昨夜の金曜弔問時に、1ヶ月以上振りに、中学との交換ノートを置いていってもらった。
先週12/30の、年内最後の交換ノートに綴られた、S先生の手紙を もう一度読みたかったからである。
○○(娘の名)さんへ
早いもので今年もあと少しで終わりをつげようとしています。
この一年を振り返ってみると、考えさせられることがたくさん
ありました。その中で、自分として何ができるのか?どうしたら
いいのか?どうやっていくのかということを強く意識するように
なりました。正しいと思ったこと、どんな小さいことでも
自分なりに結論づけてそれを貫くことで、後悔のないようにする
ことを心がけるようになりました。
最初のころ、ここで、友達が笑顔でいられるようにということを
約束しました。それがこの一年、少しは果たせたのかなぁと感じて
います。でも まだまだやれたのかもしれないという思うことは
たくさんあります。
自分としてできること、それを考え、来年も実践していきたいです。
今年も一年 ありがとう。来年もまたよろしくお願いします。
ようやく、学校での出来事を綴った生活綴り文ではなく、先生個人の生徒に対する気持ち綴った手紙が、S先生からもらえた。
4月の異動の際、教育長に事故で傷ついた生徒達が、卒業するまで見届けたいと言ってくれたS先生。
事故で引率した8人の教師の中、学校に残った2人のうち、唯一の娘が知る、娘の学年の先生である。
事故当初、ボート訓練の実行を生徒達に告げたのが S先生。
雨天で驚く生徒達・・・。
その姿を写した写真を学校からもらい、写りは小さいが同じように、驚く娘の顔 を見つけた時、私はS先生を憎んだ。
昨年の1月の月命日の弔問時、私は教員の人事権のある教育長に
「引率した教師を全員、生徒達が卒業するまで、傷ついた生徒達のために 学校に残して欲しい。」とお願いした。
しかし、
「章南中の先生達はボロボロだ!」と大人の教師を守ろうとする教育長に、もう保護者でもない私の声は届かなかった。
今年の1月、市教委の月命日の弔問時に、主人と私はもう一度、お願いしてみるつもりだ。
「学校ではベテランの、唯一事故を知る娘の学年の、S先生を異動させないで下さい。」 と。
保護者ではないけれど・・
先週12/30の、年内最後の交換ノートに綴られた、S先生の手紙を もう一度読みたかったからである。
○○(娘の名)さんへ
早いもので今年もあと少しで終わりをつげようとしています。
この一年を振り返ってみると、考えさせられることがたくさん
ありました。その中で、自分として何ができるのか?どうしたら
いいのか?どうやっていくのかということを強く意識するように
なりました。正しいと思ったこと、どんな小さいことでも
自分なりに結論づけてそれを貫くことで、後悔のないようにする
ことを心がけるようになりました。
最初のころ、ここで、友達が笑顔でいられるようにということを
約束しました。それがこの一年、少しは果たせたのかなぁと感じて
います。でも まだまだやれたのかもしれないという思うことは
たくさんあります。
自分としてできること、それを考え、来年も実践していきたいです。
今年も一年 ありがとう。来年もまたよろしくお願いします。
ようやく、学校での出来事を綴った生活綴り文ではなく、先生個人の生徒に対する気持ち綴った手紙が、S先生からもらえた。
4月の異動の際、教育長に事故で傷ついた生徒達が、卒業するまで見届けたいと言ってくれたS先生。
事故で引率した8人の教師の中、学校に残った2人のうち、唯一の娘が知る、娘の学年の先生である。
事故当初、ボート訓練の実行を生徒達に告げたのが S先生。
雨天で驚く生徒達・・・。
その姿を写した写真を学校からもらい、写りは小さいが同じように、驚く娘の顔 を見つけた時、私はS先生を憎んだ。
昨年の1月の月命日の弔問時、私は教員の人事権のある教育長に
「引率した教師を全員、生徒達が卒業するまで、傷ついた生徒達のために 学校に残して欲しい。」とお願いした。
しかし、
「章南中の先生達はボロボロだ!」と大人の教師を守ろうとする教育長に、もう保護者でもない私の声は届かなかった。
今年の1月、市教委の月命日の弔問時に、主人と私はもう一度、お願いしてみるつもりだ。
「学校ではベテランの、唯一事故を知る娘の学年の、S先生を異動させないで下さい。」 と。
保護者ではないけれど・・
自分はこの方々は逃げだしたと認識しています。
それに対しS先生はのこってくれた…
当たり前と言われれば当たり前ですが嬉しいです。
確かに誰も責任を取らないこの教育制度は変えなきゃいかん。ぶっ潰さなきゃいかんと私も思います。
ホントに誰も責任を取らない。市長は、自分が治める市の子どもが命を亡くされているのに、弔問にも来ない。こういう輩が再選されないように、白日の下にこれまでの所業をさらさなきゃいかんと考えています。