N003の実事求是な日々

日々の出来事、旅の事、そしてメインは自分の事を載せていますι*`・ω・´*ノ
このヒマラヤ山脈は自分で撮って繋げました

山口県10人で3泊4日半の大旅行 1日目 その16

2010-04-29 21:41:29 | 旅行
方向的にはもと来た道をただ戻ればいいだけなのだが
どのあたりなのかはさっぱりだ
秋穂の中と言うのだけでは些かデータが少なすぎではないか
と思いつつカーナビに表示される北秋穂だの中秋穂だの
結構な広さを誇る秋穂のど真ん中を疾走していた
一つ目の信号を右折したあたりで秋穂の文字が周囲から消えたため
ここは少し来すぎということが分かり戻る事にする
1つ目の信号と言っても2,3kmは走った
ここはど田舎ではないが結構な田舎なので信号自体数が少ないのだ
その割りに最近道路工事でもしたのか、かなり整備されてピシッとしている印象を受ける
途中一箇所で現在進行形で工事をしていたので恐らくその辺りまで整備されていたのだろう
詳しく見ていないのであまり覚えていないが
そして戻りつつ「比較的資産家の大きい屋敷」というキーワードを絞り探す
なぜかというと玉屋もある程度大きい屋敷だったそうで
もしかしたら一発ビンゴにもなり得るからである
確かに来た道に数軒あったような気がする
そしてその辺りに戻るとやはりあった
1つの敷地内に2件2階建て順和風の紺色の瓦の家だとか
一軒で1階建てなのだがものっすごい奥が深くて庭もやたらでかい家だとか
遠目に見て3件はある
ヤハリこれは行動学の最も単純な例からして最も近い家から探りを入れようと思う

車を止めたすぐそばに飾りっ気もない簡素な社、というのもあまりに似つかわしくないが
お参りができる場所を見つけたので写真に収めてみた
中に何が居るのかは近づいてもよく分からなかった

とは言うものの俺は運転手兼ボディーガードなので実際に「突撃隣の隣人さん!」
を行うのは母なわけだが

こういうときのうちの両親の行動力は凄まじいものがある
母も父もアパレル系の訪問販売業者なんて比べ物にならないほど
まったく緊張感も焦燥感もなく堂々とインターホンを押して家主と会談できる
それがなぜなのかと言うのは然るべき理由があるのだが
それは毎日教壇に立ち何十年も何十人もの人に教えを説く(対象が年下ではあるが)仕事をし
講義やら会議やらも一般人の数百倍はこなしているであろう事から
容易に見て取れる
要は両親共に教職員をしていたのだ
その度胸を息子の俺にもDNA伝でいいので分けてもらえれば
こんな性格にならなかったのかもしれないのだが
大まかな部分の性格ではなく、優柔不断の部分だが

兎にも角にも一軒目
「ピンポーン」
インターホンを1秒の躊躇も無く
自分の家のインターホンを押すが如く平然と押す
「・・・・・・・」
10秒ほどしても反応が無い
「ピンポーン」
2度目のインターホン
「留守かな、車とかあるけど」
俺は母がインターホンを押して玄関で突っ立っている間
家の外観を舐めるように見学しながらそう言った
この家は敷地内に2件家があり、瓦付ききの塀が周囲をぐるっと囲っている
一周が200mぐらいあるだろうかそれほど広い
犬を飼っていないか、または鳴く犬を飼っていないのかは分からないが
犬の気配はしなかった
そして更に20秒ほど待って別の家に足を向ける
ふと反対側の一軒家を見ると庭に家主であろうおばあさんが庭の手入れをしていたのが
目に付いた
「あれ」
と、俺は母に言い
「何?」
「人」
何故か人形が予め記憶されてた言葉だけを述べるように俺は最短絡的に言う
母はそのままその家に無断侵入、不法侵入をかましてそのおばあさんに話しかけた
俺が居る場所からは50mほど離れているので何かを喋っているが
会話の内容は寸分たりとも聞こえなかった
戻ってきた母が言うには
あの人も地元がここのわけではなく
20年ほど前にここに住み着いた人だという
祖母が生まれた90年前の事など知る由も無い
そしてもう1件
車が停めてある道路から少し離れて、この場所からだとその道路沿いに行くのは遠いので
俺と母は畦を歩く事にした
というか俺がそこから行こうと指示した

先日、犬の散歩をしていて畦を歩いていた時に
「こら!畦を歩いたらあかん!」と田んぼの主から忠告を受けたことがある
本来は歩いたら駄目な場所のようだ
しかしこのときは雨が降った後で畦を歩かないと靴が
びっしゃびっしゃになるのでやむをえなく歩いたまでの事なのだが
・・・ごめんなさいなるべく歩かないようにします

そして畦を抜け数秒ほど前に進むと薪が倉庫の横にびっしりと詰まれている
これまた古めかしい日本屋敷を前にした
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山口県10人で3泊4日半の大旅行 1日目 その15

2010-04-27 14:27:51 | 旅行
ドアの前に来るとなぜかドアが二つある
「なにこれ、鍵二つ貰ってきたん?」
と俺が母に聞くと
「そっちのドアは使えなくて、元々二つの部屋を一つにしたらしいからその名残で」
とのことだ
まあ確かに元々10人泊まれる部屋なんてどのホテルや旅館にでもそうそう無い気がする
のでこの旅館ではそういう工夫をしたのだろうか
中に入ると小ぢんまりとした1畳程度の玄関があり
その先の襖を開けるとまず目に付いたのが一面ガラス張りの部屋
その向こうには先ほどロビーから見えた孤島もある
そしてその次に目に付くのは部屋の広さ
流石二つの部屋をくっ付けただけあり畳20畳ほどの広さだ
10人入っても圧迫感などまるで無い、開放感が滲み出るほどの広さ
一人で居ると不安になるほど広い部屋だ
真ん中にはやはりというか何と言うか日本的な旅館にほぼ100%の確率である座卓
縦3m横1m程度のかなり大きめのサイズだ
そしてそこには和菓子と日本茶葉とポットがある
よく見る光景だ
両脇の壁に金庫が1つずつ置いてあり
片方の金庫の直ぐ上に神棚みたいな棚が突き出ていてその上にテレビが乗っている
そして俺は今から荷物運びの作業が待っている
「屈強な若者」が筆頭すべき仕事だそうだ
まあ、反論も異論も無いさ
日常茶飯事なのでな
しかし10人分の荷物を駐車場からここまで一人でというのも効率が悪いので
月奈が手伝ってくれた
それでも1往復ではいかず2往復かかってしまった
一人だったら4往復する計算になる
まったく、ぞっとする話だ
そしてその後、俺にはとある2択問題に少しばかり頭を悩ませる事になる
その2択とは
「ここで子供達の面倒を見るか、母と二人で祖母の生まれた場所を突き止めるか(兼運転手)」
さて、どうしよう
とりあえず瞬時に俺の脳裏に浮かんだのは
(子供相手をするのは嫌だな)
というものだった
というか、花美の相手が
村正と青菜はある程度大人(子供だが子供の中ではある程度大人)なので俺が手を煩わせることもあまり無いのだが
花美は一度俺が構いだすと限が無いので正直のーさんきゅーだ
そしてもう1つの方は特に問題は無かった
あるとすればあの車を市街地で運転する事だったが
まあ何とかなるだろうと思い30秒程度で結論を出した

実を言うと一度だけ高速道路のサービスエリアでもう少しでバック駐車中に
事故りそうになったのだが誰も知らない
あの車の長さは想定外の長さだ
とある引越しの現場で
本当は縮むはずの物干し竿が長年の月日を経て錆び錆びになり
縮まなくなってエレベーターに乗らない竿をマンションの12階から1階に前後を
注視しつつ苦労して1階に運んだ記憶がある
もちろん、何度も前後を壁にがすがすあててしまったのだが
当てずに下ろすなんてたとえ複眼があったとしても無理だっただろう
この時はそれと同じぐらい無謀だった

そして母と二人で祖母の生まれた場所「玉屋」を探しに行く事になったのである
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山口県10人で3泊4日半の大旅行 1日目 その14

2010-04-24 18:51:02 | 旅行
自動ドアを抜けるとそこは広間になっている
左手側にはこじんまりとお土産品が陳列していて
右側にはフロントがあり
正面にはロビーがある
このロビーは片面ガラス張りで外の景色が眺望できる
両端にはドアがありそこからそとのテラスに出れる
照らすにはパラソルつきの白いペンキで塗られた木製の円卓がいくつかある
更にその向こうは海になっていて水平線がどこまでも果てしなく存在している
その丁度中央付近にポツリと恐らく無人島と思われる幅数百m程度の孤島が見えるのが印象的だ
ロビーには3人掛け程度の羽毛が詰まっている牛革のソファーが4つ程度
椅子が回りに4つほど置いてある直径1m程度の円卓が3つ
正面玄関に平行、フロントに平行になるように置かれた木製のベンチが1つずつ
皆さん自分の部屋に閉じこもっているのではなく結構活発に行動されてるようで
ロビーには20人程度テラスにも10人程度各々行動していて井戸端会議でもしてるのか
と思いながらロビーの円卓に腰を下ろした
母と姉たちがフロントでチェックインに関する手続きで勤しんでいる
「子供達みとってー」と月奈に言われ子供達の面倒を見る
そういえば先ほどの「joyfull」でお子様セットを頼んだ花美は指でなぞると
なぞった部分が変色するポータブルお絵かき画板を手に入れていた
子供が喜びそうなピンクを基調としているプラスチック製のものだ
指でなぞる部分は正直どんな構造になっているのか分からない
昔この部分が砂鉄の代物でできているのは見たことがあるが
それよりも明らかに未来チックになっている
何か液体の様なものが入っているらしい
もちろん消しゴム機能も搭載だ、左の部分に出っ張りがありそれを上下に動かす事によって
変色した部分が下の色に戻る仕組みになっている
それで適当に字とも絵ともつかない何かを書きなぐっていたのだが飽きたのか
俺の前にある円卓にそれを置いて青菜と二人で走り回り始めた
この二人が合わさるとかなり凶悪なコンビになる
「走ったらあかんよー!」だとか注意してもまるで誰も何も言っていないかの如く
追いかけっこを継続し続ける
何度も何度も「走らないで」と言っても「ごめん」とも無視&現状維持
せめて謝ってから走れ
そしてその姦しい二人を耳だけで感じ取りつつ俺はこの
POG(ポータブルお絵かき画板)に少々興味が出てきた
村正は俺の前で特に何をする事もなく椅子に座りながら呆けている
何を思ったか俺は親指を指紋をとる時のように、あるいはグッジョンブという時の指の形にして
なぞる部分に親指の内側を密着させる
なるべくくっきりうつるように少々強めに押す
指を離してみるとやはり指紋の部分が中々くっきりと浮かんでいた
「あははは!」と村正が笑いながらそれを消して自分も同じようにしてみる
そして一度では物足らないのか何度も何度も繰り返す
まるで変色した部分が元の色だったかのように全ての場所がその色になるまで
押す感覚もどんどん早くなっていき最後の方は電動ミシンの一番遅いぐらいまでにはなっていた
そして全てを塗りつぶすとすぐさままた消しゴム機能でリセット
そしてそれを俺がちょいと手元に寄せて
一番右上の端に同じように1つだけ丁寧に押す
これを見ただけで俺が何を思っているか察したか
その左隣に村正も似たように押す
そして「青菜ー、花美ちゃんー」と言って
かしまし二人組みを一度黙らせその横に同じように二人に押させる
戻ってきた村正の手には俺の予想通りに右から大きい順に親指印が押された
POGがあり二人で数秒愛でた後それらは村正の手によって不可視状態へと導かれた
フロントでごちゃごちゃした手続きも終わったようで
一同揃ってエレベーターで2階に向かい
エレベータから出て向かって右手側一番奥の部屋へと10人が闊歩していた
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山口県10人で3泊4日半の大旅行 1日目 その13

2010-04-23 19:38:43 | 旅行
まだ3時前なのだが、チェックインは何時でも良いらしいので
今日の予定はあと1つ残っているのだが、それは全員で行かないとのことなので
とりあえず秋穂荘に向かう
そこからは海が一望できるらしく海側と言うことは分かったのだが
そこにつくまでここからどれぐらいかかるのかというのは
備え付けの進路指針機器を活用するまでは分からなかったが
そう遠くないことは確かだった
そういえば、9割方子供から大人まで親しまれているジブリのBGMが
流れているのだが皆歌ったり歌わなかったりしていてなかなか静寂は訪れない
だが俺もその親しんでいる一人のうちに入っているので気分は上々だが
流れている中でカントリーロードは前から好きだったがここで1つ好きな曲が増えた
それは「風になる」という曲なのだがこれは本当にいい曲だ
無駄に技巧を凝らしてないぶん素直に聞ける
暫くするとどんどん景色が移ろっていく
人工物が明らかに減り、今まで見えていた空が山に占拠されていく
青から緑という風に
そして遠くにある山も次第に近づいてきて人間の視界の中には収まりきらなくなってくるころ
カーナビを見るとあと数kmで着くと予報を立てた
少しばかりすると左側に真っ青な開けた場所が見えた
海だ

やはり海はいい、見ていると凄く落ちつくし
自分が小さく感じることによって悩み事も小さく感じてしまうような
全てを抱擁する寛大さを持っている
少し前までよくお世話になったもんだ
しかし、行くのならヤハリ山だ
あれもいい
山の中に足を踏み入れると一人なのに一人じゃない気分になる
それが人間が周りに居る雰囲気がないのがいい
あの木、鳥、土、小動物、風のざわめき、など自然と一体化して
自分も自然の一部なんだと心から感じる瞬間がとても心地よい
不思議と海とはある意味逆なのだが
反対なのに反対じゃないどちらも良いのだこれは自然に生まれた人間が
やはり自然の一部なのだなと思わせられる証拠なのか、と思う

左手には海、右手には山に挟まれた蛇のような曲がりくねった道を進んでいくと看板がでてきた
「あいお荘、この先700m」
その看板は右折方向に矢印が向いていた
その方向をみると結構な急斜面で斜度30%はあろうかという急斜面が続いている
ギアをドライブからセカンドに変えてエンジン音が唸りを上げる
ここも負けず劣らずの蛇道だ
更に急斜面のために安全性も一段階減少する
申し訳程度についているカーブミラーも心もとない
カーブではより一層慎重を期して目視で確認してから曲がる
「上から車来て欲しくないなー」と運転の月奈が願望を呟いたが
一台来てしまった
この道は幅もそこまで広くない
普通の乗用車が特に問題なくすれ違えるぐらいの幅はあるが
このバンでは少々きついのである
が、前から来たのは軽だったので特に何事もなく通過できた
そしてその1台だけであとはすんなり目的地についた
どうやら小高い山の上に建っているらしく
荘、と付いている割に旅館っぽいのは気のせいか
50人ぐらいは泊まれるほどの大きさだ
駐車場はほぼ満員で2、3箇所空いている程度しか無く
こんな辺鄙な場所でもくるということはなかなかの人気旅館らしいということが伺える
とりあえず一度車を止め荷物は置いて先にチェックインを済ます
が、俺はと言うと周りの眺望が気になって仕方ない
一人でそそくさと退散してカメラを片手にさっそく数枚取りたくる
にしてもカメラと言うのはこの雄大さを収めきれないなんと半端な代物か
空気感も伝わってこない、色も、臭いも、音も全てが伝わらない
もどかしい
今ここにみんな来ればいいのにと思わせるほどの絶景だ
だがその絶景も世界中に腐るほどあるんだろうなぁと思いつつ
夕日に背を向け旅館の自動ドアに向けて踵を返した
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なるべく毎日

2010-04-23 00:11:13 | 日記
更新するように心がけているんだけども
今日はもう・・ね・・
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山口県10人で3泊4日半の大旅行 1日目 その12

2010-04-21 23:12:51 | 旅行
「ここで宜しかったでしょうか?」
と、疑問系で言われてもだな
(そこしかあいてねーだろがああああ)
と、アルプスの山頂で絶叫するが如く心の中で木霊を聞いていたが
恐らく相手も分かっているのであろう
俺が黙っていたらそそくさと遠ざかって仕事に戻っていった

さあメニューを選ぼう、とは素直にいかないのが団体行動の日常
まだここには4人しかいないので他の人を待つ
のではなく迎えにいく
祖母は恐らく今頃ようやく車を降りこちらに向かってくる途中だろう
なのでそれの手助けに向かう
とはいっても祖母の周りに3人も大人が居るので逆に店に残してきた
餓鬼のほうがきついな、と思い一人大人が来るまで戻る
20秒ぐらいすると一人来たので俺は祖母の所に行く
そんで俺が来た事により他の二人は各自自分のペースで店に向かう
俺はと言うと祖母の腕を取り二人で他愛のない会話をしながら
毎秒50cmぐらいのペースで店にはいり席に向かう
店に入ると地味に視線を感じるがそんなもの俺のATフィールドがあれば関係ない

そして2分ぐらいかけて席につく、4人用のテーブルを3つぐらい繋げて
即席の多人数用テーブルの出来上がり
ついでにお子様チェアーも2つ用意してもらう
のと思ってたが真輝は月奈の膝の上なので1つだけだ
俺は一番外側の窓側に位置する一番「トイレに行きやすい」場所を獲得

俺は世間一般的に言えばトイレが近い方ではないが
コーシーを飲むとやばい
コーシーを飲むと必ずそれ以上のおしっこがなぜかでてくる
塩をかけられたなめくじじゃないのかと言わんばかりに
これ「も」俺の77不思議のうちの1つだ

さてメニューだ
流石ファミレスだ、どこもなんとなく似たようなメニュー
ここは無難にオムライスだろう
あのふわふわたまごーの上になんか適当なソースがかかってて
まあそのおいしい事この上ない至福の時
時に外国人は半熟卵があまり好きじゃないらしい
日本人はなぜか半熟卵の方が人気なんだがそれが何故かはわからない
そして食事も滞りなく終わ、るわけはない
何せ一桁が5人も居るのだ
それはもう、これは食べれないだの他人の料理のあれが食べたいだの
いきなりデザートが食べたいだのと言いたい放題である
そこは日常茶飯事だろう、子供が妥協するギリギリの範囲と
親が妥協するギリギリの範囲の境界線を押し合いへしあいしている
さて俺は一足先に食事を済ますと唐突に華が
「じゃあ王海私ご飯食べるから藍夏ちゃんみとってくれる?」
ふー、まったくこの旅行中俺は基本的に子守り担当らしい
(全く...)
と、心の中で思いつつもこれもヤハリ経験の1つかな
と、思い頑張って子守をする
しかし、泣いていない時は適当にしてればいいんだが
1度泣き始めるとそれはもう俺にはどうしていいものかわからなくなる
イナイナイバーだの高い高いだの俺は人前で絶対にできない
絶対にできない
そんなことをするぐらいなら全身真っ赤のスーツで名古屋市営東山線、名古屋発、藤が丘駅行きに搭乗する方がまだましだ
そんなこんなでどっと疲れるお食事タイムも終了して
優雅なバスの旅に戻る
自分が動かなくても勝手に動くなんてなんて便利なんだろう
と思う片隅で便利になる反面人間自体が動かなくなり
それは動物から植物などの無移動生物に退化して行っているのではないか?
という疑問を振り払えないまま今夜の宿泊先「秋穂荘(あいおそう)」に向かうのであった
ちなみにここ青江の秋穂なんだが平仮名読みすると「あおえのあいお」と読む
偶然の産物であるが、何となく偶然って偉大だなと思う
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山口県10人で3泊4日半の大旅行 1日目 その11

2010-04-21 10:07:32 | 旅行
狭い住宅街の路地を抜け大通りに出て時計を見ると時間は昼頃になっていた
そろそろ腹が減ってきた、めしたいむである
満場一致でこの大通りに面している最寄のお食事処に当てもなく
ただひたすら前進あるのみ
暫くすると見えてきたのは「joufull」
あまり言いたくないのだがどことなくデニーズに似ている気がする
その、看板とか
でだ、駐車場を見るとなかなかの込み具合だ
さながら幼稚園の演劇会があるときの駐車場並みに込み合っている
残り1台空いているかどうか、といった微妙な感じだ
一通りぐるっと1週してみるとなんとか1箇所だけ空いていた
だがこの車は一般的な車の2倍は長いので普通の場所に止めると頭2つ分
突き出てしまい隣の車が出るときにスゴイ迷惑になるのだが
この場合端っこが開いていたのでそのデメリットも解消され
残ったデメリットはバックで入るのが非常に面倒くさいというものだけになった
しらん、俺が運転してるわけじゃない
そして無事自動車講習中のバック駐車練習の様にゆっくりと駐車を終え
餓鬼共の出発の準備を整える
そして華は
「じゃあ王海、花美ちゃんと手を繋いでいったって」
「・・・」
さてここで無言の返事をした事に華はどう思っていたのかは終ぞ知る事はないが
俺はぶっちゃけ花美が苦手なのだ
それは花美に限った事じゃなくて我が儘時代の子供に等しくそうなのだが
普通に鬱陶しい
子供に対して大人気ないだと?俺は大人じゃないのでそこんとこよろしく
特にあのお菓子とかを地団駄を踏んで「買って買って買って買って買って」
などと言って終いには泣き落としを始める子供に対してそれを許容するのは如何ともしがたい

そんなんお前も子供時代そうだったのに何を言ってるんだと思う君
母曰く、「おばあちゃんの躾が凄く上手くって私の姉妹は皆そういうのが一切なかった」
という
で、その「おばあちゃん」は母の子供が(つまり俺、月奈、華)産まれた時から
一緒に暮らしていて、母も父も仕事を持っていたので
子供時代はかなり祖母に育ててもらった記憶がある
そしてその教育思念はその時にも変わらずあったようで
俺の兄弟もそういう地団駄的な事は一切無かったと言う
まさに「素晴らしい」の一言だ
ただやはり万能ではないのだ、その部分では良いとしても
他の部分でおかしい所などはきっとあるはず
と、別に貶しているわけじゃないが
それに自分がしていなくて他人がしてるから嫌だというのも少し違う
我が儘の種類にもよるがあまり好きな人も居ないだろうし

心の中で瞬時に葛藤、「仕方がない」の勝利で心の中で「嫌だ」を追い出す溜息をついて
手を差し伸べる
そして村正と青菜はもう少し大人なので大人と手を繋ぐわけじゃないが
「駐車場で走ったらあかんよー!」
という月奈の声が木霊していた
それを聞いているような聞いていないような
周りに車がなく視界が開けている比較的安全な場所では走り
車と車の間などから出るときは慎重にという行動を取っていた
まあ、あながち間違っていないけど

ちなみに俺はこういった注意は殆どしない
俺が子供に注意するときもあるがその時は注意するというより
怒るという表現の方が正しくて、しかもその怒り方はかなりきついので
本当にしてはいけない事をした時だけ注意する(怒る)
俺は母親から放任主義的な育て方をされたのもかなり色濃く残っているだろう
俺の母は確か俺が小学低学年ぐらいの時までは逐一注意していたのだが
ある時俺と友達と母と3人で結構遠い公園
(遊具が沢山あり山まであっただだっ広く豪華な公園、わざわざ遠出して行く価値があるほど魅力的な場所だった)
の行きか帰りか忘れたけがそこで俺と友達がもうわざわざ危険な場所に行って
それを後ろから「そんな場所には行かないで」だの「危ない」だの言おうと思ったらしい
が、そこで「あかんあかん、こんな事を言ったらこの子達の可能性を縮めてしまう事になる」
と思ったらしくもう俺が「死んでもいいから自由にさせる」という理念を貫き始めたらしい
一見、それはあまりにも
と思うかもしれないがそれのお陰で自分で失敗を繰り返しながら「何が危険か」という事を考えるようになったし
見事な変人が誕生した訳だ
実に素晴らしいエピソードだ
自分で考えるという事を子供に教える教育をしてない場合
これはかなり危険な行為だとは思うけども

そして村正と青菜は既に入り口に居る
そこにあるポスターが気になったか二人でなにやらしている
俺がついたときにはそのなにやらは既に終了していて
猫が猫じゃらしに飽きてどこかに行くかのような飽きっぷりでポスターから離れ
俺の前に来てドアを引き
・・・・・・・・開かない
押して中に入った
ら、またドアがあり次は「引く」という字をちゃんと確認して
一発認定
そして席の具合を見てみると
興行収入何十億という超絶ヒット映画の上映初休日並みの映画館を彷彿とさせる混雑
(やだなぁ)
と大都会の地下鉄に乗る時の様な気分に浸りつつ
「何名様ですか?」
という問いに対して
「10名、大人5人、子供5人です」
と冷静を装った俺は
「では、こちらにどうぞ」
と言われ
(なんだ、空いてるのかよ)
と心の中で唾を吐きながらその店員の後を
ストーカーよりは清楚に、ドレスショーのレッドカーペット上を歩くモデルよりたどたどしく
着いていった
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山口県10人で3泊4日半の大旅行 1日目 その10

2010-04-19 22:27:06 | 旅行
そしてその家の大体の間取りを俺に説明した後に今度は
周りの家が変わっているのかどうか(主に住民)を確認しだした
とりあえず向かったのが4件隣の住宅街の一角の隅にある
仲が良かった1歳年上の女友達だ、みっちゃんというあだ名だったらしい
その友達はもうこの場所に居らず東京に住んでいるらしい
現在は交流が無いのだが
そこで何故東京に住んでいるのか分かるのかと言うと
そこにはまだその子の母親が住んでいたのだ
歳はなんと94歳という
1階建ての一軒屋に一人暮らしをしているらしく
耳は少し遠いがこれがまたかなりしっかりしていて
94でこんなに元気な人は見たことがない
俺の祖母は91でこれまた元気だが祖母よりもちゃんと歩けるし
何より一人暮らしをしているという事自体が驚愕だ
そして約50年ぶりの再開と言うのもこれまた驚愕だ
更に更になんと向こうはうちの祖母の事を覚えているという
残念ながらうちの祖母は思い出せないらしく二人で語り合う事はできなかったが
50年ぶりの再会
まだ23年そこらしか生きていない屋久杉に絡まっているだけのちんけな蔦の様な俺からすると
これはもうあまりの偉大さにその全貌を太陽の黒点ほどの割合しか把握でき無い様なものだ
23年と90年とは数字で見れば高々4倍にすぎないのだが恐らく「ただの4倍」のはずがない
とまあ、その辺りも自分が実体験で体験していないのでなんともいえないのだが
それは俺が90歳になった時に振り返ってみれば良いだけの話で
別段今話さなければいけないということもない、生きてればの話だが

そうこう母と祖母とその人が思い出話に耽っている横で
あろうことも餓鬼共は祖母の乗ってきた車椅子でてんやわんやだ
それはカーチェイスやドリフトを決めるために作られた乗り物じゃないんだが
やれ「私が乗る」だの「俺が乗る」だのこうたいごうたいで乗り回していた
だが自分で車輪をパラリンピックの選手並に扱いでいるのではなく
後ろから大学病院の看護士の如く安全に丁寧に慎重にとは程遠い速度、安全性を保ちつつ
時折来る車の運転手の視線に頭を悩ませながら(こればかりだ)俺は子守をしていた
ハズなんだが俺はどうもそのすぐそばにあるなぜか1本だけある桜の木が木になって
木になって、ついついデジカメのSDカードの1MB分の残量を減らしてしまう事になった
多分そこに1本だけ植えた、もしくは偶然、ただそれだけの事なのだろうがなんだろう
こういうのって少し神秘を感じないか?
例えば小さな孤島に生えた1本の木だとかスイカ畑に1つだけ生ったメロンだとか
爪楊枝の入れ物の中に1本だけ裁縫針があるだとか
周りの雰囲気と違うものが1つぽつんとあるだけでそこから何かしら特殊なオーラが漂っている
是非も無いが、脳内の細胞が活性化されるイマジネーションが湧き出てくる気分になる
人間は些細な事でもとてつもなく大きな変化をするときもあるだろうからな

それはさておき、祖母とその人の会話も5~6度の既視感を覚えつつも
ほどなく御開きとなった
あまりこういうことを言うものではないが、恐らく今生の別れだろう
祖母も「山口に来るのも体力的にもこれが最後」と言っている
なんだか少し胸が締め付けられる思いになった
車は母の昔住んでいた家のそばにあるのでここから40mぐらい離れているのだが
その辺りに行くまでそのおばあさんは杖をついたままずっとこちらを見守っていてくれていた
その名残惜しそうな視線もまた、俺には涙腺を緩ませるとまではいかないが
なにやらアドレナリンとは対照的な脳内物質が分泌されているのではないかと思わせるほどの
哀愁を漂わせていた
こういうときにこそ「さようなら」という言葉がぴったしなのだろう
さようなら、お元気で
コメント

今気づいた、やはり矛盾があった!!

2010-04-18 16:30:53 | ちょっと真面目な事
そうだよ!
ぱらぱら漫画的時間帯が別々であるならば
そもそも過去に行こうが、あるかどうかはしらないが未来に行こうが
「今現在自分が居る時間帯に自分が居なくなるだけ」で
過去でなにかおかしい事をしてもそれは「元いた時間」には全く干渉せず
「飛んできた時間」の部分の「現在」が変わるだけであって
その「飛んできた時間の現在」の歴史は大いに変貌、変動するはずだ
例えば未来のテクノロジーがうんたらかんたらや
10年進んだ技術がなんたらかんたらな時代になっている
つまり、俺が今居るこの時間帯の過去で何が起ころうと
それは既に俺の時間帯とはまるで無縁の時間帯であり
永遠に共有する事はできず
つまり俺の時間帯でなにかありえないことが起こるならば
それは「俺の今居る時間」と違う時間から誰かがタイムトラベルしてこなければ
「俺の今居る時間」から誰かがどこにタイムトラベルしてもそれはただ単に
そいつがこの時間帯から消滅しただけの存在となり誰の記憶からも消えるだとか
最初から生まれていない事になっていたとかいう
意味の分からない現象も起きない
そして今俺の居る時間帯にどこかの時代からもタイムトラベルしてこないということは
未来が無いと言うことを証明している事じゃないか?
それか「今の時間帯」に誰もタイムトラベルしてこないという事事態が
タイムマシンなるものの製造が技術的に不可能と実証されている
まあ、もう1つ言えばタイムトラベルしてきたやつが自分から
「私はタイムトラベルしてきました」などというまぬけではない限り
誰にも知られずに死んでいくわけだが、それはタイムトラベルしてきた意味があるのか
どうかも分からないし、住民データなるもので一応管理されているから
そんなどこにも存在するはずのない人間はばれるんじゃないかな
わからないが
そもそも、もし未来があると言うことになればそれこそ時間軸の先頭はどこだ?
普通に考えると「今居る時間」以外観測する事はできないのでつまりそれは
自分が先頭と言うことを考えざるを得ないわけだが
もし未来があるならそれはもう既に今の宇宙が何かしらの原因で消滅して
また新しい宇宙が生まれたりなんかしてるところまで行っているはずだ
もしかしたらその先までも無限にずっと
でもそう考えるとパラレルワールド理論が間違っているなら未来って決まってるんじゃないかなって気持ちになる
それは嫌だ
未来が決まってるとか正直ふざけてる、ありえない
そもそも誰が決めるんだ
俺の人生は今まで俺が決めてきたんだ
優柔不断なこともいっぱいあったし、それでも頑張って前に進んできた
それを俺が100%決めてないなどという、まるでバナナの皮を剥いたらスイカの中身が
でてきましたというぐらいふざけてる
そして俺は思う、「自分にとっての神様は自分だろう」と
俺のことを一番知っているのは俺だ、俺を本当の意味で動かせるのは俺だけだ
つまり自分にとっての全知全能が自分には当てはまるんだ
(いや、流石に自分でも理解できない部分とか誰にでもあるだろうからそうでもないが
しかしそこが生物という不完全なモノの楽しい部分じゃないか
不完全最高♪)
長々と硬いことをずらずら並べてしまったけど
たまにはこういうのもいいよね!

と言うわけで今日はもうなんか長い文章を書いてしまったので
旅行の続きは多分月曜日の夜になります
この旅行5月終わりまでには全部書き終えないといけないんだよね
締め切りに追われるとは何と言うことかw
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昨日熱く語った事についてもう少し

2010-04-18 11:01:08 | ちょっと真面目な事
でだ、俺の希望的観測を述べるとすると
やっぱり現在しかなくて、ただの一枚板が時間軸のプラスのベクトルに移動していて
過去はただの残像にすぎずタイムトラベルしようとしてもその時間帯自体が
もう存在しないからいけないと考える方が矛盾に頭を悩まさずにスッキリして
分かりやすいと思うんだ
夢がないとかそういうのは別にして

それとミクロの世界はマクロの世界とはあまりにも法則性が異なっているのにも
関わらずそのミクロ世界がマクロ世界を構築しているのが一番驚きだ
さしずめボールがテトラポットでピンがキュウリのボーリングをしていて
それがちゃんと成立しているようなものだ
無秩序の中の秩序といったところか
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山口県10人で3泊4日半の大旅行 1日目 その9 ver1.01

2010-04-17 21:56:42 | 旅行
次の目的地は本日のメインイベント
実に母と祖母が小学校2年から6年まで暮らしていたという
母曰く「子供時代の最全盛期」
私の全ての根源がそこにあると言わんばかりの重要な人生を送った場所だ
その当時の状況を一言で言い表すと「死ぬほど楽しかった」
死ぬほど分かりやすいではないか
今現在母は地球の裏側から見たとしても仕事人だ(必殺ではない)
休みの日でも仕事、平日でも仕事仕事
ただ、休みの日に俺が山登りに行こうとかそういうことをいうと
結構付き合ってくれるのだが
外から何かしら干渉を受けない限りはとりあえず仕事
俺からすると確かに自分のやりたい事が仕事ってのは凄い楽しいと思うし幸せだと思う
でもその状態になったことがないのでかもしれないが
なんというか「なんで遊ばないの?」という疑問は拭いきれない
そもそも世間一般的にいう「友達」って見たことが無い
母曰く「いるよ....一人か二人ぐらい?」みたいな曖昧な返事しか返ってこない
俺としてはそんな状況はありえないのだがそこでこの場所の意義が出てくる
死ぬほど楽しかった―
自分が子供時代に想像(創造)し得る遊びを全て自分達で考え実践する
とのことだ
その中でも特に絶賛しているのが演劇だという
自分達で役割を決めて家の周りに居る子供達を一堂に集結させて
てんやわんやでするらしい
今の子供達からするとまずありえないだろう
しかし昔は何も無いのだ
与えられた遊びをただするだけの子供と
何も無い環境から脳のニューロン140億個をフル活動し、化学シナプスを最大限活用する
子供時代にこんな遊びを毎日毎日していたらどうしてニートができようか
恐らく何もしていないなどという状態が苦痛で苦痛でしかたがない人間ができあがるだろう
もちろん母がそうだからそういえるのだが
そしてその中の一言は凡そ俺には理解しがたい事なのだが
なんとなく言っている意味は分かる
その言葉が「あの時に全ての力を遊ぶ事に注いだからもう遊びたいと思わない」だそうだ
俺の中では遊びたいという欲に限界があるとは思えないのだが
小学2年から6年の4年間で母は一体どれだけの心血をそこに注いだか
それはどれだけ言葉で語り尽くしたとしても本人しか知りえないのだろうが
兎にも角にも今の母の全てはこの場所から始まったといっても過言ではないのだ
そして、そのお陰で今の俺が居る
俺視点での母を一言で言えば「普通に異(偉)人」なのだ
今の母が俺の母でなければ、普通のお母さんの元に生まれてきたならば
俺はこんな人間には確実になっていなかった
それは今の俺が思うに確実に悪い事だ
普通の親の下に生まれるなんてありえない

子供の頃から物理学者を親に持つと普通の母親が応えてくれない不思議を
逐一説明して生徒に話すように分かりやすいように
俺のレベルを考えたうえで話してくれる
やれ熱力学の第二法則がうんたらかんたら
やれ粒子1粒を二つ穴の開いた板の前に置いて
後ろからその板に向かって打つとその板の向こうにたどり着いた時に
どっちを通ったか観測できない装置で試すとどっちの穴も通った形跡があり
どっちを通ったか観測できる装置で試すと観測するのに光子を当てないといけないのだが
それが当たると純粋な観測ができずにほとほと困っている事
パラレルワールドの話で
もし未来が枝分かれするならどの時点で分かれるのか
普通に考えれば俺が今右手を動かしたけど左手を動かす場合もあるかもしれない
とか自分視点でもいくらでもあるのにそれが
全ての人間、地球上の全ての生物、無機物、はたや
粒子一つ一つまでランダム性がありそれが宇宙全体にことになってくるともう
頭がおかしくなる
もしそうだとしても時間の最小単位があるのか無いのかもわからないし
0.00000000000000000000000000001秒だとして一体どれだけの未来が今までで派生しているのか
タイムトラベルの話もよくするな
過去に行くとする、例えば自分が生まれるはずの無い時間に行くとして
それでもしこの時間軸が一本しかなく時間がぱらぱら漫画のように
1枚1枚の平面が無限に重なっているとする

これを無視するとパラレルワールド理論が発生しどの時間軸のどの時間というのすら曖昧になりもはや秩序も時間も今も過去も未来も何も無いただの静止時間の連続としてしか存在しなくなり
連続性が失われ時間そのものの意味も無くなる気がする

そうするとその瞬間からまず自分が「元居た時間」から「飛んできた時間」に移動した事になる
それで、つまりその「今の時間」は「元居た時間」より過去なわけで
「元居た時間」にそいつは「飛んできた時間に」...........
あれ?
いや、少しちょっと自分で言っていて矛盾が発生しない事に気づいたが
やはりおかしい事がひとつある
なぜその「タイムとラベルをした人間」を中心に時間が動いているか
それは自分を認識できるのは自分だけであってつまり物語りとしては
第三者としてタイムとラベルを見ているからおかしいわけであってつまり
自分自身だけが飛んだとすると......
.......................
自分の時間は自分を中心に回っているに違いない
ということは.....技術的に無理だったとしても矛盾は生まれないのか?

いや、自分が生まれている時間に飛んだとすると...
そこの時間には自分が二人居るがその1つ先には自分が一人しか居ない未来があって
自分が「飛んできた時間」の場所には時間の最小単位分だけ「元居た時間」から「飛んできた時間」に毎回タイムとラベルしてだな
つまり...
未来には何の影響も無いのだ
というより「もと居た時間」のその瞬間の時間が継続された未来には自分が居ないが
その1つ先の未来にはそうじゃない未来が....
いや、そもそもそんな一瞬で未来に行くとかいかないとか決まってないし
そもそも時間軸の先頭はどこだって話だ
もし今俺たちが感じている時間こそが最先端だとしたら
そうだよ!
そこから先の未来にはページが無いはずだ
なので当然未来にはいけないし
だってもし俺たちの居る時間が最先端じゃなければ
未来からタイムマシンに乗って誰かが来ても...
まあそれは技術的に無理なのだとは思うが

しまった、つい熱くなって旅行と全く関係の無い事を
とまあ....(汗)
こんな話もたまにするわけだ
で、なんだった?(汗)
長くなりすぎたのでえっと...
とにかく、その家にたどり着いたのである

それにしてもこういうことを考える時に俺はつくづく
「ああ、物理学者の子供なんだな」と深く感心するのであった
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山口県10人で3泊4日半の大旅行 1日目 その8

2010-04-16 22:12:49 | 旅行
いそいそと車に戻り一番後ろの座席に鎮座しシートベルトを着用すると
まもなく「皆、準備はいい?」と声が聞こえた
そこで俺はふと思う、点呼とかそういうのが合った方が分かりやすくないか?
と思い若い方から順番に番号を言う事にした10人いるので分かりやすしな
1と2はまだ人類が理解範疇な言葉を正確に自分の思った通りに発する事ができないので
変わりに母がする
「1、2!」
次は花美だ
なにやら恥ずかしいのか何か知らんがじれったく
「さん..」と言う
後はもう大丈夫だ
青菜、村正、俺、華、月奈、春子、珠子の順番に10まで行く
「では出発しまーす」
という号令と共に月奈はキーを回しこの鉄の塊に命を吹き込む
心臓が毎分数千回転し始めフロントミラー、バックミラー、肉眼で前後左右確認し
流石に上下までは確認しないがタイミングを計り
後ろから来る車が来なくなったことを確認してから発進
傾斜度1度の坂に位置エネルギー、運動エネルギーが共に0の状態でボールを転がすように安全にゆっくりと加速をする
そして俺は辺りを特に意味無く目を泳がせてから暫くするとまた無意識下へと昏倒するように堕ちていく

「ここだ、ここ、ここ」
あれからそんなに時間が経っていないだろうということは容易に想像ができた
深く眠りについたあとたいした睡眠も取らずに起こされた時の気だるさが無いからだ
春子はそう言うとまたも足早に降りていった
俺はと言うともう迷わない、即座にカメラを持ち後を着いていく
橋がある、2つだ
1つは歩行者専用橋、もう1つは車専用の橋になっている
振り向くとさっき居た学校が見えた
(近っ)
明らかにここまで2分とかかっていないだろうがその間に自分が睡眠と言うまでの
状態に陥った事が自分の残存体力を物語っていた
ちなみに先ほどの学校もだが俺と母しか車から出ていない
少し悲しいかな、いやなんでもない

この橋での逸話(?)は母によく聞かされていた
何度聞いたかな、恐らく3度は聞いているだろう
しかし現場に来たのは初めてだ
当たり前の話だが俺が子供時代を過ごした場所から700kmほど離れているし
母と祖母は数年前までは山口に数年おきに墓参りだのに行っていた記憶があるが
俺は一度も付いていっていない
記憶が正しければ誘われてすらなかった気がする
まあ昔の俺ならそんなものはドッグフードより興味が無かったはずだが
そしてやはり違うものだ
現場で実際昔ここであった話を聞くのとイメージの中で母の文章を元に
現場を構築するのとでは
ああ、これが百聞は一見にしかずの真髄なんだなあと思った
そして、一頻り辺りの風景をカメラに収めてから
ある程度は覚えていたものの明瞭に思い出せなかったのでもう一度聞く
「この橋から落ちたんだっけ?」
「そうそうここから」
「どんな感じで落ちたの?」
「あんまり覚えてないけどたいした怪我じゃなかったから頭からじゃないと思うよ」
「どの辺から落ちたの?」
「多分この真ん中当たりかな」
と、なぜか歩行者専用の橋があるのに関わらず車専用の橋の上で語り合う二人
なかなか車どおりが多いらしく1分に1台は必ず来るといったペースで
時折運転手を見ると明らかに「なぜ歩行者用の橋をわたらんのだこの町人A、Bども」
と言わんばかりの鋭い目線に俺は後ろめたさを感じながらも知らん顔を決め込む
その真ん中当たりの下を覗くと何やらよくワカラン水草が
川底がギリギリ見えない程度に乱雑に生育しており
1辺50cm程度の正六面体のコンクリートのブロックが
凡そ数十センチ間隔でキレイに設置されており
少し川面から頭をこちら側によこしていた
「ここから落ちたらどう見ても致命傷だと思うけど」
「そりゃあ昔はあんなブロック無かったしね」
まあ頭の中では何となく気づいていたのだがあえて聞いた
川の深さは昔とあまり変わっていないらしい(憶測)
川の深さもなかなかだし頭から落ちたとしても小学1年生ならば恐らく怪我はしないだろうが
それでも高さは3mはあるので高所恐怖症になってもおかしくないぐらいの高さだし
なぜこれで高所恐怖症にならないのか、と同じく橋から自分の知り合いが落ちた
と言う話を聞いただけで高所恐怖症になった父とは何が違うのかという議題を
たった一人で考察するわけにもいかずその議題は永遠に語られる事も無く
深層意識の渦に巻き込まれ一晩経った俺特製のカレーの玉ねぎのように
表層意識では確認できないほどに微細な存在までに粉砕された
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涼宮ハルヒの憂鬱の中の1つ

2010-04-16 21:38:38 | 日記
なぜいまさら憂鬱なのかというと俺はハルヒのアニメは見たことあるが
小説は無かったので読んでいるからだ!

