ルビーとフーラは犬と猫

愛犬ルビーと愛猫チニタ。罰や「NO!(ダメ)」を一切使わず彼らと楽しく暮らす為の勉強をしています。

犬とのお散歩で考えたこと

2014-12-19 11:32:17 | ルビーの日常

歩きながら地面の匂いを常にクンクン・・・。
お散歩中匂い取りをする犬達。

電柱や地面に残ってる他の犬の排泄のにおいを嗅いだり。
自分の犬には思わず
「やめなさい!」
ってリードを引いちゃう人も多いかもしれませんよね。

チャーリードッグスクールで勉強するようになってから、近所に住む他の犬の排泄の匂いを嗅ぐこと、そして自分のを残すことは、社会的な動物である犬にとってとても大切なことであると知って、私はルビーがそれをすることをとても大切にするようになりました。
だってそうすることでルビーの欲求が満たされ落ち着けるからです。欲求を満たす、という事は落ち着く事への第1歩なのだと思うようになりました。
そして、落ち着けると自分で考える事ができるし、必要以上にパニクッたりすることもなくなるのかなとも思います。
例えパニクったとしても、”落ち着ける”事へのスイッチを入りやすくしてあげる取り組みで、パニックから我に返りやすくしてあげる事ができます。スイッチが切り変わりやすくしてあげる為には、我に返った状態を身体が(脳が)知っていないといけないから、やっぱり落ち着いた状態を経験させておいてあげる事は大切なのだと思います。スイッチのオンとオフ機能は使えば使うほどパイプが太くなってしっかりしたものになって行くそうです。

犬を落ち着いた状態に導ける人は、やっぱり落ち着いた人なんですよね。わーわー興奮したりビクビク挙動不審だったりする人間を見て犬が落ち着ける訳もなく・・・。「犬の心へまっしぐら」(アンジェロ・ヴァイラ著)の中の言葉を使えば”感情の浸透性(p.280)”の原則があるからです。人間の感情が犬に伝播するということ。
人間だって一緒にいる人がピリピリしていたらこちらもピリピリするし、変にハイな状態だったら居心地悪くなるし、結局そういう事なんだと思います。人間と他の動物の感情脳はとても似ているそうなので、この部分を人間と犬とで比べることは、そんなに無理がある話しではないのではないかなと思っています。

それで、犬を落ち着いた状態に導くのは落ちついた人間、ということで、私達飼い主は”落ち着いた自分=安定した自分”を作ろうと努力しています。しかも楽しく柔らかいユーモアをまとったゆる~い状態での安定した自分をつくる努力をしています。(犬がそういうものをとても好きだから、と理解していますが、人間だってそういうのが好きですよね。)
自分をその状態に持って行く為には人間という動物の勉強をしないとならないのですが、人間同士も感情の浸透性(伝播)はあるので、そういう人のもとで勉強しているうちに自然と楽しくて柔らかい安定感を自分が身にまとっている瞬間があるのに気づくことがあります。
自分が安定できると、犬にとって何が必要で何が必要でないのかを考える余裕も生まれてくるかなと思います。

こんな風に、パニックや混沌の中にある犬達のことを勉強していると自然と導かれるように分かってくることが沢山ありました。

スルーすること(寛容)、他者を支配しようとしないこと(高圧的なものから過干渉まで)、好きなものを沢山作ること、それをアンカーとして自分の心に携えること、脳を鍛えるという事、などなど。(まだ気づいてないこともいっぱいあるはずですが、それがあるということに気づいています。)

スルーすることって、自分の為にもありますが、他の人の為にもなりますね。

例えば、誰かが何かを頑張っている最中には、その人自身が誰かにヘルプを出すまではスルーしてもらえた方が乗り越えられることって結構あると思うからです。
頑張ってる最中なのですから、途中であれやこれや過干渉的に接せられるより見守られる事の方が助けになることってあると思います。例え失敗しても「失敗、失敗」って殊更騒ぎ立てないことで失敗だと気づく事さえなく乗り越えていけることだってあると思います。失敗と言って叱ることが失敗を作り出しているでは?と思う事さえあります。

また、見守る側としてはその”見守る”という状態で自分を落ち着かせている最中でもあると言えると思います。
”あそこをああすればもっと良くなるのに”なんて気持ちが頭をもたげても、干渉したくなる自分を抑えて見守る事が自分を抑え、誰かの気づきを助けることって多々あると思います。そのくらい”待つこと”って本当はとっても難しくてでも優しさに溢れたことなのだと思う事があります。
人と人との間で、そうやって時間をかけて気づきを待つことが出来る様になれば、人にとっても犬にとってももっと生きやすい世界が出来上がるのではないか?そんな風に思うようになりました。

これってそれぞれが安定した自分をつくる事に専念するということだと思います。そうすれば大きな間違いは起きないのかもしれない、なんて思ったりします。

これらのことは、私の中では自分を”社会化する”ということの一部として認識しています。

”社会化”という言葉、私が認識している内容と近いなと思ったのはこちらの説明です。
http://www.1-ski.net/archives/000154.html

引用すると
「個人がある社会の中に所属し、適応的に行動できるように、
 知識・価値・言語・社会的技能・知能を獲得していく過程のこと」

犬との関係、お散歩でもトレーニングでも日常のコミュニケーションでも。その風景を大きな視野で見ていると、高度に社会化された人間によって、犬の社会化も進むような気がしています。
人間の社会化も犬の社会化とセットで、というのが、私がこの5年学んで来て強く感じる様になったことです。我が身に起きたこと、起きている事だなと感じているからです。
生きものの成長をゆったりとした気持ちで待つ。それは犬も人も同じなんですよね。命あるもの全てに言えることなのではないでしょうか。

こうやって自分の考えていることを誰もが見られる場所でアウトプットすること。これも私にとっては社会化の一部です。誰かが私に寛容でいられなくなっても、自分が自分自身に寛容でいられること。まずはそれを目指します。自分の為でもあり犬や猫達の為でもある。そう思っています。だって、犬や猫に嫌われたくない^^;というか好かれたいですもんね!

と・・・、今思っている事を難しい単語を使わないで書いてみました。
色んな単語が頭の中巡ってる人もいるかも?^^;


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