kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

中尊寺着、「芭蕉の馬脚」。

2013-12-07 21:47:30 | kaeruの「おくのほそ道」

■奥の細道の旅
○現在地  中尊寺に到着しました。

○次の目的地  尿前

○次の目的地までの距離  66.0km

○次の目的地までの歩数  88,311歩で達成です。

 今夜は長谷川櫂さんの「おくのほそ道」ではなく、井本農一さんの 『奥の細道を

たどる』(角川選書・昭和48年4月 原本は昭和20年代後半~30年頃のもの)

です。 「おくのほそ道」本文 

 ≪兼て耳驚かしたる二堂開帳す。経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を

納め、三尊の仏を安置す。七宝散りうせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽ち

て、既に、頽廃空虚の叢(くさむら)と成るべきを、四面新に囲みて、甍(いらか)を覆

ひて風雨を凌ぐ。暫時(しばらく)千歳の記念とはなれり。

    五月雨を降りのこしてや光堂  ≫

井本農一さんの文

 ≪(略)芭蕉が来たときは、経堂の別当が留守で、芭蕉は経堂の中は見ていないの

である。だから、「二堂開帳す」は例の文飾である。事実経堂の中には三将の像などは

なく、今日も~があるだけである。芭蕉もとんだところで馬脚をあらわしてしまったもの

である。まして凡人の我々は、自分でみないこと、自分で感じないことは書いてはいけ

ない。人の話は、みんな話だと思って聞けばよい。話は、話以上のものでもなく、話以下

のものでもない。≫

 

 俳聖(こういう言い方は嫌いですが)ともいわれる芭蕉でも「馬脚」をあらわす、となれば

kaeruの脚四本とも馬の脚のようなもので、引用文に引用文をつなげて字数を稼いでい

る「つぶやき」では、出る幕がなくなるの感です。

 ものを書くことを生業としている人にはそういう厳しさが求められるのでしょうが、と言い

訳を言いつつも、それでも引用文は引用文として、「自分でみたこと・自分で感じたこと」

はそれとしてけじめをつけた書き方を忘れてはいけないと、思いました。


「ちゅらさん」と秘密保護法。

2013-12-07 19:49:52 | せいじの政治カフェ

 昨夜、日比谷野外音楽堂の「廃案へ!大集会」に参加してよかった!の

思いです。18時半からの案内を見ていたので、会場近くの中に入れない人

を見て時間を間違えたかな? 間違えていたのは私の認識でした。

 昼からの国会請願行動に参加した人たちですでに会場が埋め尽くされて

いたのでした。「大集会」への参加のために来た人のほとんどが会場外で

の「集会参加」という形になったのでしょう。

 昨日のチトセさんのコメントに「ニュースで9000人」とありました。今日の

「しんぶん 赤旗」は1万5千人と報じています、これが実数でしょう。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-12-07/2013120701_02_1.html 

 

 一緒にあるいた隊列に、かなりの高齢者のカップルが手を繋ぎながら空い

てる手を時々かざして歩いて行く姿とか、子供連れのお母さんの姿とかが見られ、

これは原発反対の抗議行動で見ていた光景だと思いました。

 「秘密保護法」という政治的に鋭く対決する問題ですが、それでも日常生活

に深く影響する問題であると、関心をよせる人が増えているという感じです。

 このブログの 二つの「黒塗り」。 2013-12-05  で示したように

原発に関連する情報が国会議員の提出請求や「保護法」の成立とかにかかわら

ず全面黒塗りというようことが行なわれています。そんな命にかかわる大切なこと

が秘密にされる不安・怒りが今回の「保護法」が国民の生活を支配するものである、

との理解になって広がっている姿だと感じました。

 1960年の「安保闘争」の当時、「闘争」は労働組合や政党など活動家の行なう

ものでだと思われていたのではないでしょうか。

 

 「ちゅらさん」の話ですが2001年に上演されたとき、このドラマの内容が沖縄

基地問題をとり上げていない、と問題視した話をきいたことがありました。 同様な

ことで「あまちゃん」の内容でも「原発」を避けているとか、「3・11」を正面から取り

あげていないという批判をインターネットで読みました。

 政治は政治、生活は生活と分けて考え、政治の方は政治家・議員に、またいか

にも政治問題として扱う。 それとは別物として生活が受け止め方られるというの

が一般的でした。

 しかし、原発抗議のなかで感じたことは、生活の中に政治があるのではない

か、という「発見」です。命の危険を伴う「原発」問題を通じて「命ー生活ー政治」が

三角形の各辺のような関係で見えてきた人達が、お腹の胎児と夫と歩く女性、小

さい孫だと思われる子とあるく老夫婦などの姿になって首相官邸前にやって来て

いたのでしょう。

 そのような人たちの思いもあって、今回の「秘密保護法」の闘いの急速な盛り上

がりの力になっていたと感じながらの帰途でした。