話を戻すが(いや始まってないが)
古泉が「なぜこの宇宙が人類にとって丁度いい環境なのか」
みたいな事を言っているのだが
これは明らかにおかしい
逆だろう、この宇宙の法則に従うような生物が生まれているのであって
人類に丁度良いなどとそれは明らかに人類を中心とした考えの気がするが
あと人間だけがこの宇宙中でここまで文明を発達させた唯一の存在みたいなこともあるが
(俺の解釈としてはこれは実際の事ではなくてこの物語の中での設定と思っているけど)
それもありえない気がするんだよな
確か俺たちがいるこの銀河系の中に同じような太陽系のような系が2000億あって
更に同じような銀河系が2000億あるらしい
200000000000*200000000000だぜ?
4×10の22乗?
ちなみに世界の海岸の砂粒の概算が10の22乗なのでそれの4倍だ
同じようなものが無いというほうがおかしい気がする
だって世界中には自分に瓜二つの人間は3人居るという言葉があるが(本当ではないとおもう)
それだけでも60億に3つだぜ
だけどもしいたとしてもそれぞれがその存在を確認するすべは無い
なぜかと言うと宇宙最速の光を持ってしても何万年やら何億年離れてる場所にいるのだ
もし相手がそれを感知して返事をしたとしても往復分の時間がかかるし
相手がそれを人工的(分かりづらいのでここでの他の知的生物も人と訳すが)なものと
判断できるかどうかも怪しいし
まあ限りなく0に近いけどもし交信できたとしても何万年後以上の話だ
俺にはかんけーねえ、どうでもいい、居ないのと同じ
なんだが、絶対居る!

まあただそれだけなのだが、ちょっと言いたかっただけだ!
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山口県10人で3泊4日半の大旅行 1日目 その7

2010-04-14 22:51:34 | 旅行
車に戻るや否や俺は直眠りについた
しかし瞼を閉じるのと寝るのは全く意味合いが違う
その中間のまどろみの中で俺は自分の前方方向へのGを感じた
(・・・・ん)
幸いシートベルトをしていたので怪我は無かったが
いや、シートベルトはいつもちゃんとするしブレーキも非常に安全かつ
適切な方法でとられたものだが
外を見ると2車線道の左側にハザードを焚いて停止している
この場所はバス停のように車線幅がかなり太くなっているため
他の車にも迷惑がかからず停止するにはベストなポジションといえる
小学校に着いたはずなのだが右はただの田んぼ
左にはコンクリートの壁がひたすら続いてるだけだ
(ここは小学校の真横じゃないのかな?)
と思いつつ母の会話を聞いているとどうやらここは小学校沿いの道路らしい
「そうそう、こんな感じだった」
と、先にデジカメを手に出て行く
そこで1つの選択を迫られた
さて、俺はどうするか
という議題だ
いつもの、いや
いままでの俺ならば車の中で待っていただろう
別に興味ないし、めんどくさいし
だが、今は違う
自分が関わっている旅行だし、最近は思い出と言うものに敏感だ
そして行くが50行かないが50の状態の均衡は直ぐに破綻を迎えた
行く100行かない0になったのだ
(よし)
俺は目の前にあるよく旅行用のバスの座席の裏側にある網のゴミ入れ
に入っていたビデオカメラ(デジカメ兼用)を手に取り靴を履きそそくさと出て行った
出た瞬間、ああなるほどと思う
このコンクリートの壁はただの壁じゃなく小学校のグラウンドの土台の端だったのだ
高さは2mぐらいあり、その上に学校お馴染みの緑色のフェンスがぐるっとグラウンドを囲っている
そしてそのフェンスの外側は2mぐらいの幅があり草の茂みが多い尽くしていて
3mぐらいの等間隔に桜の木がこれまたぐるっと囲むように植えてある
季節が季節だけに8部咲き程度の綺麗な桜だ
俺はわざわざ花見をしようとは思わないが(もちろん好意を寄せている相手となら・・・)
いや、なんでもない
基本的に花は綺麗だと思うし好きだ
ただ百合みたいなニオイのきついのはちょっとあれだが
時々「カキーン」と金属と何か弾性が低く音を吸収しないものがぶち当たった時の音や
「わーわー」と数人が何かを叫んでいるような声が聞こえる
「よいしょっ」
(?)
なぜデジカメで写真撮影するのにそのような気合を入れなければならないのか
疑問に思いつつ振り返ると
(ああ、なるほど)
そばに壁を登るための錆びかけた鉄筋でできた階段がある
触ると如何にもヘモグロビン臭くなりそうな階段だ
そこに高さ1mぐらいの鉄格子の扉がある、厳重(?)に南京錠で施錠してある
そこを乗り越える時の気合だったのだ
(もう65歳なのにまだこういうことするんだ)
と密かに感激しながら俺も後に着いて乗り越える
もちろん「よいしょ」だの気合を入れなくてもこの程度造作も無い
上に登ると小学校の野球チームが練習をしていた
あまりまじまじ見ていないので詳しくは分からないが
キャッチボールやバッティング練習、1千本ノックの類の練習ではなく
ちゃんとした試合形式の練習をしているらしい
対戦相手が自校同士か他校かは知らないが
そして母が「パシャ!パシャ!」と違う角度から数枚撮り終えると
満足気にフェンスを飛び越えて帰っていった
俺も同じように撮り同じように帰る
何となく満足した気分だった
コメント

ああーー

2010-04-13 22:08:29 | 日記
1000字程度分を書きかけた途中でブラウザが原因不明のフリーズ
誰でもたまにあることなのだがこのタイミングでこれは・・・
しかも全部クリップボードにコピーしたはずなのに貼り付けしても
でないという
はぁ、今日はやる気が失せたのでまた明日!

これだからコンピュータは・・・
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