kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

「塩田平に鎌倉を見る」、 二つの訂正。

2021-12-30 22:00:00 | 三浦半島

昨日「つぶやき」ましたなかに二ヶ所違っていました。訂正済みですが関連して「つぶやき」たくなりましたので蛇足的に……。
はじめの部分で、

ここは『信州奇人伝』ではなく『信州奇人考』でした、昨日の見出し写真にありますね。

ここでは「串田孫一さん」ではなく「井出孫六さん」でした。

さて「つぶやき」たくなったのは今日の見出し写真です。
この本が頭にあったのでつい『信州奇人伝』としていたのです。本の書名は『信州奇人伝』ではなく『信濃畸人傳』で続編含め二冊です。
どんな人物が取り上げられているか、こちらを



この人達については別の日に紹介します(それまでに読んでおきます)。

もう1ヶ所について、「井出孫六 - Wikipedia
井出さんが書かれた『信州奇人考』


を私は持っていないのです。昨日「目次」ページとして紹介したのはその本の目次ページです。それに「塩田平——信州の学海」の該当ページのコピー(14ページ分)が添付されています。

これがなぜ私の手元にあるのか、思い出せないのです。
井出孫六を串田孫一に間違えたのはなぜ? 
脳の回線内を点検してみないと分かりませんし、点検不可能ですので全く不明です。
ただ、同様のことはままあることです。


コメント (3)
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塩田平に鎌倉を見る。

2021-12-30 00:31:00 | 三浦半島
こちらは1955年刊行の井出孫六著『信州奇人考』の「塩田平——信州の学海」が記されている目次です。


書き出しに「信州は盆地の寄り集まった合州国のようなものである。各盆地の特質は、その盆地から仰ぎ見ることのできる山によって決するようなところがある」として「信州に数ある盆地のなかで、上田盆地だけは外に向かって誇れるような名山に恵まれない土地柄といってもよいかもしれない」と……、肝心なのは次。
「とはいえ、屏風のように立ちはだかる山岳に鎧(よろ)われていないこの穏和な盆地が、古来、信濃国の中心として位置づけられ、ここに国府ならびに国分寺が置かれたのは故ないことではない」と記しています。
 
「鎌倉殿と13人」を頭に置いて「鎌倉」をキーワードに拾い読みしてみると……。
「源氏にとって代わった鎌倉北条氏が塩田荘を重視したのは、宗家につぐ家格を持つ北条重時を守護に任じていることにも示されている。都の貴族、社寺への重い貢納に疲弊していた塩田平のあちこちに槌音がひびき始めたのは、このころからのことにちがいない。荒廃していた寺院がつぎつぎに再建され、華麗な三重の塔が建てられていく塩田平には中世の明るさがみなぎっていたのではないだろうか。〜いつしか塩田平に〝信州の学海〟という異名が寄せられることになり〜」と。
 
さらに「海水浴などという娯楽を知らない鎌倉武士や五山の僧侶たちにとって、夏の鎌倉は暑気と湿気が高く必ずしも住みよい首都とはいいがたかった。とすれば、一族の重鎮北条重時が信濃国の守護に任じられて赴いた塩田荘の七久里の湯(別所温泉)を別荘と考え別墅(べっしょ)と呼んだとしても、そう不思議ではない」
 
北条重時は「鎌倉殿と13人」の主人公・北条義時の三男ですからドラマに13世紀の塩田平が出現することはないでしょう。それだけに上田といえば真田、真田と言えば幸村という17世紀上田観を400年ほどさかのぼって13世紀の塩田平に、「広大な中世学術都市が存在していたのではないかしきりに思われてくる」という井出孫六さんと思いを共にしたいと考えます。
 
 
 
コメント (2)
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