鎌倉徒然草

鎌倉に住んで25年。四季折々の自然を楽しみながら、オリジナルの和雑貨の企画、製造、販売を展開しています。

朝の声

2021年04月20日 | 日記
朝ぼらけ。

小鳥たちが目を覚ます。にぎやかなおしゃべりが始まる。

5時、横須賀線の始発の電車が通りすぎる。

乗客はまだ少ないので軽やかな音で。

お隣の、早起きさんが雨戸をあけている。

私は布団の中で、天窓から見える空の色をしばらくを楽しむ。

「もうひと寝入り・・・」ムニュムニュ、

浅い眠りの中、今日の仕事の夢を見る、イヤダ、夢の中で仕事したくないのに。起きろということでしょうか。

少し早いけど散歩に出よう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

椿の庭 その2

2021年04月19日 | 日記

富司純子さんという女優さんが好きで、たくさんの映画を見てきた。

しかし、代表作といわれる緋牡丹のお竜シリーズは見ていないのです。

「あ・うん」の市井の人妻、「おもちゃ」の置屋の女将、「フラガール」の汚れ役、「犬神家の一族」どの役も個性の違う「富司純子」に酔いしれた。

歌舞伎座のロビーで一度だけお見かけした。40年ほど前です。ひっそりと、地味な色目の、しかし何とも言えない美しい地紋の着物姿に、どきりとした覚えがあります。

かなり離れていたのですが、近くに行ってはいけない気がして、しっかりお姿を目に焼き付けました。その日の富司純子さんは「富司純子」ではなく、尾上菊之助さん(当時)の,確かな奥さまの顔でした。

どちらの富司純子さんも素敵です、大好きです。

「椿の庭」から1日たちました。思い出すと、まだ夢の中にいるようです。

樹々の呼吸,海の彩り、やがて姿を消さざる負えない家族の歴史の刻まれた古民家の気配・・・、不思議な空気感の余韻の深い映画です。勿論、「椿の庭」の富司純子さん、最高でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

椿の庭

2021年04月18日 | 日記

美しい映画を観た。美しい人を見た。

上田義彦監督の「椿の庭」

葉山の高台に孫娘と古民家に住む絹子という女性が主人公です。富司純子が演じている。その美しさ、しっとりしたたたずまい、もう、うっとりです。映画を見た女性はだれしも「こんな風に歳を重ねたい」と思うのではないでしょうか。

物語は大きな事件もなく、季節の草花、日々その表情を変える海、日本家屋の暮らしのしつらいなどが、丁寧に描写されていて、着物、古民家、和食、花、私の好きなものが、好きなものだけが次から次と画面を埋め尽くします。

自然光の画面、昔ながらのフィルム撮影の手法、観る者は、その映像の登場人物と同じ呼吸をしながら、まるで目撃者のように画面に食い入るのです。

住み慣れた家、一人、また一人と家族が遠いところに逝ってしまう。残された絹子は、その古民家を手放さざる負えなくなる・・・。

後の展開は、是非映画館に足をお運び頂いて「目撃」してください。

横浜、西口ムービルでは4月22日までです。(9時45分~、12時15分~)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしの身体

2021年04月17日 | 日記

鎌倉市の検診を、ほぼ毎年受けている。

今年初めて引っかかった。乳がん検診で、精密検査といわれ、紹介状をもらった。1か月前の話です。

まったく自覚無しで、紹介された病院に。結果は「問題なし」でした。

嬉しさ、安堵、と共に「まだ働ける!」と思いました。

健康体であることは大きな財産だとつくづく思った、財産などない私ですから。改めて「ここから出発」の気持ちです。

少し、今年はゆったりと過ごす時間を作ろうと思います。起業して月に1日ぐらいの休日で20年やってきました。そんなこと自慢にならないし、第一、自分の身体に失礼ですよね。「御免なさい」と「これからもよろしくお願いいたします」と、私の身体に。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

骨董屋さんお店を閉めるという

2021年04月15日 | 日記
鎌倉で親しくさせて頂いた骨董店屋さんです。

オーナーは、おしゃれなマダム、まだ70歳で、足が弱ってきたからだという。年に1度は、ロンドンに買い付けに行くほどお元気でしたのに。

随分通った。昨年は、思い切ってガラスの食器を買い取ってもらった。

10数個、思い出のあるものだったが、長く食器棚で眠っていた。

鎌倉だけで4回引っ越した。まるで、白樺派の文士のように、海沿い里山と居を移した。仕事が本格的になってからは、駅から徒歩5、6分の、今の扇ガ谷に落ち着いた。

引越しの度に食器は少しずつ処分もした。大皿やお客様用食器などは、年とともに出番も減り、特にワイングラスなど、ガラス食器は最低限のもので事は済むようになった。

家庭を持った頃は、まるで家族への愛情の証のように食器を買った。それも懐かしい。若さは勢いだとつくづく思う。

食器に料理はついて回る、思い出も。だから、中々捨てられない。

大根、じゃがいも、ニンジン、牛乳に食パン・・・、男の子を2人も3人も育てたお母さんなんて、買い物だけでも大仕事だったと。

家族の帰り時間がまちまちでも、あたたかいものは暖かく、冷たいものは冷たくが母の料理の基本でした。私もそうしてきたつもりです。

やがて子供は巣立ち、買い物も少しづつ少なくなる頃、体力もなくなってくる。よくしたものです。

「孤食」も悪くないが、フライパンをバンバン回したり、大鍋に野菜の煮物を山の用に作った日々が、楽しかった。あの忙しい時が華でしたね。

いや、そんなことはない。有難いことに私は今、その両方を実感している。娘の家に夕食作りに週1で通っている、お役に立てば、というやつです。

孫たちの顔を見て、話を聞きながら囲む食卓は、それはそれは幸せな時間です。食事が済めば「では、さよなら」と、責任のない「ばーば」です。

娘のごはん茶碗、割ってしまったようでしたので、今日、目についたので買いました。私の家庭ではないので、余計な食器、増やさないよう気をつけます。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする