N003の実事求是な日々

基本はゲームの事、後は気になったニュースとか人生観とか
自分の病気の事とか実事求是な記事を書きたいと思っております

山口県10人で3泊4日半の大旅行 1日目 その9 ver1.01

2010-04-17 21:56:42 | 旅行
次の目的地は本日のメインイベント
実に母と祖母が小学校2年から6年まで暮らしていたという
母曰く「子供時代の最全盛期」
私の全ての根源がそこにあると言わんばかりの重要な人生を送った場所だ
その当時の状況を一言で言い表すと「死ぬほど楽しかった」
死ぬほど分かりやすいではないか
今現在母は地球の裏側から見たとしても仕事人だ(必殺ではない)
休みの日でも仕事、平日でも仕事仕事
ただ、休みの日に俺が山登りに行こうとかそういうことをいうと
結構付き合ってくれるのだが
外から何かしら干渉を受けない限りはとりあえず仕事
俺からすると確かに自分のやりたい事が仕事ってのは凄い楽しいと思うし幸せだと思う
でもその状態になったことがないのでかもしれないが
なんというか「なんで遊ばないの?」という疑問は拭いきれない
そもそも世間一般的にいう「友達」って見たことが無い
母曰く「いるよ....一人か二人ぐらい?」みたいな曖昧な返事しか返ってこない
俺としてはそんな状況はありえないのだがそこでこの場所の意義が出てくる
死ぬほど楽しかった―
自分が子供時代に想像(創造)し得る遊びを全て自分達で考え実践する
とのことだ
その中でも特に絶賛しているのが演劇だという
自分達で役割を決めて家の周りに居る子供達を一堂に集結させて
てんやわんやでするらしい
今の子供達からするとまずありえないだろう
しかし昔は何も無いのだ
与えられた遊びをただするだけの子供と
何も無い環境から脳のニューロン140億個をフル活動し、化学シナプスを最大限活用する
子供時代にこんな遊びを毎日毎日していたらどうしてニートができようか
恐らく何もしていないなどという状態が苦痛で苦痛でしかたがない人間ができあがるだろう
もちろん母がそうだからそういえるのだが
そしてその中の一言は凡そ俺には理解しがたい事なのだが
なんとなく言っている意味は分かる
その言葉が「あの時に全ての力を遊ぶ事に注いだからもう遊びたいと思わない」だそうだ
俺の中では遊びたいという欲に限界があるとは思えないのだが
小学2年から6年の4年間で母は一体どれだけの心血をそこに注いだか
それはどれだけ言葉で語り尽くしたとしても本人しか知りえないのだろうが
兎にも角にも今の母の全てはこの場所から始まったといっても過言ではないのだ
そして、そのお陰で今の俺が居る
俺視点での母を一言で言えば「普通に異(偉)人」なのだ
今の母が俺の母でなければ、普通のお母さんの元に生まれてきたならば
俺はこんな人間には確実になっていなかった
それは今の俺が思うに確実に悪い事だ
普通の親の下に生まれるなんてありえない

子供の頃から物理学者を親に持つと普通の母親が応えてくれない不思議を
逐一説明して生徒に話すように分かりやすいように
俺のレベルを考えたうえで話してくれる
やれ熱力学の第二法則がうんたらかんたら
やれ粒子1粒を二つ穴の開いた板の前に置いて
後ろからその板に向かって打つとその板の向こうにたどり着いた時に
どっちを通ったか観測できない装置で試すとどっちの穴も通った形跡があり
どっちを通ったか観測できる装置で試すと観測するのに光子を当てないといけないのだが
それが当たると純粋な観測ができずにほとほと困っている事
パラレルワールドの話で
もし未来が枝分かれするならどの時点で分かれるのか
普通に考えれば俺が今右手を動かしたけど左手を動かす場合もあるかもしれない
とか自分視点でもいくらでもあるのにそれが
全ての人間、地球上の全ての生物、無機物、はたや
粒子一つ一つまでランダム性がありそれが宇宙全体にことになってくるともう
頭がおかしくなる
もしそうだとしても時間の最小単位があるのか無いのかもわからないし
0.00000000000000000000000000001秒だとして一体どれだけの未来が今までで派生しているのか
タイムトラベルの話もよくするな
過去に行くとする、例えば自分が生まれるはずの無い時間に行くとして
それでもしこの時間軸が一本しかなく時間がぱらぱら漫画のように
1枚1枚の平面が無限に重なっているとする

これを無視するとパラレルワールド理論が発生しどの時間軸のどの時間というのすら曖昧になりもはや秩序も時間も今も過去も未来も何も無いただの静止時間の連続としてしか存在しなくなり
連続性が失われ時間そのものの意味も無くなる気がする

そうするとその瞬間からまず自分が「元居た時間」から「飛んできた時間」に移動した事になる
それで、つまりその「今の時間」は「元居た時間」より過去なわけで
「元居た時間」にそいつは「飛んできた時間に」...........
あれ?
いや、少しちょっと自分で言っていて矛盾が発生しない事に気づいたが
やはりおかしい事がひとつある
なぜその「タイムとラベルをした人間」を中心に時間が動いているか
それは自分を認識できるのは自分だけであってつまり物語りとしては
第三者としてタイムとラベルを見ているからおかしいわけであってつまり
自分自身だけが飛んだとすると......
.......................
自分の時間は自分を中心に回っているに違いない
ということは.....技術的に無理だったとしても矛盾は生まれないのか?

いや、自分が生まれている時間に飛んだとすると...
そこの時間には自分が二人居るがその1つ先には自分が一人しか居ない未来があって
自分が「飛んできた時間」の場所には時間の最小単位分だけ「元居た時間」から「飛んできた時間」に毎回タイムとラベルしてだな
つまり...
未来には何の影響も無いのだ
というより「もと居た時間」のその瞬間の時間が継続された未来には自分が居ないが
その1つ先の未来にはそうじゃない未来が....
いや、そもそもそんな一瞬で未来に行くとかいかないとか決まってないし
そもそも時間軸の先頭はどこだって話だ
もし今俺たちが感じている時間こそが最先端だとしたら
そうだよ!
そこから先の未来にはページが無いはずだ
なので当然未来にはいけないし
だってもし俺たちの居る時間が最先端じゃなければ
未来からタイムマシンに乗って誰かが来ても...
まあそれは技術的に無理なのだとは思うが

しまった、つい熱くなって旅行と全く関係の無い事を
とまあ....(汗)
こんな話もたまにするわけだ
で、なんだった?(汗)
長くなりすぎたのでえっと...
とにかく、その家にたどり着いたのである

それにしてもこういうことを考える時に俺はつくづく
「ああ、物理学者の子供なんだな」と深く感心するのであった