晴れのち平安

源氏物語を中心に平安な日々♪
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源氏物語による予言?伊勢斎宮・嘉子内親王

2009年10月12日 | 日記
素人のひとりごとです。

『源氏物語』に登場する秋好中宮の父は、“故前坊(こぜんぼう=前の東宮)”と記され、かつて皇太子<東宮(とうぐう)>であったこと・すでに亡くなっていることが語られます。

これには、政争に巻き込まれ廃太子事件(皇太子を廃位されること)があったのではないかという指摘もあります。

また、“故前坊”は光源氏の父である桐壺帝の兄弟ではないかとも考えられています。

系図にするとこんな感じ。





“故前坊”と大臣の娘である六条御息所との間に生まれた姫宮は、朱雀帝の御代の斎宮となり伊勢へ下るのでした。
⇒風俗博物館展示:伊勢神宮斎王発遣「別れの櫛の儀」

朱雀帝の退位によって斎宮は帰京。そして冷泉帝に入内しのちに中宮となります。



歴史上、皇太子を廃された皇子の娘が伊勢の斎宮になった例がひとつだけあります。
(他にもあったら私の見落としです。こっそり教えてやってくださいませ。
それは紫式部も亡くなったあとのことです。






三条天皇の第一皇子・敦明親王は、三条天皇の強い希望もあり立太子しました。
しかし藤原道長の圧迫を受け、三条天皇の崩御後、敦明親王は皇太子を自ら辞退しました。

その代わり、敦明親王は「小一条院」と呼ばれ太政天皇としての待遇を受け、道長の娘・藤原寛子をキサキとして迎えました。
また、敦明親王の子たちは、本来なら王・女王(天皇の孫)となるところを親王・内親王として厚遇されたようです。

小一条院敦明親王の娘・嘉子内親王は、後冷泉天皇の即位にともない伊勢の斎宮となりました。(1046年)
小一条院の崩御(1051年)により、嘉子内親王は斎宮を退下し伊勢から帰京します。


嘉子内親王の生涯を詳しく存じませんが、「皇太子だった父と斎宮となった娘」という構図をみたときに、私は『源氏物語』の“故前坊”と秋好中宮(斎宮)親子を思い出してしまいます。

『源氏物語』が全巻成立した年代は不明ですが、まるで予言するかのように感じるのです。


以上、深読み妄想エッセイでした。


参考サイト:『斎宮歴史博物館』公式サイト内、斎宮関係系図(平安時代中期)




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