丸谷才一 昭和52年 新潮社
これは、おととしの秋に、丸谷才一を集めたくなって、いくつかまとめて買ったときの古本、最近になってやっと読んだ。
困ったもんだね、手に入れてしまうと安心して読まないようでは、読者ではなくコレクターになってしまう。
カバー表紙の絵が、なんか丸谷才一ものっぽくないんだけど、おなじみの和田誠ではなく装幀は池田満寿夫となってました。
なかみは、わりと短めのものが多い随筆集。
最初の章の「低空飛行」は、『小説現代』1976年に連載されていたもの。
だから、ロッキード事件とか、そういうなつかしい言葉がでてくる、そんな時代を映してる。
(どうでもいいけど、こないだ『バイス』って映画みて、日本でもなんか政治のアブナイ話を映画にできないのかねって考えたとき、私が思い浮かべたのはロッキード事件だった。)
それにしても、いまや2020年だというのに、1970年代のもの読んでるのがけっこうおもしろかったりするんで、私の文学に関する趣味はそこらへんで停まっちゃってんだろう。
そういやあ、小説だけぢゃなくて、映画とかテレビドラマとかでも、“ケータイがない”時代のものがたりのほうが、私には妙にしっくり来るようなこと自覚してるし。
閑話休題。
第二章の「自伝の材料」は、タイトルのとおり、自身のことを書いたもの、60年代後半からのあちこち違った媒体に載せたものを集めてきた感じ。
つぎの「肖像画集」は、逆に他人の肖像、他人ったってもちろん親しい知り合いに決まってるが、誰々さんのことって感じでエピソードをつづったもの、文庫の解説とか全集の付録とかが含まれるのもうなずける。
第四章の「ちよつと文学的」は、また長短いろいろ混ざった随筆。
第五章の「田村隆一との付合」は、私はこれまでもほかの著書で多く名前を目にした田村さんとの「友だちづきあい」のことだろうと思ったんだが、よくみると振り仮名が「つけあひ」。
付け合いってのは、連句をやってって、相手の句に、五七五のあとに続く七七をとか、付けてくことを指すらしく。
なかみは、読売新聞1976年5月10日から6月5日まで交互に二人が書いてった連載コラムのようで、前日の相手の内容を受けて次の日に間に合うように書くのは忙しかったんぢゃないかという気もするが、まあ、このくらいはちょちょいのちょいなのかも。
最後の「おしまひのページで」は、このタイトルなら書き下ろしかと思ったら、そうぢゃなくて、『オール読物』が初出。
単行本で一篇が2ページと短いのでコラムみたいだけど、12本あるから一年連載分かと思いきや、1969年から1976年にわたっていて、不定期に書いたものなのか、それとも随筆集に採用されずに残っていたりしたものなのかは謎。
コンテンツは以下のとおり。
I 低空飛行
勅語づくし
酒の肴
兵隊の位
街と料理屋
終り方が大切
野坂昭如は確信犯なりや
小佐野さんのムームー
金の怨み
新聞の値段
最上のもの
ゴキブリの言葉
男の運勢
II 自伝の材料
丸やギ左衛門のこと
子供ごころ
あの年の夏
夢判断
先生であること 1
先生であること 2
天井が落ちた話
その夜のこと
前頭五枚目
忘れられない味
III 肖像画集
画家としての福永武彦
委細面談
大野さんのこと
宗匠
菊池武一
郷愁
百メートル十一秒の花嫁
友よ熱き頬よせよ
変形譚
相撲評論家としての吉田秀和
中野桃園町
彼の釣魚大全
友達の本
山本森康
田辺さんの戦争体験
兵士の勇気
先輩
ドナルド・キーン
独断的平野謙論
IV ちよつと文学的
ゴシップに強くなる法
薬の名前
一冊の本
一戒
二次的文学
七月七日のこと
雪の空
V 田村隆一との付合
最初の東京/最初の京都
散歩/走る
曳く・押す/「人間」
小堀さんから聞いた話/居酒屋
詩話/白昼夢
学長の夢/寝室
ユトリロのダブリン/カンパチ
微笑/おまつり
空豆/ドナリー
書評者としての文学者/イミテイション
和田誠/珍竹林
あぢさゐ/つゆのあとさき
VI おしまひのページで
さよならは日本語
遊べや
十貫坂にて
先生の前
旅の心得
アメリカのウォッカ
神様になる
賭け
挨拶の句
出世魚考
博物誌
難問