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葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

人生の最期に聴こえる鐘の音。

2017-01-27 22:27:43 | 本のひと言

   昨日は「てんがらもんラジオ」に関連して『九十歳。何がめでたい』の表紙でした、今日はこれです。

「晩鐘」は全471頁のこの本の471頁目、その最後の一行にあります。

でもその鐘の音は、あるいは他の人には聞えない、私だけに聞えているものかもしれません。

この一行の意味を知るためには、書き出しの

先生、畑中辰彦が死にました。

から読み続けて来なければならないので、ここでは触れません。


  昨日の「九十歳」との関連で「あとがき」の一部を引用します。

この「あとがき」の日付は2014年 秋  とあります、1923年11月生まれですから91歳の秋に記されたものです。

   八十八歳が八十九になり、とうとう九十を超えましたが、死ぬ筈が死なずに今、こうしてあとがきを書いている自分のしぶとさに呆れています。

「これからはのんびり、人生の終りの休暇を楽しみなさいよ」

と何人かの友人がいってくましたが、「のんびりしなさい」といわれても、「のんびり」なんて今まで経験したことがないもので、どうすることかわりません。(略)つい、「有難迷惑」という思いが頭を擡げてしまうのです。

   自分の人生を作家の目で見つめた、かつての夫を分かろうとし苦闘した結論がここに書かれているのです。それは真実の理解なんてあり得ない、不可能なのではないか、「黙って受け容れることしかない」という思いです。

   ひとり一人の人生の直面してきたことは不可解さに満ちたことだったでしょう。人生の最期に振りかえれば、その深みに目を奪われ足をとらわれる思いがします。

そこを見つめ一歩越える力を最後まで保つ、やはりのんびりは出来ません。

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桐一葉落ちて……天下の秋は

2016-09-23 20:10:44 | 本のひと言

   弟の義母が亡くなったのメールが入りました、98歳、100歳まで元気だろうと弟は言っていたのですが……。弟は結婚して義母と一緒に暮らしてきましたので、夏の兄の死去もあっていっそう気を落としていることでしょう。

   家族葬だということで、電話でのお悔みですませ、いずれ折をみてと妻と話したことです。実は昨夜弟と会うつもりでいたのでしたが、100歳近いという日々には予測をこえる急変があるのだと思わせられます。

   妻が病院の診察を終えて帰宅、眼底出血の検査が必要で近くの眼科に行かなければと言います。それで兄の葬儀はいつだった? と聞かれました、家の玄関の外灯のガラスの覆いが落ちてきて頭に当たった時期を確認したい、私が留守中のことだったというわけです。あれは7月?いや6月だろう、そんな時はブログが記録してます、6月はじめでした。

   兄の死からすでに四ヶ月経ったのかと、思い返したのでした。

   そんな話の続きですので、この本です、

このなかの二行、

【ほとんどの人がまず最初に「自分も死ぬ存在である」ことに気づくのは、…… 、肉親の死からであろう。】

 確かに、と思います。


   さて死の他方には成長があります。本当は生があります、孫がもう一人と言いたいのですが、それは望めないでしょう、ならば成長する者の姿を。

   明日石垣島の孫が東京にやってきます。高校一年生で、先輩の幾人かと先生に引率されての「研究発表会」への参加と聞いていたのですが、結局彼と先生ということになったそうです。

   何を発表するのか会場で聞きたいのですが、と伺ってもらったらそういう設定にはなっていないとのこと、残念ですが孫から聞かせてもらい勉強しようと思います。

   今夜のタイトルには散る葉の表すものは、地に落ちて土になる何万という葉の先触れをも表していると言いたいからです。天下の秋は実りの秋でもあります。

   桐一葉落ちて実りの秋の貌     kaeru

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『日本共産党秘録』

2016-07-18 22:00:06 | 本のひと言

昨日の「しんぶん赤旗」の広告です、先ほど気がついて、ならば本屋へ、と出かけてみましたがそこにはありませんでした。

そこで、本棚から『日本共産党の深層』を取りだして、

 

