N003の実事求是な日々

基本はゲームの事、後は気になったニュースとか人生観とか
自分の病気の事とか実事求是な記事を書きたいと思っております

山口県10人で3泊4日半の大旅行 1日目 その12

2010-04-21 23:12:51 | 旅行
「ここで宜しかったでしょうか?」
と、疑問系で言われてもだな
(そこしかあいてねーだろがああああ)
と、アルプスの山頂で絶叫するが如く心の中で木霊を聞いていたが
恐らく相手も分かっているのであろう
俺が黙っていたらそそくさと遠ざかって仕事に戻っていった

さあメニューを選ぼう、とは素直にいかないのが団体行動の日常
まだここには4人しかいないので他の人を待つ
のではなく迎えにいく
祖母は恐らく今頃ようやく車を降りこちらに向かってくる途中だろう
なのでそれの手助けに向かう
とはいっても祖母の周りに3人も大人が居るので逆に店に残してきた
餓鬼のほうがきついな、と思い一人大人が来るまで戻る
20秒ぐらいすると一人来たので俺は祖母の所に行く
そんで俺が来た事により他の二人は各自自分のペースで店に向かう
俺はと言うと祖母の腕を取り二人で他愛のない会話をしながら
毎秒50cmぐらいのペースで店にはいり席に向かう
店に入ると地味に視線を感じるがそんなもの俺のATフィールドがあれば関係ない

そして2分ぐらいかけて席につく、4人用のテーブルを3つぐらい繋げて
即席の多人数用テーブルの出来上がり
ついでにお子様チェアーも2つ用意してもらう
のと思ってたが真輝は月奈の膝の上なので1つだけだ
俺は一番外側の窓側に位置する一番「トイレに行きやすい」場所を獲得

俺は世間一般的に言えばトイレが近い方ではないが
コーシーを飲むとやばい
コーシーを飲むと必ずそれ以上のおしっこがなぜかでてくる
塩をかけられたなめくじじゃないのかと言わんばかりに
これ「も」俺の77不思議のうちの1つだ

さてメニューだ
流石ファミレスだ、どこもなんとなく似たようなメニュー
ここは無難にオムライスだろう
あのふわふわたまごーの上になんか適当なソースがかかってて
まあそのおいしい事この上ない至福の時
時に外国人は半熟卵があまり好きじゃないらしい
日本人はなぜか半熟卵の方が人気なんだがそれが何故かはわからない
そして食事も滞りなく終わ、るわけはない
何せ一桁が5人も居るのだ
それはもう、これは食べれないだの他人の料理のあれが食べたいだの
いきなりデザートが食べたいだのと言いたい放題である
そこは日常茶飯事だろう、子供が妥協するギリギリの範囲と
親が妥協するギリギリの範囲の境界線を押し合いへしあいしている
さて俺は一足先に食事を済ますと唐突に華が
「じゃあ王海私ご飯食べるから藍夏ちゃんみとってくれる?」
ふー、まったくこの旅行中俺は基本的に子守り担当らしい
(全く...)
と、心の中で思いつつもこれもヤハリ経験の1つかな
と、思い頑張って子守をする
しかし、泣いていない時は適当にしてればいいんだが
1度泣き始めるとそれはもう俺にはどうしていいものかわからなくなる
イナイナイバーだの高い高いだの俺は人前で絶対にできない
絶対にできない
そんなことをするぐらいなら全身真っ赤のスーツで名古屋市営東山線、名古屋発、藤が丘駅行きに搭乗する方がまだましだ
そんなこんなでどっと疲れるお食事タイムも終了して
優雅なバスの旅に戻る
自分が動かなくても勝手に動くなんてなんて便利なんだろう
と思う片隅で便利になる反面人間自体が動かなくなり
それは動物から植物などの無移動生物に退化して行っているのではないか?
という疑問を振り払えないまま今夜の宿泊先「秋穂荘(あいおそう)」に向かうのであった
ちなみにここ青江の秋穂なんだが平仮名読みすると「あおえのあいお」と読む
偶然の産物であるが、何となく偶然って偉大だなと思う

