N003の実事求是な日々

基本はゲームの事、後は気になったニュースとか人生観とか
自分の病気の事とか実事求是な記事を書きたいと思っております

山口県10人で3泊4日半の大旅行 1日目 その3

2010-04-06 09:59:46 | 旅行
次に目を開けたときは既に山口県に入っていた
右の窓側に座っていたのだが今はまだ朝の8時で今までは西にのみ向かっていたため
太陽の光は届かなかった
だがもう西にだけ進む必要が無くなったために
車が東西南北あらゆる方向に進み、ついに太陽の光が自分の番に回ってきたのである
太陽の光が瞑ったままの目に眩しく照らされた
「ん・・・」
眩しさと暑さで目を覚ました
(ここはどこだ・・・?)
まず目を引かれたのはここは道路ではないということ
そして目の前には開けた砂のグラウンドがでかでかと存在していた
遠い昔ずっとここに来ていた、そんな既視感が深層心理を刺激する
どこか懐かしい雰囲気を漂わせていたがそこは「違う」のだ
緑の針金をひし形で編まれた野球のファウルボールから校舎を守るための背の高いフェンス、大小様々な大きさの色とりどりの鉄棒、
子供が遊ぶためのアスレチックな丘の上にある長い滑り台、そしてなにやら怪しいコンクリートの台が3つ。
コンクリでできた直方体の土台の上に四角いはんぺんの形をしたまたまたコンクリでできた台があり、
その丁度中心に台の左右を分ける壁のように20~30cmの高さの垂直のさらにコンクリが設置してあった
(後で気づいたのだがこれはコンクリートで作られた卓球台だった)
子供っぽい絵が書いてある高さ2m横幅3m程度のコンクリートの壁、さらにその奥にはプール
その左には体育館らしき建物
草木があることにはあるが全て周囲に植えられており
恐らくグラウンドにも植物の種が落ちては居るのかと思うが
平日は何百人という子どもに蹴散らされるための地面に
わざわざ芽を出そうという根性の据わった奴らがいるかどうかというと
それはNOと言わざるを得ない
未来は絶望的だった
だが稀にだが(恐らく1000束に一つぐらい)強者も居るらしく
芽を出し成長してくる者もいる
そういう一見生命の力強さというものを垣間見せてくれる者に対して
人間は無慈悲にも粛清(全校生徒一斉の草抜きが代表される)の手を緩めない
嘆かわしいことだ
そしてその手前には一番目を引くどこか懐かしいカラーリングの校舎
だがそこにいつも居るはずの子供達は居ない
(それはそうだ、だって春休みだもんな)
と思い撮影用のデジカメを手に長いバンのスライド式ドアに手をかけ勢いよく引き開ける
開けた瞬間、少し肌寒い空気が辺りを占拠した
少し寒いぐらいが丁度いい、そして空気も澄んでいる
今日は快晴だ、雲も空全体の1~2割しか存在していない
まさに日本晴れ、天晴れだ
1段しかない段差を降り、外に出るや否や10人乗りのバンの中にいた子供達は親に靴を履かされて
勢いよくグラウンドの方に駆け出していった
それはそうだ、幼稚園~小学生あたりの年齢の子供が
こんな遊び盛りの遊び盛りによる遊び盛りのため場所を目の前にして
血が騒がないわけが無い
正直一緒になって遊びたいぐらいだ
だが、今は捻挫していてやっと普通に歩けるほどに治ってきたので
ここで悪化させないよう足だけでも静養しなければならない
(まさかこの俺がじっとしているなんて)
と内心色々遊んでみたい遊具を横目で見つつグラウンドの真ん中の方に足を向ける
(ん?)
あたりを見回すように数歩歩くと二宮金次郎
(本名 二宮 尊徳、そんとくと読むのが一般的だが正確にはたかのりと読むらしい)
の像が左手に本を持ち背中に薪を背負い、あたかも「私は勤勉家だ」と主張せんばかりの容貌で歩いているのを模した石像が建っていた

この二宮金次郎像はなかなか興味深い
なぜならこの像はある程度の形は決まっているのだが
左手で本を持っているものと右手で本を持っているもの
(ただし左で本を持っているものが9割以上を占める)
丁稚奉公スタイルは右足前、ニッカボッカは左足前
服装が2種あり、各々で歩行スタイルが決まっている
読んでいる本の厚さも様々で
(最大指6本分の太さ、一般的な英語の辞書2冊分)
足の歩幅まで違う
年齢までもがばらばらなのだ
(身長から割り出すと大体小学1年生~中学生程度らしい)
背負っている荷物の量もまばらだし
(大雑把な計算だと5kg~10kgの荷物らしい、薪の太さもばらばらで
数は11本~60本程度
小学1年生が10kgとは酷だが)
ここまで統一されていない像というのもなかなか
ある意味製作者の創造力が試されるのか?
意図はよくは分からないが、いやそれを考える事自体無意味なのかもしれないが

(二宮金次郎か・・・)
俺はとある人物を頭の中に浮かべていた