2023年12月8日(金)
安寧天皇陵からイエス・キリストの墓までと、綏靖天皇の墓までは、共に119.4㎞と同距離です。
この事実は、間違いなくイエス・キリストの墓と嫡男である綏靖天皇の墓の位置を知り得るものが、安寧天皇陵の位置決めをしていると言えます。
詳しくは・・noteに書いていきます。
2023年12月8日(金)
安寧天皇陵からイエス・キリストの墓までと、綏靖天皇の墓までは、共に119.4㎞と同距離です。
この事実は、間違いなくイエス・キリストの墓と嫡男である綏靖天皇の墓の位置を知り得るものが、安寧天皇陵の位置決めをしていると言えます。
詳しくは・・noteに書いていきます。
2023年11月15日(水)
11月17日は、大国主命=イエス・キリスト=神武天皇=大黒天・・まだまだ沢山の呼び名を持った人なので、大名持命(おおなもちのみこと)とも呼ばれたりもする人の命日です。
その人を祀る陵が、奈良県橿原市にあります。神武天皇陵です。そしてその陵に隣接して、その方の長男である綏靖天皇を祀る陵があります。
なんと、ここからイエス・キリストの墓までと綏靖天皇の墓までは同距離で二等辺三角形を描きます。
そろそろこの国の方々は目を覚まさないといけませんよぉ。今、中東で起きているイスラエルとパレスチナとの紛争の要因は、ここに起因しているのですから・・。
2023年10月6日(金)
何かが気になって仕方が無いので、綏靖天皇の墓と白毫寺とを結んで、そのラインを遥か西へとラインを伸ばしてみました。
そして今度は、天王山と再度山大龍寺とを結んで、そのラインを遥か西へと伸ばして二つのラインが交わるポイントを見つめると・・!
するとそこに、『天道法師塔』という文字が浮かび上がりました。
私が初めて目にする文字でした。天道法師という名も初めて知りました。
便利な世の中ですねぇ、・・いつも感心しっぱなしです。その地点をグーグルマップで調べると、そこの写真も沢山出てきます。
その塔は、行基の土塔や玄昉の頭塔、そして吉備真備の熊山遺跡などと同じように石を積み上げて塔を形成しています。
・・と言うことは、重大で大きな意味を持っていることは確かです。
・・それで、中心ラインはどこから延びているのかを求めると、草壁皇子の墓が浮かび上がりました。そしてそこから西へと行くと、姫路の「随願寺」が浮かび上がります。
これらの情報から、天道法師は・・、三国時代高句麗出身で「日本世紀」を著した僧侶、『道顯(ドヒョン・どうけん)』ではと思う私です。
日本と朝鮮半島との古代史が浮かび上がってくるようです。
2023年10月4日(水)
久しぶりに紀貫之様の登場です。
紀貫之も白毫寺の秘密を知っていましたねぇ。
一言主神が誰かも彼が教えています。
一言主って誰でしょう!?・・って、紀貫之様からの問題です。
以前私は勘違いしていましたが、ここにきてやっと一言主が誰かを流れの中でハッキリと教えられています。
それにしても・・、紀貫之墓がある場所って誰が考えても「おかしい?と思いませんか」・・なんですねぇ。
「どうしてそんなところにお墓を造ったんですか」ってね、そう言いたくなるでしょう?
下の図形は、白毫寺 一言主神社 天王山・・そして綏靖天皇の墓です。
赤い星マークのところが紀貫之の墓ですが、そこから二つの二等辺三角形が描かれています。
蝶々が羽を広げて飛んでいるようにも見えます。
2023年7月8日(土)
6日夕方‥、食事を済ませて自宅に帰るなり寝入ってしまって・・、目を覚まして真っ先に視界に飛び込んできたのは、静岡の橋桁落下事故のニュースだった。
「ありえないミス」業界に広がる驚き 固定直前に橋桁落下か 静岡
そして私はとっさにパソコンの地理院地図と向かい合っていた。
それから2時半ごろまで、その事故の意図を求めていた。
そして、いつもより30分ほど家を早く出て、JR六甲道駅からJR芦屋駅まで行ってタクシーに乗り込んだ。
行った場所は、今日行く「天王山」と、その磁北に位置する綏靖天皇の墓とを結んで求められる2:1:√3のポイントだった。
「そんなことがあるのだろうか・・」と、だんだんとそのポイントに近づくタクシーの中で思いにふけっていた。
そして・・9時過ぎには現場に着いた。
私は、「すみません、ちょっと待っててもらえますか」と言って、開いたドアーをいったん閉めてもらって、落ち着くように自分に言い聞かせてコアロッドに金のチェーンを取り付けた。
そして・・、タクシーからゆっくりと・・降りた。 つづく
2022年11月14日(月)
イエス・キリストの墓とイエスの長男である綏靖天皇の墓との二点でタレスの定理から、直角三角形となる地点に何があるのかを見ていくと、日本武尊陵、応神天皇陵、仁徳天皇陵が存在しています。
これは偶然でしょうか。 そんなことはありません。 それらの天皇陵を造営したときに最大に意味ある場所にポイントを求めたということになります。要するに、イエスの墓と、その長男である綏靖天皇の墓を知っていたということです。
2022年10月29日(土)
孝謙天皇の墓参りに行ってから、綏靖天皇の墓とイエス・キリストの財宝の在りかを私は教えられた。
財宝の在処の石室の大きさは、33mの長さの前部に4m、後部に4mあり、石室の大きさは20m×41mあり、黄金は20m×33mを計測しました。まるでフットサルコートが石灰岩質の岩山に造形されている様相でした。 内部を見てみたいものですねぇ・・イエス・キリストの財宝を。
2022年10月28日(金)
イエス・キリストは初代神武天皇でした。そしてその長男が、第二代綏靖天皇でした。
先日、孝謙天皇の墓参りに行ったことで、綏靖天皇の墓の場所を教えられました。
綏靖天皇の子が第三代安寧天皇でしたが、その安寧天皇陵からイエス・キリストの陵墓までと綏靖天皇の墓までは、共に119.37mと全く同距離で二等辺三角形を描きます。 見事です!
明日29日は、大勢の人達と山口にある空海さまのお墓参りに行きますが、空海さまの系譜をたどれば、このお三方にもたどり着くということを空海さまは、私達に教えているようです。
そしてそれは、「皆さんも同じですよ」と言われているようです。 そのようなことで、明日の日にギリギリ間に合ったようです。