2013-04-23 | kaeruの「おくのほそ道」 では「象潟」を訪れていました。
「芭蕉がここにやって来たのは元禄二年六月十六日(1689年8月1日)のことでした」
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俳人・山口誓子は「おくのほそ道」に挿入されている俳句のなかから秀句として
閑さや岩にしみ入る蝉の声
五月雨をあつめて早し最上川
荒海や佐渡によこたふ天川
の三句をあげ、 “ その中で最高の秀句は、「荒海や」である。” と。
そして、この三句がいずれも太平洋側で作られたものではなく、奥羽山脈を
横断してからの句であると述べられています。 「奥羽山脈が、秀句の境界に
なってゐるのである」と。
そこから 芭蕉の「この旅」について考察し、歌枕を訪ね(主に西行)それに
囚われた句づくりと、「奥羽山脈を越えてからは、歌枕が少なかったので、~
秀句が作れたのだ」、と。それは、「名所では古人の心を思ひ出さずに、風景
とがっちり取り組んだから、秀句がつくれたのだ」と延べ、「そのことに附け加へ
たいことがある。」としていますが、その部分は明日に。