kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

天才は忘れないうちにやって来る。

2018-02-17 20:22:26 | どこまで続くかこのブログ

  オリンピックでは羽生が「羽生復活」と報じられ、今日金メダルを手にしました。一方、将棋界では羽生(永世七冠羽生善治)が、今日は中学生棋士藤井聡太五段の名を輝かせる役割を果たすことになりました。

まずこの記事(「しんぶん赤旗」2/14)です、

前回は準々決勝で敗退していましたので、構えて臨んだことでしょう。

 この勝利のあとで問われた羽生竜王との対戦が、これでした。

映像は、https://www.asahi.com/articles/ASL2J7HWCL2JUCLV015.html


天才というものの存在をまざまざと見せ付けられます。


52歳の息子に、「特定健診のすすめ」

2018-02-16 21:37:25 | 『乱』と「西郷どん」

「生活習慣病を予防するためには」と書き込みのあるこの画面は村永さんのブログの一部でブログはこちらです、

http://blog.goo.ne.jp/tengaramonn/e/fc81a5b31dd8a

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   昨日の「てんがらもんラジオ」児島淳子さんの話は前半は聴こえず、後半だけでしたが多分この画面の部分は話の前半の一部なのでしょう。
   ここに書かれている「一無:禁煙のすすめ」を見て以前の児島さんの話と私の長男の喫煙のことを思い出しました。
   その時、彼に禁煙させるのは父親である私の役割だと書いたので「説教」しなければと思いつつ、気がついたら彼が手にしているのが電子タバコといわれるものに変わっていました。私の以心伝心というより妻子と周辺の声に押されたのでしょう。電子タバコというのは未練がましいが、一応この件は決着がついたと言えます。

   そこで次は児島さんの話からタイトルのようなことになります。特定健診とは「日本人の死亡原因の6割を占める生活習慣病の予防のために、40歳から74歳までの方を対象にメタボリックシンドロームに着目した健診を行います」(厚労省)。更に健診の結果生活習慣を見直す指導が制度化されています。

   息子の腹の出具合は私を上まっており異常とは言わないが、意識して自己管理に入る時期だと思われます。児島さんの話は、またまた父親の役割を指摘しているようで、有り難く聞けました。

   更に3月1日からの「子ども予防接種週間」のことも私にとっては初耳で、この表を見ていかに子供の健康が多様な制度のなかで護られているのか、自分の理解不足を痛感したところです。

    この表だけでも14種の予防接種がスケジュール化されています。児島さんの話された「ロタウイルス」は生後2カ月からの接種ですが、1人3万円かかるとのこと、鹿児島市では来年度に1万二千円の補助することを予算化したそうです。

   子宝という言葉は多分言われ出した時代には親にとってとか家にとっての宝という意味合いが強かったでしょう。いま少子化が問題視される時代、子供は社会の宝であり、国の行方を決めるものだとは共通の認識です。ならば「宝物」に相応しい制度、予算を充実させなければと思い、今回も刺激を受ける番組でした。


老い愛チョコ

2018-02-15 22:49:42 | 「てんがらもんラジオ」

   今日の「てんがらもんラジオ」を視聴し始めて、音無の構えのままの画面を見つめていたのですが、途中でこれはダメだと机を離れてしまいました。ところが後で音が出たようで、録音されていたのです。それに気づいたのが午後遅くでしたので、児島さんの話についての話は明日にしたいと思います。

chidori さんのブログで昨日がバレンタインデーだったと気付きました。それはこれです、

全国の皆さんへ、ということですから鹿児島から神奈川県に届いたらそこで溜めておく、ではいけないようですので、昨日の分ですがここを起点に発信しておきます。

   そこで昨日の朝、kaeru 夫人からいただいたチョコが食卓に置いたままであったことも思い出し、これは目だけでなく口でも味あえるといま、口に入れながらブログしているところです。

   甘味が口に広がった中から口をついて出てきたのが「oiaityoko」で入力し、それを「老い愛チョコ」と変換しました。


「一千年ののち……」

2018-02-14 23:11:20 | 本のひと言

   岩波文庫の『モンテ・クリスト伯』を読み終わり、その終わりの方にあったモンテ・クリスト伯の言葉の一部をタイトルにしました。

   この小説を読み出したのは『乱』を読んでいて19世紀のフランスが舞台になった小説だから、と手にしたのものです。まず、書き出しの「一八一五年二月二十四日」は、『乱』の書き出しの文久三年(1863)から半世紀近く離れた時代ですが、ナポレオンのエルバ島を脱出が書き出しから物語の大きな要素になっており、引きつけられてしまいました。

