かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

高良神社入口右手の小山は早良親王の墓である

2020-12-03 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2020年12月3日(木)

11月22日(日)私は橘嘉智子さんのお墓参りへと行った。

そして、行ったことで、「一刻も早くお父さんに会いたい、連れてって!!」と言ってるような気がして、

翌日23日(月)高良神社・石宝殿古墳へと行って、最後、引っ張られるようにして小山の方へと行って、役行者が目に飛び込んできた。

そして横に不動明王。ましてやその横に妙見大菩薩の文字。

これはもう私の特製のゼロ磁場Lロッドを組み立てて、調査を開始しました。

なんと! ロッドはすぐさま反応しました。

実はこの場所こそ、石宝殿古墳の東西の長いトレンチラインです。橘嘉智子さんのお墓とをつなぐラインです。父と娘の嘉智子を結ぶラインです。

父とは・・、桓武天皇の実の弟で、長岡京の造営責任者の藤原種継の暗殺に関与した罪により廃され、絶食して没した早良親王こと崇道天皇でした。

妙見大菩薩の石碑の後ろの大木の下には、地底22m下に3.5m×4.5mの石室が存在する。

石室の向きが教える先は、2:1:√3の基本形の直角三角形である、春日宮天皇妃陵と平等院鳳凰堂である。

この二つの地点は大いに意味があり願いでもあるようです。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高良神社で願うは、「次、生まれ変わってきたら長生きしてくださいね」

2020-12-02 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

12月13日の橘嘉智子さんのお墓参りツアーは、募集人員に達しました。

これからはキャンセル待ちとなります。ありがとうございました。

 

2020年12月2日(水)

寝屋川市の石宝殿古墳の入口には、高良神社がありました。

高良(こうら)神社で手を合わす先は、琵琶湖の東湖畔にある長命寺です。

ここで手を合わす願いは、そのもの「長命」です。

次、生まれ変わってきたら長生きしてくださいね」と誰に語りかけるのでしょう。

誰に・・!??  そのお方とは・・。  つづく

高良神社へ上がる右手の道をまっすぐ行くと、すぐそこに石宝殿古墳があります。

長命寺名草神社と高良神社は、直角三角形を描きます。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寝屋川市の石宝殿古墳が教えることは、橘嘉智子の生い立ちでした。

2020-12-01 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2020年12月1日(火)

11月22日(日)JR奈良駅に10時の待ち合わせで、藤本さんの車で橘嘉智子さんのお墓参りに行った。

山での先導役はいつも武部さんである。

平坦な山ほど危険であり注意を要すると武部さんはいつも言う。私もそう思う。

登りは一点を目指すのでまぁ問題ないが、頂上から下りる方角を少しでも間違うととんでもない方へと行ってしまう危険がある。

武部さんが同行してくれることは非常にありがたく感謝している。

無事お墓から駐車場へと帰り、その足で三笠山山頂へと行って、そこでも山頂の古墳の調査をした。

三カ所に石室があることが分かった。そして山を下りて、ちょっと空海寺へ立ち寄ってもらった。

連休で秋深まる奈良東大寺付近の道路は大変渋滞していた。そしてそこから、牧浦さんに教えてもらった龍田大社へと行って、JR王寺駅から神戸へと帰路に着いた。

家に帰ってから、その日現場で計測して帰った角度を地理院地図に落としていくうちに・・、何か気になる、気がかりな場所が浮かんできた。

それは、前々から不思議な石組で、寝屋川市にある『石宝殿古墳』だった。

どうも私には、その石宝殿古墳が橘嘉智子に深い関係があるように思えてしかたありませんでした。

それで次の日、23日連休で休みなので気になるその石宝殿古墳に行くことにしました。

その古墳から車でさほどかからないところに、この不思議物語の最初の頃、いろいろ教えてくれた松重さんに電話してみると「いいですよ、駅まで迎えに行きます」と言うことで、古墳の入口である高良神社まで連れて行ってもらいました。

知らない人が車で行っても悲鳴をあげるような道でしたねぇ。事前に良く調べて、車は軽でなければ入れない細く狭い道でした。

寝屋川市の石宝殿古墳が教えることは、橘嘉智子の生い立ちでした。

どうも私に、「一刻も早くお父さんに会いたい、連れてって!!」と言うことのようでした。 ・・つづく

図面に記入された角度は、コンパスグラスでの角度です。

図面は、1990・3 寝屋川市教育委員会がまとめた文化財資料14『石宝殿古墳』より引用させていただきました。

                         

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

橘嘉智子さんのお墓の遥拝の山から墓に向かって祈る先には龍田大社があった

2020-11-30 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2020年11月30日(月)

