晴れのち平安

源氏物語を中心に平安な日々♪
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【ニュース】牽牛子塚古墳が斉明天皇陵と特定

2010年09月13日 | 日記
墳丘は八角形、「斉明陵」強まる=牽牛子塚古墳、発掘で確認―奈良・明日香村(時事通信) - goo ニュース


京都出発の朝、毎日新聞をふと見ると1面の記事が、

“牽牛子塚古墳 斉明天皇陵と特定
 奈良 八角構造を確認”


でした。


斉明天皇は、初めて「譲位」を行い、初めて2度皇位についた方です。
舒明天皇(じょめいてんのう)の妻であり、のちに天皇となった天智天皇<中大兄皇子>・天武天皇<大海人皇子>の母でもあります。

牽牛子塚古墳および、斉明天皇について、もっともっと知りたいですね。


新聞各誌、牽牛子塚(けんごしづか)古墳には、斉明天皇の娘・間人皇女<孝徳天皇の皇后>が合葬されていると報じられています。

この記事を読んだとき、「建王(たけるのみこ)は?」と思ったのは私だけじゃないはず。
斉明天皇は孫の建王(たけるのみこ)を可愛がっていたものの、早世したため、自身と合葬するよう命じたので・・。

※建王(たけるのみこ)=天智天皇の皇子。持統天皇の同母姉弟。


なんとなく墳墓には石棺が3つ、斉明天皇・建王・間人皇女と並んでいるような気がしていたのですが。
今、手元に『日本書紀』がないから詳細を確認できません~~~。

9月11日~12日に行われた牽牛子塚古墳見学会では、どのような解説がされたのでしょう。
すごく気になります~!!

これから、斉明天皇の関連本がどんどん(?)発行されるかしら。
そちらに期待しています。





↑取り急ぎ、斉明天皇の周辺の方々の系図を書いてみました。↑


斉明天皇は、現在の福岡県朝倉市にあったとされる「朝倉橘廣庭宮」で崩御されました。
宮があった場所は特定されていません。



 数年前に私が朝倉市内を訪ねた様子と斉明天皇について、当方のサイト内、こちらのページでご紹介しています。
現況と姿や情報が変わっていたらごめんなさい。

『花橘亭~なぎの旅行記~』「PICK UP」“斉明女帝の朝倉橘広庭宮”


伝承の域を超えないといわれてしまえば、それまでですが、私は地域の方が守っていかれた文化や想いに敬意を持っています。
また訪ねたいですね♪




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