   子供の頃『巌窟王』として読んだ記憶がありますが、「本物」を読んだのは始めてで、カタカナの名前に悩ませられながら筋の展開に、頁閉じる能わずの感で久しぶりに長編小説の醍醐味を堪能しました。

   このタイトルの部分は、全編で117章の117章目「十月五日」舞台はモンテ・クリスト島、モンテ・クリストが息子とも思うマクシミリヤンに語りかけている言葉です。

「あなたはいま、重要な言葉をおっしゃいました。死は、わたしたちがそれと正しい対しかたをするか、まちがった対しかたをするかによって、或ときは乳母のようにわたしたちを揺すってくれるよい友だちになってくれ、或いは、わたしたちの魂を肉体から手あらくもぎとる仇敵のようにもなるものなのです。」
この後、
「いまから一千年ののち、人間が、自然のあらゆる破壊力を征服して、それを人類の一般的な福祉のために利用するようになったあかつき、すなわち人間が、ついいましがたあなたがおっしゃったように死のあらゆる秘密を知りつくすことになったあかつき、死はおそらく、恋人の腕にいだかれて味わう眠りのようにやさしく、また、たまらないものになるでしょう。」
と。

   次の世界がどういう社会になるかを資本主義の次の生産様式について語るとか、人工知能の発展した未来社会像を描くなどなど、あるでしょう。何れにしてもその時代であっても一千年前の世界と同じように一人一人の生死病死が問題になり最終的には死をもって閉じるわけです。
   そうなるとこのモンテ・クリスト伯の言葉が意味することが社会のありようの基本的なことだと思うのです。


「孟母三遷の教え」

2018-02-13 22:47:26 | どこまで続くかこのブログ

  昨夜長男夫婦が次男を連れてやって来ました、前日地域での競技会で入賞したとのこと、

   通っている小学校の部活のバスケ部で4人でチームをつくっての参加、全体で25チームだそうで三位入賞は上出来ということでしょう。特に2番目の走者になった孫が6位でバトンを受け、3人を抜いて3位でバトンを渡して、それを2人がキープしてこの賞状になったそうです。

   このブログでは去年の学校の運動会のトラック競技で最下位だった孫を紹介していましたので、短距離型でなく長距離型なのかということを記録しておきます、あわせてこれも、

 

   孫が長距離型ならばその父親・私の長男はどうだったか?

   それを聞きながら、子供の小学校中学校時代の部活について考えることもなかった、と気付くのです。特に問題もなく過ぎていたのか? 問題も気付かず過ぎたのか?

   長男が言うには陸上部にいた、と……知らなかった。

   長男にしても長女にしても高校にあがってから、父親である私をはじめ家族の頭を悩ませることになったのでした。 長男は喫煙で休学処分、長女は1年の夏休み明けから学校へ行かず、途中退学。父親らしい「勉強」をさせられることになって、それなりに良い対応ができたと今の孫たちをみて思います。

 

   ところが、昨日の話は先ほどの孫のこと、4月から通う予定の中学校でなく葉山に移ってきたいというのです。以前から同級生との間にトラブルがあり母親を悩ましていました、去年の夏休み前のことでした。それはそれなりに解決していたのですが、今度は他のクラスの子、同じ団地で向かい合わせの棟にいるとか。

   子供の方も互いに心に傷を付けあっているようですが、それ以上に母親同士がトラブルを地域にまで引きずって、精神的に参ったようです。それでいっそ進学を機に環境を変えよう、というはなしになったのでした。

   子供の教育の環境を変える、はじめてのことですが「孟母三遷の教え」に通ずることで、爺婆としては孫家族と一緒に暮らせることは願ったり叶ったりのことです。そんなことでこちらは歓迎と結論を出してあったのですが、昼近くに孫の母親から電話があり葉山町に横浜から移る相談をしておいたら暫く経って、葉山中学校から電話があって制服のことなども含めての連絡のうえ、「お持ちしてます」とのことだったそうです。

