kaeruのつぶやき

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塩田平に鎌倉を見る。

2021-12-30 00:31:00 | 三浦半島
こちらは1955年刊行の井出孫六著『信州奇人考』の「塩田平——信州の学海」が記されている目次です。


書き出しに「信州は盆地の寄り集まった合州国のようなものである。各盆地の特質は、その盆地から仰ぎ見ることのできる山によって決するようなところがある」として「信州に数ある盆地のなかで、上田盆地だけは外に向かって誇れるような名山に恵まれない土地柄といってもよいかもしれない」と……、肝心なのは次。
「とはいえ、屏風のように立ちはだかる山岳に鎧(よろ)われていないこの穏和な盆地が、古来、信濃国の中心として位置づけられ、ここに国府ならびに国分寺が置かれたのは故ないことではない」と記しています。
 
「鎌倉殿と13人」を頭に置いて「鎌倉」をキーワードに拾い読みしてみると……。
「源氏にとって代わった鎌倉北条氏が塩田荘を重視したのは、宗家につぐ家格を持つ北条重時を守護に任じていることにも示されている。都の貴族、社寺への重い貢納に疲弊していた塩田平のあちこちに槌音がひびき始めたのは、このころからのことにちがいない。荒廃していた寺院がつぎつぎに再建され、華麗な三重の塔が建てられていく塩田平には中世の明るさがみなぎっていたのではないだろうか。〜いつしか塩田平に〝信州の学海〟という異名が寄せられることになり〜」と。
 
さらに「海水浴などという娯楽を知らない鎌倉武士や五山の僧侶たちにとって、夏の鎌倉は暑気と湿気が高く必ずしも住みよい首都とはいいがたかった。とすれば、一族の重鎮北条重時が信濃国の守護に任じられて赴いた塩田荘の七久里の湯(別所温泉)を別荘と考え別墅(べっしょ)と呼んだとしても、そう不思議ではない」
 
北条重時は「鎌倉殿と13人」の主人公・北条義時の三男ですからドラマに13世紀の塩田平が出現することはないでしょう。それだけに上田といえば真田、真田と言えば幸村という17世紀上田観を400年ほどさかのぼって13世紀の塩田平に、「広大な中世学術都市が存在していたのではないかしきりに思われてくる」という井出孫六さんと思いを共にしたいと考えます。
 
 
 

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2 コメント

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塩田平の国分寺 (屋根裏人のワイコマです)
2021-12-30 12:17:43
信州の地は、塩田平 善光寺平が 信濃の国として
日本の歴史に沢山書かれています。
川中島合戦 上田城の真田勇姿など千曲川水系の
肥沃な農地から沢山の食料や資源が生まれて多くの
人たちがそこに集いました。
それに引き換え、山向こうの筑摩の松本平、安曇平
は国宝の松本城が残るくらいに戦や争いのない平
いわば、誰からも振り返ってもらえない田舎です
いろんな歴史の中の背景をいろんな角度から推理
して現代を語るのもまた楽しい。
同じ信州でも、新幹線が通って大動脈の一部を担う

大きな山脈に囲まれた谷間の筑摩圏、今でも大きな違いが
そこにあり、長野県問単位で語れないものがそこにあります
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英雄偉人 (kaeru)
2021-12-30 20:43:32
「英雄は山間より出づ」とは内村鑑三の言葉だそうで
す。だとするとフォッサマグナと言われる辺りと北ア
ルプス南アルプスを含む日本の屋根から英雄偉人が
続々と生み出されたことになります。

木曽路に代表される山のなかの道を通って、多くの英
雄偉人が日本各地に出ていったわけです。日本の夜明
けは明治に限りませんでした。21世紀の夜明け前も木
曽路から明けてくるのでしょう、待ってます。
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