写真が好きで、日吉の専門学校の入学書類をもらいに行ったことがある。
両親の大反対にあい断念した。
そもそもは、高校時代は写真部に所属していてカメラが日常的に身近にあった。
小学生の頃は「富士ペット」という、おもちゃのようなカメラから始まり、
「オリンパスペン」の2シリーズ、アサヒペンタックスも2タイプ、
それからミノルタの何とか・・・、
今は、もっぱら携帯カメラです。
実は、25年前にご縁をいただいて「東京新聞」と「日経トレンディー」に記事を書いていました。
「東京新聞」は自分で写真も撮り、それを使って頂きました。
大好きな写真と、拙い文章でお金をいただいていたのです!
何と贅沢な時間だった事か。しかしそれも1年で断念、
その時私は妊娠5ヶ月でした。
その記事は、沢山の取材の積み重ねで、初めて成り立つ仕事でした。
42歳の初産、ここでも親の説得に負けました。
母親の心配はどれほどだったことか。今考えると正解だったと思います。
だから、負けたというのは正しくありません。
「書く仕事」は、何時かできる、何時かしたいとずーっと念じてきました。
それは、「片思いの恋人」を思うような気持ちにどこか似ています。