目次を開いてみました。

この第ニ章と同名ですが、内容は二年前の『日本共産党の深層』の2016年度版のようです。下のAmazonの「商品説明」に「ベストセラー『日本共産党の深層』に大幅加筆した増補・改訂版!」とあります。

『深層』 が出版されたのは2014年2月、この間の政治的激動を象徴する「野党共闘」その「深層」を明らかにするのが今回の『秘録』でしょう。昨年の9月の日本共産党の「国民連合政府」の提唱と「野党共闘」の呼びかけで、政治状況が変わるのを見ながら『深層』の続編を期待していました。手に入りましたら紹介します。

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『北海道新幹線殺人事件』という話。

2016-03-25 21:49:40 | 本のひと言

  この本(まだ未刊です、いや未完です、明日からの話ですから)の第1章は「二〇一六年三月二十五日」となっていますが、本当は「第一章  三月二十六日  東京発のはやぶさ1号のグリーン車内で、乗客の一人が殺される。君たちは、乗客として、この殺人を目撃するのだ」という長いタイトルなのです。

   さて、書き手は誰?  第一章を「二〇一六年三月二十五日」と書き出したのは推理作家・西村京太郎85歳、長いタイトルを第1章にして書き出したのはミステリー作家・三浦康平42歳。西村京太郎は『寝台列車殺人事件』がヒットし、単行本の累計発行部数は2億部を超えるという日本に二人とあって三人はいない(2012年)という超売れっ子作家、一方三浦康平は「売れない作家」。

  この話の第一話の終わり近くでこんなやり取りがあります。

  ここに名前が出る高橋社長とは三浦に『北海道新幹線殺人事件』を書かせた明日書房の社長、香織とは去年(2015年)、新人賞をもらった女性ミステリー作家、若林香織という。

   香織「高橋社長と話をしたんですけど、彼は、この本の通りに、三月二十六日のはやぶさ1号のグリーン車で、本当に殺人が起きると、信じていらっしゃるみたいでしたよ」と、いう。「冗談ですよ」「そうは見えませんでした。高橋社長は自分には予知能力があって、この本の通りに事件が起きるはずだと、おっしゃっていましたよ。だからこの本は、間違いなくベストセラーになるんだとも」

   こんな会話が交わされているのはいつ頃かというと、康平の「三月二十六日まで、あと一カ月もないんですよ」で、先月の末頃だと分かります。

  西村京太郎の新連載『北海道新幹線殺人事件』を載せているのはKADOKAWAの書籍PR誌「本の旅人」の3月号です。この発行日が先月の27日ですから話は同時進行してすすんでいるのです。

  果たして明日の北海道新幹線は?

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出版社のこと。

2015-11-28 23:26:03 | 本のひと言

風邪が本格的にならず通りすぎたようで「休むが勝ち」が効を奏したようで、これからはこの手でいこうと思います、先んずれば風邪を制すというわけです。今日は本格的にならずの「本」ではなく一冊二冊の本のことを昨日に続いての話です。

昨日の本をめぐる話の中で、本が書店店頭に出るまで、書いた人はもちろんですが、編集者、その前提になる出版社の企画などなど多くの人の目を経てきている、その点がインターネット上の情報とは違うと強調しました。

これは評論家の勝間和代さんの本を読んで同感したことなのです。特に出版社がどういう本を世の中に送り出したいか、そこに本の芯があるように思います。手にした一冊、『「赤旗」地下印刷局員の物語』。その内容は書名から伺えますが今回はそれには触れません、ただこの本を手にしたのは今日付の「しんぶん赤旗」を印刷所の不具合で配達出来なかったことにあります。

さて、この本は白石書店(東京都千代田区神田神保町)という出版社から出ていました。本の奥付を見ますと1973年6月発行者白石舜市郎とあります。多分この人だったと思いますが私が東京港区にいた頃なにかの会議で同席した記憶があります。小さい出版社の経営の大変さを語っていました。私の本棚には『物語』の他に『わが生きがいの原点  獄中詩歌と独房日記』山田清三郎著、『昭和米よこせ運動の記録』山本秋著があります。

