N003の実事求是な日々

基本はゲームの事、後は気になったニュースとか人生観とか
自分の病気の事とか実事求是な記事を書きたいと思っております

山口県10人で3泊4日半の大旅行 1日目 その4

2010-04-07 15:33:59 | 旅行
俺の周りで二宮金次郎と言えば父親その人しか居ない
数年前に定年を過ぎた後に某大学院に行き
その過程で二宮金次郎に心を奪われたらしい
その大学院は中退したが(学位は取ってある)
今は二宮金次郎の本を書籍に残そうと頑張っている
挿絵も自分で全て書く徹底振りだ
とはいえ流石に絵のほうは上手いとは言えないのだが
しかしオリジナリティは凄まじい
ピカソと言うほど奇抜な絵ではないが
写実的とは到底程遠い画風だ
どちらかといえばゴッホのがそれに近い
だが上手さが無いために遠近感や体のパーツがぎこちない
しかし風景だけはいっちょまえに画けるらしい
とはいってもアマチュアの上手さだが
ただクレヨンで何重にも色を重ねて更に絵の具で色を重ねる絵には迫力がある
「俺が書いた!」「この絵を見ろ!」と言わんばかりの絵力だ
ちなみにこの絵というのはもともと紙芝居のために作られており
画用紙も横1m50、縦1mぐらいの超大判だ
(記憶が定かではないが1枚300円ほどしたと聞いた覚えがある)
小学校の体育館などで紙芝居を披露するだの息をまいているが
実際はどうなのか定かではない
その絵をもう1年以上かけて60枚近くを一人で画いている精神力は凄まじい
ちなみに俺も少し手伝った
だが1つ情けないのは実は納期が去年の3月なのだ
癌を患って数ヶ月治療に専念していたのはしょうがないとしても
流石にそれはどうなのか、プロではないのでなんとも言えないが
それに出版社とはちゃんと折り合いが付いているのかも謎だ
さらに会社を立ち上げるとかの話もあったのだが
それもあるような無いようなどうも不明瞭なのだ
そしてそれを見て「やはり俺の父親なのか」と少し感じてしまうのも情けない
俺もある部分に関してはかなり優柔不断な部分がある
どこ、とは説明しづらいのだがハッキリする部分とそうでない部分で
行動の差が激しい
まあ簡単に言えば興味があるものと無いものの差みたいなものだが
それが興味のあることにも影響してしまう場合があるのが正直辛いところだ

俺が金次郎の像を見つけて母に
「金次郎がある」と言うと母は
「ああっ!」っと驚嘆の声を述べた

とはいっても小学校に金次郎の像があるのはもはや恒例だ
ここで驚いたのは像があるという事実というより父に関係しているということも
少しはあるのだろうが、今の父と母の関係を知る俺にとっては
この驚嘆の声は何を意味するのか理解の範疇を超えていた
母の行動にはよく理解不能な行動が多い
一言で言えば「ドジ」なのだ、しかも重度の
そしてその半分の血が流れている自分でも自分がドジだと明らかに分かるほど
その「属性」が反映されているのだ
これが良いのか悪いのかは自分ではなんとも言えない

「じゃあこの像と一緒に写真を撮るから来て」
あまりにも唐突な要求に俺は冷静に応えた

写真
数年前まで嫌いなもののTOP10に入っていただろう
カメラのレンズの照準が自分に向けられる度に
どうにか逃れようとする自分が居た
若い時は「思い出」などと言うものは煙たがる人が大多数の意見だろう
この歳になってようやく気づいた
無ければ無いで別に問題ない―
などとはやせ我慢だ、絶対にあったほうがいい
自分自身で気づいたのだがふと振り返る時にアルバムという存在が
今ではこんなに素晴らしいものだったのか、と思わされる
本当に写真に残してくれてありがとうと言いたい
まあもう1つ言えばあくまでこれは主観的な意見、だが

ハイチーズ
などという言葉を発する事も無く母は無言で金次郎像の横に棒立ちした俺をデジカメに収めた
今は周りが明るいのでフラッシュは炊いていない
今まで毛嫌いしていた写真、撮られていると意識しているときは少し不満そうな顔をしていただろう
だが今は普通だ
とはいっても笑顔を作ることはまだできないが
自分の中で笑顔で写真に写る可能性がある場面は、今考えれる範囲内の中で1つだけある
だがそれは心にしまっておこう

そして本来向かおうと思ったグラウンドの中央へまた歩き出した