  何やらこの春は良いことで始まりそうです。


寒波のなかで溶ける壁。

2018-02-11 20:25:16 | 国政展望

  韓国平昌での冬季オリンピック、昨日の「しんぶん赤旗」のこの記事で「“ 南北の壁 ”とかす」という意味はふたつ。

一つは言うまでもなく「韓国・北朝鮮の合同入場」です、今日の「しんぶん赤旗」の写真説明には【開会式で「統一旗」を先頭に入場行進する「コリア」の選手団」とあります。

   もう一つは「南の国」からの参加です。ナイジェリア選手3人、マレーシア2人、シンガポール、エクアドル、コソボ、エリトリア各1名という参加ですが、ほとんどが雪や氷と縁のない国です。赤旗記事では「赤道付近や南半球にも広がる競技熱はとどまることを知りません」と記しています。
トンガは今回で2回目ですが、選手は1人旗手でもありこの入場姿は観客を沸かせました。


日本共産党の志位和夫委員長が開会式に参加しての感想等です、

 


何が「不適切な内容」か。

2018-02-10 21:43:27 | 国政展望

カクサン部長というユーザーのツイートが、

「表示できません」理由は「不適切な内容」の「可能性」があるからだそうです。どういう内容が不適切な可能性なのか、

表示してみます、

こんな例も、

これも、

このnikkei.com とは、

 

今日・2月10日の日本経済新聞を読まれた方は「不適切な内容」を読んでしまった ⁉︎


「俳句をユネスコ世界無形文化遺産に」

2018-02-09 20:55:37 | kaeruの五七五

今日の「しんぶん赤旗」の記事です、

この記事から俳句をユネスコの世界無形文化遺産に登録する運動があることを知りました。昨年4月に「俳句ユネスコ登録推進協議会」が設立されています。

NHKの解説では、

全体は、http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/700/271409.html

俳句が欧米ではハイクと呼ばれ中国では漢俳と呼ばれて、かなりの日本の俳句界と交流があるようです。

  昨日の「てんがらもんラジオ」の川柳教室のこともあり、日本独自の五七五の世界が言葉の違いが文化生活感情の違いでもある、世界でどういう風に受け入れられているのか、興味あることです。 


「笑」と「着ると穿く」。

2018-02-08 23:17:35 | 「てんがらもんラジオ」

今日の「てんがらもんラジオ」307回目

http://www.ustream.tv/recorded/112642248

今日の「てんがらもんラジオ」は川柳教室で題は「着る」でした。その題に相応しい三人の和服姿、先週インフレエンザで休んだ村永さんの赤が目立ちます。

赤色は戦闘色だそうで、村永さんの気持ちがこちらにも移り、つぶやきにも気合を入れようという気分になります。

   という事で、最初に構えたのが「笑いという文字」です。これは川柳の話ではなく石神さんが紹介した鹿児島の昔話のことです。笑いという漢字の由来の話で大変面白い話です、是非視聴してみて下さい。

   これを聴きながらオヤ? と思ったのは「笑という字は犬に竹冠をかぶせた」ということでした。犬ではなかった筈、天かな? イヤ天でもなく夭(よう)という字だったろうと漢字辞典を開くと、やはり「笑=夭に竹冠」でした。この話は子供向けの昔話だから夭に似ている犬の字を当てて話を作ったのか、とも思いました。

でも、改めて少し大きな漢字辞典に当たると、笑の「本字」として犬に竹冠があります。

「本字」とは「通常の漢和辞典では代表字扱いにしてこなかったが、理論上は正しいことになる文字」と説明されています。こうなると子供向けの昔話だから……、などという話ではなさそうです。それでここはやはり白川静さんの『字通』で、と開いてみます。

  「笑」に「竹と犬とに従うとする旧説」との一行があり、この「昔話」が古い時代に根拠を持った話が元になっているのだ、という思いがしました。そして、以前確か山本先生のお手玉の話から、「子供だからこそ」裏付けのある話をして行かなければならない、と教えてもらったことを思い出しました。


さてもうひとつ「オヤ?」と思ったのは、川柳に

おっとっと片脚だちでズボン着る Asakawayuki 

という私の朝の姿のような句です。

ただ「ズボン着る」は「穿く」だろうと思うのです、あるいはその区別はなくなっているのだろうか、とも考えたのですが、どうでしょう。

上からいくと、帽子は被る、服は着る、ズボンは穿く、靴下とか靴は履くですね。