巨大な金魚のコンターラインで造られた橘嘉智子の墓への遥拝の山は、墓から北東の方向にある286mの山である。

この場所からお墓に向かって祈るその先に、ピタリと龍田大社がある。

それで23日(日)、嘉智子さんのお墓へ行ってから、龍田大社へと行った。

社は私には、どこか人々を寄せ付けないような重苦しいような感じに思えた。そしていつものようにコンパスグラスで神社の角度を計測して帰った。

そしてその角度から分かったことは、社で手を合わす先には、イエスの墓を教える大事なベンチマークの島である、「上島」。

そしてその先には、イエス終焉の地である備前の」「穂波」、そしてその先がイエス王家の方々の陵墓である岡山市瀬戸町にある」「天神山」でした。

そして、龍田大社と天神山と徳島市の忌部神社の上にある妙見山の三点が、正五角形の一部をなす36度54度90度の直角三角形を描く配置になっていることには強い計画的配置であることが推測できる。

龍田大社を見てから、藤本さんに送ってもらった最寄りの駅は、私には初めてとなる王寺駅だった。

なぜか気になる『王寺』の文字でしたが・・。

                   

        

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石室の向きから重要地点を割り出せる

2020-11-28 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2020年11月28日(土)

橘嘉智子さんのお墓の石室をスキャンすると、大きな石室が浮かび上がりました。

そしてその石室の向き(角度)を知ることで、そこから重要地点を割り出すことができます。

嘉智子さんの石室が教える重要な場所は、鎌ヶ岳(滋賀県甲賀市)と天蓋山(京都府京丹波町)です。

この三点は、ケプラー三角形を描いています。いかに重要かを押しています。

また、鎌ヶ岳と言えば京都府南丹市にも鎌ヶ岳という重要な山があり、そこからもう一つの鎌ヶ岳とを結んで、タレスの定理から重要な点を求めると・・。

高麗寺跡という場所が浮かび上がりました。鎌ヶ岳 鎌ヶ岳 高麗寺跡で、3:4:5の直角三角形『大矩』を描いています。

『高麗寺・・高麗』に大きな意味があることが理解できます。 

藤原鎌足と高麗が教えるもの・・、それは鎌足のルーツと私には響いてきます。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

募集人員23名 12月13日(日)橘 嘉智子さんのお墓参りツアー決定!

2020-11-27 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2020年11月27日(金)

12月13日(日)ふかふかの落ち葉のじゅうたんを歩いて、橘嘉智子さんのお墓参りです。

そして三笠山山頂からもう一度、嘉智子さんに手を合わせていただきます。

お参りの後は山を下りて、奈良ホテルで宴会(直会)です。

地域共通クーポン3.000円がついて お支払い実額14,950円です。

募集人員23名です! お申込みは、T.T.C 迄


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若草山山頂の古墳には三つの石室が存在している

2020-11-26 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

28日今週の土曜日、京都です!

2020年11月26日(木)

橘嘉智子の墓参りから駐車場へと戻って、その足で若草山山頂へと行きました。

奈良盆地が一望できる素晴らしい大パノラマが楽しめるところでした。

そしてそこには、鶯塚古墳があった。

私の目には、鶯塚古墳に行く手前のこんもりとした場所も古墳に映ったので、特製のゼロ磁場Lロッドで調べてみました。

すると・・やはり!  3.5m×5.5mほどの石室をキャッチしました。 石室の土間天までは地表面から12mでした。

そしてそこから鶯塚の方へと行った場所にも小さな石室があることも分かりました。

そしていよいよ、鶯塚古墳では、石碑の手前に、4.5m×6mの石室が存在し、土間天は地表面から13mでした。

三つの石室共に、長手方向を真北に向けて造営されていました。

 

12月13日(日)のツアーは、橘嘉智子さんのお墓へ行った後、この場所に来ますよ~!

こんもりとした場所の下12mに、3.5m×5.5mの石室が存在しています。

上の写真の中央向こうに見える山が橘嘉智子さんのお墓です。

     

子供さんが居てる下に、4.5m×6mの石室が、13m下に存在します。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第52代嵯峨天皇の皇后、橘嘉智子の墓の墓は大ピラミッドであり、石室も巨大である

2020-11-25 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

12月13日(日) 橘嘉智子さんのお墓参りツアーを計画しています。

新大阪駅出発10:00で、奈良方面の方は、JR奈良駅10:55発の予定です。

帰りは、新大阪駅18:30着予定です。

GoToトラベルの関係により発着が変更になるかもしれません。詳しくは正式発表までお待ちください。

2020年11月25日(水)

