怖かったね。苦しかったね。花菜ちゃん。
お父さんとお母さんの可愛い花菜ちゃん。大事な花菜ちゃん。
事故が起きたとき、私は早く図面を提出したのでテレビを見ていた。
そこには章南中が浜名湖で、事故にあったことが報道されていた。
行方不明者が一人いるという報道がされていた。
一番聞きたくない電話が細江署から送られてきた。
私はすぐに主人に電話した。
主人は章南中から全員無事と言われて、近所の人の車で現場に向かっていた。
私は花菜と同じボートに乗っていた保護者の人から、車で連れていってくれると言われていた。
でも、細江署から連絡を受けていた私は章南中に連れて行ってもらうようにした。
でも先生たちはなかなか来ない。
電話で何度も家の場所を伝えた。家の近所には花菜より一つ上の生徒たちが二人いた。
だから家庭訪問でうちの場所はすぐわかるはずだと思っていた。
でも1時間経っても先生たちはなかなか来なかった。
早く現場に行きたかった私は、主人が一人で待つことが不安だった。
その時の水野校長は、自己保身のように毎日弔問に来た。
30日で嫌になっていた私はもう対応しなかった。
弔問の終わりで校長は「私の人生で取り返しのつかないことをした」と必ず言っていた。
豊橋どころか愛知県に親戚もいない私は、49日の準備もなかなかできなかった。
卒業アルバムには花菜を載せてくれないという。
花菜がどうして卒業アルバムに載せないのか、事故の意味を載せて欲しかった。
卒業アルバムにマニュアルがあるみたいで、花菜は載せられないと言われた。
でも、主人がマスコミにその話をしてみんなが市教委のところに行ってくれて、花菜は卒業アルバムに掲載してもらった。
そして学校から、卒業アルバムのお金はいらないと言われた。
保護者でなくなった私だがお金は払いたかった。
無償でくれると言った章南中。
でも私たちの気持ちの真意は掴んでくれない。
事故から半年過ぎて、ようやく引率教員の意見が聞けるようになった。
二十数問の質問をあらかじめ紙に書いて渡した。
その答えを画板で構えて待っていた私。
引率教員を連れて来た校長からメモは取らないでくださいと言われた。
引率教員の8人のうち6人が移動で章南中からいなくなってしまった。
先生たちはもうボロボロだと教育長に言われた。
まるで花菜の死が悪いことのように。
再発防止のために何もしない章南中・・・・・・。
お父さんとお母さんの可愛い花菜ちゃん。大事な花菜ちゃん。
事故が起きたとき、私は早く図面を提出したのでテレビを見ていた。
そこには章南中が浜名湖で、事故にあったことが報道されていた。
行方不明者が一人いるという報道がされていた。
一番聞きたくない電話が細江署から送られてきた。
私はすぐに主人に電話した。
主人は章南中から全員無事と言われて、近所の人の車で現場に向かっていた。
私は花菜と同じボートに乗っていた保護者の人から、車で連れていってくれると言われていた。
でも、細江署から連絡を受けていた私は章南中に連れて行ってもらうようにした。
でも先生たちはなかなか来ない。
電話で何度も家の場所を伝えた。家の近所には花菜より一つ上の生徒たちが二人いた。
だから家庭訪問でうちの場所はすぐわかるはずだと思っていた。
でも1時間経っても先生たちはなかなか来なかった。
早く現場に行きたかった私は、主人が一人で待つことが不安だった。
その時の水野校長は、自己保身のように毎日弔問に来た。
30日で嫌になっていた私はもう対応しなかった。
弔問の終わりで校長は「私の人生で取り返しのつかないことをした」と必ず言っていた。
豊橋どころか愛知県に親戚もいない私は、49日の準備もなかなかできなかった。
卒業アルバムには花菜を載せてくれないという。
花菜がどうして卒業アルバムに載せないのか、事故の意味を載せて欲しかった。
卒業アルバムにマニュアルがあるみたいで、花菜は載せられないと言われた。
でも、主人がマスコミにその話をしてみんなが市教委のところに行ってくれて、花菜は卒業アルバムに掲載してもらった。
そして学校から、卒業アルバムのお金はいらないと言われた。
保護者でなくなった私だがお金は払いたかった。
無償でくれると言った章南中。
でも私たちの気持ちの真意は掴んでくれない。
事故から半年過ぎて、ようやく引率教員の意見が聞けるようになった。
二十数問の質問をあらかじめ紙に書いて渡した。
その答えを画板で構えて待っていた私。
引率教員を連れて来た校長からメモは取らないでくださいと言われた。
引率教員の8人のうち6人が移動で章南中からいなくなってしまった。
先生たちはもうボロボロだと教育長に言われた。
まるで花菜の死が悪いことのように。
再発防止のために何もしない章南中・・・・・・。
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