青春時代に夢見ていた「愛」の形は、苦労を知らない、只、愛されている自分の姿だ。
両親には守られ愛され、大きな翼の中にいた。
社会へ出た。親の愛情は、時にはうっとうしく、重たくも感じ窮屈な翼をへし折ってでも「自由」の空気を吸おうともがいた。
10代の終わり、その頃の同性、異性の交流は、かけがえのない時間で、今の私の礎だ。
狂おしい思いも、愛ゆえに生まれた憎しみという感情も当たり前の事で、今では微笑ましくさえ思える。思い通りにならないのが恋ですから。
出会って、恋に落ちて、色々あって別れて、また恋をして・・・..。私は41で結婚して42で娘を生みました。結婚生活の半分は別居で、自由婚でした。.
夫は2年前に死去しました。「夫婦」という形を50年60年続けてこられた方に出会うと、心から「ご苦労様ですと」言葉が出てしまう、どれだけの忍耐、ご苦労があったか。
穏やかに愛された記憶というものはいいものです。若い頃のヒリヒリした恋愛ではなく、ゆっくり生活の重みをもって、生活していく中の「愛」です。
そんな思いでの数々、決して一人の人からもたらされたものではなく、奇跡的に出会えた方々の、少しずつの良い思い出が降り積り、私はいまここに在る。
何と幸せな、有難いことでしょう。