22日(日)橘嘉智子さんのお墓参りに行ってきました。

奈良の若草山山頂からコンパスグラスで90度方向に940m行った場所にお墓はありました。

長さ400mの金魚さんのコンターラインの目に当たる場所が墓です。

石室は下図の通り、7m×8mはどで、山頂部より49m地点が、石室の土間天です。

間違いなく、ピラミッドです。石室がどのようになっているのか見てみたいもです。

                             

林の向こうに見える山が嘉智子さんの墓です。お墓までは落ち葉のじゅうたんが続いていました。

橘三千代、光明皇后、橘嘉智子、お三人方の墓は、2:1:√3地点に造営されていましたね。

そして石室は、全て大きいですねぇ。 内部を見てみたいものです。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空海寺で手を合わす先は橘嘉智子の墓である

2020-11-24 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2020年11月24日(火)

空海と第52代嵯峨天皇の后、橘嘉智子は大変信頼し合っていた仲であったように響いてきます。

空海寺で手を合わす先は、長さ400mほどの巨大な金魚さんのコンターラインの橘嘉智子さんのお墓でした。

キッチリ金魚さんの目(墓)に手を合わすようになっていました。

11月22日(日)にやっと空海寺へと行くことができました。

空海寺へと行く前に、橘嘉智子さんのお墓へと行きました。 つづく・・

     


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十字架と金魚、二人の皇后の人生観がお墓の形に現れているようです

2020-11-16 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2020年11月16日(月)

奈良の若草山の東裏手に長さ400mほどの大きな金魚が造営されていますが、これは52代嵯峨天皇の皇后、橘嘉智子の墓です。

この場所を教えるのに四つの直角三角形でその場所を教えています。

又、光明皇后の地下神殿と橘嘉智子皇后の二カ所を守り教えているのが、岩阿砂利山の仏岩と、廣峯神社の磐座です。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

橘三千代の墓と、光明皇后の墓と、橘嘉智子の墓は、2:1:√3の直角三角形を描いている

2020-11-13 05:16:26 | かごめかごめの真実とは

2020年11月13日(金)

下の図形は、橘家で超有名な女性お三方の墓です。

三点は、2:1:√3の直角三角形を描いています。

 

下は、橘三千代の墓です。

地下空間は、南北に8m×11mほどの長方形の玄室で、そこへは幅2mほどの参道が南から30mほどありそうでした。

 

 

下は三千代の子、光明皇后の地下神殿です。

これは世界最大のピラミッドであることが遠からず実証される日が来ることでしょう。

下は、52代嵯峨天皇の皇后だった橘嘉智子の墓です。

橘三千代から四代目が橘嘉智子です。

ゼロ磁場Lロッドコアを持って、地下空間がどれだけあるのかを調べにいかなくてはと思っています。

「武部さん、嘉智子さんが首を長くしてお待ちのご様子ですよ~」

「やっと私の番が廻ってきたようじゃ、何!?空海殿も来られるとな!」と、嘉智子おばさん。

もう、ソワソワ、そわそわしておられるご様子です。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日香の秘密

2011-08-18 12:53:06 | かごめかごめの真実とは

2011年8月17日(水)

大峯山から下山して宿に帰ったのが午後12:30前でしたから、朝5:00出発してちょうど7時間半ほどかかっていましたね。 汗だくの身体を温泉でさっぱりと流して、そして次は、天河神社へ。

Dscf4105 Dscf4106 Dscf4109 Dscf4108 Dscf4107 Dscf4104

水の神様、天河大弁財天様へお礼を申し上げて、それから明日香村の橘寺(たちばなでら)へ。

橘寺は、聖徳太子様のお生まれになった所で、当時はここに、橘の宮という、第29代欽明天皇の別宮があったということですが、私には、第52代嵯峨天皇の皇后橘嘉智子との何か隠された秘密があるのではと気になってしまいますねぇ。

Dscf4116 Dscf4110 Dscf4114 Dscf4112 Dscf4113 Dscf4115 Dscf4111

最後は、石舞台古墳でした。

石舞台古墳は大まかには南南西を向いていましたね。この方角には国王神社があります。そして

ここ石舞台古墳と、淡路島の中央に位置する先山と、段ケ峰とを線で結ぶと、先山を基点として直角二等辺三角形にきっちりとなるのは偶然?でしょうか。段ケ峰には大きな龍(玄武)がありますが、そこ段ケ峰はユダヤの十支族のダン族のお墓であると私は推測していますが・・、どうでしょうね。

空海様が行ったであろう場所を慌ただしく歩き、走りまわった一日でした。

Dscf4125 Dscf4124 Dscf4119 Dscf4118 Dscf4117 Dscf4123 Dscf4120


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする