N003の実事求是な日々

基本はゲームの事、後は気になったニュースとか人生観とか
自分の病気の事とか実事求是な記事を書きたいと思っております

山口県10人で3泊4日半の大旅行 1日目 その5

2010-04-08 21:16:05 | 旅行
遠くで「わーわー、きゃーきゃー」という声が微かに聞こえる
200mほど距離があるグラウンドの反対側で3人の子供が
無邪気に走り回っている
甥Aと姪Aと姪Bだ

このままAだのBだの呼んででいくのもちょっと不憫なので偽名でもつけておく
祖母、母、姉A、姉B、自分、甥A、姪A、姪B、姪C、甥Bの順に
珠子、春子、月奈、華、王海、村正、青菜、花美、藍夏、真輝、読み方はどうでもいいので省略
あ、俺の名前は偽名ではないが

このグラウンドに設置されている遊具の中で取り分け目立つのはやはり滑り台だ
普通の滑り台とは訳が違う
何が違うのかと言うとまずは滑り台単体ではない
前述したが滑り台の下は高さ2m、直径3mほどの小高い丘になっており
その上に滑り台が設置してあるため
長さが相当ある、5mぐらいはあるのではないか
そしてその丘もただの丘ではなく
「ここを登ってみせろ若人よ!」と言わんばかりの挑発的なつるつるな部分と
「ここを昇るんだよ若人よ。」と言わんばかりの親切感溢れるごつごつした部分と
「ここを登って下さいお願いします若人様。」と言わんばかりの木で作ってある階段がある
男の子というものはやはり難しいものに興味があるはずだ
勉強はともかくとして
村正は「王海!ここ登れる!?」と言いながら少し助走をつけて加速する
「俺は登れるよ!」と言いながらつるつるな部分を駆け上がる
登り始めてすぐに少しバランスを崩したがまた立て直しなんとかギリギリで上がりぬけた
すぐに振り返り「次!王海!」と俺に挑戦状を叩きつける
本来なら「そんなの余裕にきまっとるやん」
と言いながら加速も無しで(ここらへんが負けず嫌いだが)上がる事も可能だろう
だがやはり、足を無理することはできないので
「多分無理だ、今回は村正の勝ちかな」と、一見大人びた返事をする
内心(この足さえ完全な状態ならお前なんて...)と思っているとは露知らず
村正は9才だ、こんな子供に大人気ないと思うかもしれないが
年なんて関係ない、負けたくないものは負けたくないそれだけだ

村正は俺のことをためぐちで名前も呼び捨てで呼ぶ
無論それは村正に限った事ではなく全ての甥と姪は俺にためぐちで
呼び捨てなのだ
それには理由があって「俺は絶対におじさんなんて呼ばせない!」
と、心に誓ったから
そしておじさんと甥、姪なんていう関係も嫌だった
友達がいい
ただそれだけの事だった
でもそれのおかげで皆俺のことを友達みたいな感じで思ってくれて凄く気分がいい
敬語なんて持っての外だ、だって本当の意味で気兼ねなく仲良くなれないではないか

そして次はそれを見た青菜も挑戦する
村正と同じ程度の助走をつけ一気に駆け上がる
2、3歩程度までは順調だったのだが加速不足だったためか途中で滑り降りてきた
俺は(まだ挑戦するのかな?)と思っていたら一度きりで
簡単なごつごつな部分を登っていった

兄、妹と言う関係でしかも年が近いと
しょっちゅう暴力沙汰の喧嘩もするのでかなり肝の据わった妹が出来上がる
だが青菜は男勝りという感じでもなく、普段の動作は女の子なのだが
これが我慢強いというか、普段兄にぼこぼこにされているので
ちょっとやそっとじゃ泣かないしわがままもほとんど言わない
ちなみに6才だ

俺はというと姉、姉、俺という関係で、しかも二人とも10才、8才も年上なので
自我が目覚め始めた頃には二人とも中学生、高校生だ
二人とも高校を卒業するや否や一人暮らしで大学に通い始めたために
俺が小学5年生の時には一人ぼっちになっていた
ほとんど一緒に暮らした記憶も無い
ただ本当に小さい時は俺の面倒をよく見てくれて
母曰く「親替わりに面倒を見ていた」だのとそんなのでいいのか?と思うような事も言っているが
別に家事育児を放棄していたわけじゃないのだが
母親が家事をしている記憶が俺には無い

今もなのだが母は「一生仕事に生きる人」の見本ともいえるような人なのだ
休日は俺がどこかに行こう、などと言わない限り常に何か仕事している

本人は「何言ってるの、晩御飯も週に1回みんなで交代で作ってる時もあったし」
などと言っているが俺はというと「うーん・・・」と海馬の全細胞をフル活性化させても
「そうだっけ?」と、ほとんど思い出せない
確かにエプロン姿の母はどことなく思い出せるのだが

そして次は花美の番だ二人のあとを追うように同じように助走をつける
だがつるつるの部分に足をかけるかどうかその瞬間、青菜の言葉が花美の行動に
変化をもたらした