたったひとりによって演じられてしまえるほど画一的なものになっているということではないだろうか。つまり「男はみんなおんなじよ」なのだ。(p.59-60同)
ということで、女性の意識が多様化する一方で、男性の意識は画一化してて、女は「イイ男がいない」と、男は「女は男にどうなってほしいのか、わからない」と、すれ違いが起きて、恋愛市場がおかしくなるのではないか、っつー話なんだが、いいとこ突いてる感じがする。
まあ、そうやって、いろんな現象にスポットあてて解説してくれるとこが独特のおもしろさなんだが、
>いやまあ、意味を探そうと思えばいくらでも探せるけどね。それがぼくの仕事みたいなもんだから(笑)(p.151「ボディコンと「超大国の戦略核兵器」との関係」)
なんて、こういう議論は遊びにすぎないかもしれないけどさぁ、みたいにわかってて書いてるとこがクールだなあと思う。
章立ては以下のとおり。
I 反・恋愛論
II いまどきの女・いまどきの男
III 美とエロスのデスマッチ
IV ポスト・フェミニズムの光と影
V 男と女の未来学

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