鎌倉市議会議員 納所てるつぐブログ

日々の議員活動でのできごとや思ったことをつづっています。

「平和」という科目

2006年08月14日 | Weblog
 明日は8月15日、61回目の終戦記念日を迎えます。
 8月15日は、すべての戦争犠牲者の方々に祈りを捧げ、「不戦への誓い」「平和への誓い」を新たにする日です。
悲惨で残虐な戦争はもう二度と繰り返してはならない――それが61年前の夏、焦土の中から立ち上がった日本国民の決意でした。
 日本国憲法の前文と9条には、軍国主義と決別し平和国家として出発した日本国の強い決意がうたわれています。

 平和と人道の新世紀と期待された21世紀も、すでに5年余が経過しました。
 しかし国際情勢は、米同時多発テロをはじめ、アフガニスタン、イラク、昨今のレバノン危機…そしてこの7月には北朝鮮によるミサイル発射、イギリスで摘発された旅客機爆破テロ計画と緊張が続いています。
 戦争や紛争がいまだ身近な現実の問題であり続けている中で、日本はどう行動すべきなのか。

 日本では、毎年8月15日を迎えるたびに国の指導者の靖国神社参拝をめぐる論議が繰り返されます。
 とりわけ今年は、自民党の総裁選挙にからんで例年以上に熱い論議が戦わされていますが、わが公明党は、国論を2分するかのような靖国論議に終止符を打つには宗教的に中立な新たな国立の追悼施設が必要であると主張しています。
すべての国民がわだかまりなく戦没者等に追悼の誠を捧げ、平和を祈念できる施設の建設は、平和国家・日本を世界にアピールする意味でも重要であり、引き続き強く求めていくべきであると思います。

 しかし靖国問題が落ち着いたとしても、教科書問題や歴史認識問題などを取り上げて東アジア諸国やマスコミはいつまでも外交問題化させようとするでしょう。
いつまで、こんな状態が続くのか、次の段階に進めないのか。隔靴掻痒(かくかそうよう)たる思いがします。

 国民全体が平和について考え、日本が負けた戦争について詳細を理解すべきです。
 ところが多くの日本人はお盆休みに海外旅行にでかけ、アジア各地の激戦地跡にいっても、何の跡地かわからないで、はしゃいでいるような状況です。
私は、社会科を教えていた経験から、中学や高校に「平和」という教科、科目を創設すべきであると思います。
 日本にも「平和学」という学問がすでにあり、その研究者がいるにもかかわらず、その研究成果がなんの効果も影響ももたらさないなんて意味がない。
社会科の歴史的分野は、通史で学びますので、年間の授業時間が足りませんから、 近現代の戦争については、たとえ「つくる会」の教科書を使っても、さらっと流すしかありません。通史は通史でよい。

 私の考える「平和」という科目は、昭和の戦争のことだけを取り上げるのではなく、その後の世界各地での戦争、テロ、飢餓、貧困、エイズ、そして学校でのいじめ、家庭内暴力、児童虐待など、社会の構造がもたらす「戦争」=平和でない状態を取り上げるべきであると思っています。
 その導入に現代日本人気質、若者気質を作り上げたきっかけである「敗戦」を学び、その戦争がどのように行われたのかを知らなければ、国を愛する心は育成できません。

 世界中の人びとがテロ、貧困、飢餓、紛争、感染症などの構造的暴力から解放される「人間の安全保障」の確立に貢献することこそ、「平和と人道の二十一世紀」を構築するための基本であると考えます。