山口県10人で3泊4日半の大旅行 1日目 その11

2010-04-21 10:07:32 | 旅行
狭い住宅街の路地を抜け大通りに出て時計を見ると時間は昼頃になっていた
そろそろ腹が減ってきた、めしたいむである
満場一致でこの大通りに面している最寄のお食事処に当てもなく
ただひたすら前進あるのみ
暫くすると見えてきたのは「joufull」
あまり言いたくないのだがどことなくデニーズに似ている気がする
その、看板とか
でだ、駐車場を見るとなかなかの込み具合だ
さながら幼稚園の演劇会があるときの駐車場並みに込み合っている
残り1台空いているかどうか、といった微妙な感じだ
一通りぐるっと1週してみるとなんとか1箇所だけ空いていた
だがこの車は一般的な車の2倍は長いので普通の場所に止めると頭2つ分
突き出てしまい隣の車が出るときにスゴイ迷惑になるのだが
この場合端っこが開いていたのでそのデメリットも解消され
残ったデメリットはバックで入るのが非常に面倒くさいというものだけになった
しらん、俺が運転してるわけじゃない
そして無事自動車講習中のバック駐車練習の様にゆっくりと駐車を終え
餓鬼共の出発の準備を整える
そして華は
「じゃあ王海、花美ちゃんと手を繋いでいったって」
「・・・」
さてここで無言の返事をした事に華はどう思っていたのかは終ぞ知る事はないが
俺はぶっちゃけ花美が苦手なのだ
それは花美に限った事じゃなくて我が儘時代の子供に等しくそうなのだが
普通に鬱陶しい
子供に対して大人気ないだと?俺は大人じゃないのでそこんとこよろしく
特にあのお菓子とかを地団駄を踏んで「買って買って買って買って買って」
などと言って終いには泣き落としを始める子供に対してそれを許容するのは如何ともしがたい

そんなんお前も子供時代そうだったのに何を言ってるんだと思う君
母曰く、「おばあちゃんの躾が凄く上手くって私の姉妹は皆そういうのが一切なかった」
という
で、その「おばあちゃん」は母の子供が(つまり俺、月奈、華)産まれた時から
一緒に暮らしていて、母も父も仕事を持っていたので
子供時代はかなり祖母に育ててもらった記憶がある
そしてその教育思念はその時にも変わらずあったようで
俺の兄弟もそういう地団駄的な事は一切無かったと言う
まさに「素晴らしい」の一言だ
ただやはり万能ではないのだ、その部分では良いとしても
他の部分でおかしい所などはきっとあるはず
と、別に貶しているわけじゃないが
それに自分がしていなくて他人がしてるから嫌だというのも少し違う
我が儘の種類にもよるがあまり好きな人も居ないだろうし

心の中で瞬時に葛藤、「仕方がない」の勝利で心の中で「嫌だ」を追い出す溜息をついて
手を差し伸べる
そして村正と青菜はもう少し大人なので大人と手を繋ぐわけじゃないが
「駐車場で走ったらあかんよー!」
という月奈の声が木霊していた
それを聞いているような聞いていないような
周りに車がなく視界が開けている比較的安全な場所では走り
車と車の間などから出るときは慎重にという行動を取っていた
まあ、あながち間違っていないけど

ちなみに俺はこういった注意は殆どしない
俺が子供に注意するときもあるがその時は注意するというより
怒るという表現の方が正しくて、しかもその怒り方はかなりきついので
本当にしてはいけない事をした時だけ注意する(怒る)
俺は母親から放任主義的な育て方をされたのもかなり色濃く残っているだろう
俺の母は確か俺が小学低学年ぐらいの時までは逐一注意していたのだが
ある時俺と友達と母と3人で結構遠い公園
(遊具が沢山あり山まであっただだっ広く豪華な公園、わざわざ遠出して行く価値があるほど魅力的な場所だった)
の行きか帰りか忘れたけがそこで俺と友達がもうわざわざ危険な場所に行って
それを後ろから「そんな場所には行かないで」だの「危ない」だの言おうと思ったらしい
が、そこで「あかんあかん、こんな事を言ったらこの子達の可能性を縮めてしまう事になる」
と思ったらしくもう俺が「死んでもいいから自由にさせる」という理念を貫き始めたらしい
一見、それはあまりにも
と思うかもしれないがそれのお陰で自分で失敗を繰り返しながら「何が危険か」という事を考えるようになったし
見事な変人が誕生した訳だ
実に素晴らしいエピソードだ
自分で考えるという事を子供に教える教育をしてない場合
これはかなり危険な行為だとは思うけども

そして村正と青菜は既に入り口に居る
そこにあるポスターが気になったか二人でなにやらしている
俺がついたときにはそのなにやらは既に終了していて
猫が猫じゃらしに飽きてどこかに行くかのような飽きっぷりでポスターから離れ
俺の前に来てドアを引き
・・・・・・・・開かない
押して中に入った
ら、またドアがあり次は「引く」という字をちゃんと確認して
一発認定
そして席の具合を見てみると
興行収入何十億という超絶ヒット映画の上映初休日並みの映画館を彷彿とさせる混雑
(やだなぁ)
と大都会の地下鉄に乗る時の様な気分に浸りつつ
「何名様ですか?」
という問いに対して
「10名、大人5人、子供5人です」
と冷静を装った俺は
「では、こちらにどうぞ」
と言われ
(なんだ、空いてるのかよ)
と心の中で唾を吐きながらその店員の後を
ストーカーよりは清楚に、ドレスショーのレッドカーペット上を歩くモデルよりたどたどしく
着いていった