昨日のタイトルにある 「渋沢春海」 は 「渋川春海」 の間違いでした。 訂
正します。 ついでに 『天地明察』 に書かれている渋川春海の名前について
少し書きます。
この人には三つ名前があります。 渋川春海、次に安井算哲、もうひとつ保
井算哲。 最初に名前として紹介されるのは安井算哲 「(十四歳のとき父が死
に)父の名を丸ごと継いで安井算哲と名乗った」、「それが本来の春海の名で
ある」と。 「河内国渋川郡を領したことから、まず渋川家を名乗り」 さらに 「播
磨国の安井郷を領し、安井家を名乗」 りました。
春海は父算哲の晩年の子だったので、算哲が生まれた時には父は養子を
もらっていて安井算知といいました。 そこでその算知を立てるとき、あえて一
字変えて “保井” を名乗った、と書かれています。
それでは、十四歳安井算哲を名乗る前、十三歳で同年代の四代将軍家綱
の御前で碁を打つ公務を勤めた時は、なんと名乗っていたかは文庫版上に
は書かれていません。
幼年期、少年期の春海の姿を読みたいものです。こういう才能を発揮する
人のそういう時期のエピソードでも 「天才の片鱗」 を知りたいものです。 ま
た、生活・教育環境など生育期にどんな環境にいたのかも。 資料などない
のかも知れませんが、それだけに作家の想像と創造で書き出してもらえた
らと思います。
冲方丁著 『光圀伝』 が「赤旗」の読書欄に紹介されています。 「水戸光圀
の73年の生涯を描いた時代長編」 だそうです。幼年期・少年期も十分に描
き込まれているに違いありません、これも読みたくなりました。