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古本でなく活本に。

2015-11-27 18:25:00 | 本のひと言

蔵書整理の話から、古本屋をやりませんかという話題になりました。その人は蔵書を売りたいと言います、もう一人は今売りたいと言うわけではないが後のことを考えると対応を今のうちに決めておきたいとのことです。

「売りたい」は私と同年齢の78歳、もう一人は75歳、同じような歳です。三人とも101歳で亡くなった黒田康子(しずこ)さんを知っているので、75歳の彼が黒田さんの年齢を区切りと考えてもあと15年だと、60歳からの自分を振り返ってこの辺で目処をつけながら対処していかねばならないことが色々ある。蔵書のこともその一つで、自分のまわりをみてもその必要を感じると言います。

私の意見、自分の蔵書は売れれば良いでは済まない気がします。以前かなりの本をやむを得ず売りましたが、三千円にしかならず古本哀れなり!を実感したものです。全部の本がそうだとは言いませんが蔵書にはそれぞれ思いがこもっています。とはいえその思いを切らざるをえない時期がきます。それならばどう活かすか、自分の手元で活かせる部分とそうでない部分の見極めをつけることだろう話になりました。

多くに人にその見極めがでてくるならば、自分たちの手で本の活かしあいをする仕組みを作れるのではないか。思いつきの段階ですが次はその仕組みづくりを話し合おうと、別れてきたところです。

我が家の整理の方向が見えてきました。

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今日の一冊。

2015-11-15 23:17:29 | 本のひと言

  まず「しんぶん赤旗」の当該記事は「中台トップの会談は、1949年に内戦で敗れた国民党が台湾に逃れ、中華人民共和国が成立して以来初めて」と書き出しています。中国の習近平国家主席と台湾の馬英九総統が11月7日会談したことを受けての報道です。

さて、右の『中台関係史』は1999年1月発行のものですが「台湾問題が、来世紀にかけての東アジアの主要な争点として浮上している。~95年夏から翌年春にかけての台湾海峡の緊張は、中台の対立が日米を巻き込んだ大規模な戦争に発展しかねない問題をはらんでいることを改めてみせつけた。」という書き出しではじまっています。

ところでなぜこの本が私の本棚にあるのか、ですがそれは本の書き出しにある「台湾海峡の緊張」に関係します。当時台湾の李登輝総裁の訪米を機に一気に緊迫化した台湾海峡、中国人民解放軍による台湾近海を標的にしたミサイル発射演習などが報じら、私の気持を暗くしていました。

台湾に近い沖縄県石垣島には娘の一家がいます、その頃日々の報道を通じて中国と台湾の歴史の基本を知っておかねばという思いを持ったものです。そんな思いがあってそれから数年後多分たまたま入ったブックオフでこの本を見つけたのでしょう、買っておきました。ただかなりの分量もありまた馴染みの薄い台湾のことなので積読のままできていました。今度手にして読み出したら予想外に面白いのです。

まだまだ目を通しているのは国民党と中国共産党の内戦状態が書かれている部分ですが、ここでは政治家毛沢東が「戦争は他の手段をもってする政治の継続である」を地でゆく様をみせてくれます。この本の帯には「中台関係のゆくえが日本の将来を左右する。中台関係の将来は日本の動向によって決まる」と書かれています。日本の一地域石垣島はもちろんまさに日本の将来もここにはあるのです。

今回の中台トップ会談の意義を理解するためにも有益な一冊かと思います。

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蔵書よこみち。

2015-11-09 23:46:24 | 本のひと言

かなり以前に書名に引かれて買って効果を期待した本です。でも「その基礎理論」とうたっていますように、ヒトの意識についての話で夢のこともわかりやすく書かれていました。このなかにオオカミに育てられたこどものことが紹介されています。

この話を興味深く読み、人間の学習というものをどう理解すべきかを教えてくれました。写真はその子どもで、発見された当時8歳くらいの少女です。食物は手を使わず昼は寝ていて夜になると遠吠えをする、四つ足で歩き素早い、とあります。

この子が孤児院に預けられて六年目位でやっと夜より昼が好きになり、他の子と寝室で過ごしたり一緒に騒いだりするようになったそうです。著者の心理学者・宮城音弥さんはこう書かれています。

「彼女を人間にしたのは、人間の社会という環境だった。彼女が人間の習慣を学習した結果であった」

この例はインドでの話ですが、フランスでも同様な事例があります。

フランスの場合はオオカミに育てられたわけではないのですが、4歳か5歳で捨てられ捕らえられた12歳と推定される時まで人気の無い所にいたのです。この本では思春期を迎えた少年が、どう人間的な感情らしいものを持てるようになるか、が観察されています。先に人間が人間になるのは社会という環境だと書かれていましたが、それはその人に触れる具体的な人間関係の水準によることを示しています。

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蔵書の話。

2015-11-06 22:56:42 | 本のひと言

ある人を知るための良い方法はその人の友人を知ることだとか、その人の蔵書を見ることとか言われます。類は友を呼ぶとか、友を通じてどんな種類の人間かつかめるというわけです。蔵書の場合もどんなことに関心を持っているかを通じてその人の大枠が分かるというわけです。 

この話はどちらにしても人を見る目、本を評価する目が「良い」ことを前提にしているわけで、その「良いこと」の基準については各々の判断に任されたことです。となると自己評価をする場合は、自分の友人の誰彼をどう評価するか、そのためには誰彼の友人を知らねばなりません。それが分かってくると自分がどういう友人関係の一人としているのか見えてくるというわけです。そしてある場合は愕然としたりまたは我ながら頼もしいと思ったりするわけです。

蔵書の場合は、過ぎた日々が一枚の地図になっているとすれば、蔵書の示すのはそこに書かれている道筋と言えるでしょう。一本の道というわけではなく枝分かれをし、ある時は太くある時は藪のなかに入りこんで、しかし抜け出ていると見えます。あわせて見えてくるのは出版界の状況と、更にそれを生み出す社会の変化です。

自分が本を出版しない以上蔵書といっても全て他人のもので、こちらはかなり受け身で選択する自由はあるといっても与えられた自由です。といっても自らの選択で積み重ねてきた土壌のようなもので、ここからどういう草木を育てるかは己の精神という種、芽、根、茎、幹、葉、そして果実、それらの独自の作業によるものです。

まことに精神というものは植物的で、社会という光を受けて過ぎた日々という土壌から栄養分を吸い上げ成長するものです。蔵書の整理とは畑に鍬を入れ畝を作る作業に似ています。

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本の生理

2015-11-01 20:10:55 | 本のひと言

生理は整理の変換違いではありません。本というものは生き物ですから自ずから触れてくる人を引き込んだり突き放したりします。本の整理をしているとそれにとらわれるので困ります。もちろん活字の中に潜む書き手の思いの強さがそうするのですが。

文庫本を整理しはじめて池波正太郎ものに引っ掛かり読みこんでしまいました。

「鬼平犯科帳」文庫本で24冊かなり前に読んでいる、それだけについページを開いて読んでいた時の面白さにひかれてしまいます。今整理のために使っているアプリは「蔵書マネージャー」というもので以前のものより使いやすい。

それで現在本屋に出回っている各作家の本が何点くらいあるかが分かります。

池波正太郎ものでは、文庫で519、新書5、単行本208でその他も含めたすべてでは1,291という数字が出ました。このなかには活字だけではなくコミックもCDも入ったもので、他の作家でみると松本清張で801、司馬遼太郎が961、藤沢周平280ですから池波正太郎の約1300点という数字がいかに大きいかが分かります。

池波もので近く出る『真田忍者、参上!』(河出書房新社 文庫)は新年からのNHK「大河ドラマ」の「真田丸」との関係出版でしょう、目を通したくなりました。

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