2024年4月2日(火)
昨年の9月4日に私は、湯村温泉の「井づつや」さんで、最澄さまの掛け軸の姿を前にして講演をしました。
それから不思議なことが連続的に起き、導かれて円仁さまの墓を教えられ、そして又、最澄さまのお墓をフェニックスコードで教えられました。
円仁と最澄と吉備真備の墓は直角二等辺三角形を画いています。その三ヶ所ともコアロッドで石室を捉えました。
彼らが行ったことが今、この時代に表にでるのではという予感がする私です。
2024年4月2日(火)
昨年の9月4日に私は、湯村温泉の「井づつや」さんで、最澄さまの掛け軸の姿を前にして講演をしました。
それから不思議なことが連続的に起き、導かれて円仁さまの墓を教えられ、そして又、最澄さまのお墓をフェニックスコードで教えられました。
円仁と最澄と吉備真備の墓は直角二等辺三角形を画いています。その三ヶ所ともコアロッドで石室を捉えました。
彼らが行ったことが今、この時代に表にでるのではという予感がする私です。
2023年9月12日(火)
9月4日(月)湯村温泉「井づつや」での天台宗の講演に呼ばれたのは、天台宗第三代座主「円仁」の仕掛けのようです。
私は私の講演が終わるや、浜坂駅まで巖山寺の御住職に車で送ってもらいました。
その間に、いろいろと地域のいわれを教えてもらいましたが、その中でも、「巖山寺という名前は、日本で一つしかありません」・・と言われます。
又、「山の上には、お寺が12房も昔はあったと聞いています。そして天領も在ったとのことです」と教えてもらいました。
これらのことは、非常に重要な内容であることが響いてきました。
それで・・詳しくフェニックスコードを駆使すると・・・! 円仁の墓と響いてきます。
広渡廃寺跡から円仁の墓までと横川中堂までは同距離で二等辺三角形を描きます。
んん~~ん凄い!! 湯村温泉を開いた円仁の墓が新温泉町に在ります!
2023年9月7日(木)
9月2日(土)東京ライブを終えて翌日は、午後から「特急スーパーはくと」に乗って鳥取駅まで行って、普通列車に乗り換えて「浜坂駅」で下車しました。
駅には、正福寺の御住職様が出迎えに来てくれていました。そして新温泉町の湯村温泉へと行きました。
泊まったお宿は、主催者様のご配慮で「朝野屋」さんでした。
そして翌朝4日の9:00には、講演会場となった「井づつや」さんに行って、会場でパソコン・プロジェクターの接続などの設営準備を行いました。
プロジェクターとパソコンを接続するコードが無かったりで、準備にかなり慌てた状態でした。
前日から湯村に行ってて良かったなぁ~と思った次第でした。
私の講演時間の1,2時間前に行ってたら、到底、パソコンは使えない状態で、頭はパニック状態に陥っていたという感の状態でした。
「井づつや」さんには、ツアーで皆さんと一緒に泊まったこともあったりして、私の講演開始時間の3時まで、かなりの時間がありましたが、ロビーで中庭を眺めながらその時のツアーのことを懐かしく思い出していました。