怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

1月7日  生徒のために残ったS先生

2012-01-07 15:05:58 | 学校に対して
昨夜の金曜弔問時に、1ヶ月以上振りに、中学との交換ノートを置いていってもらった。
先週12/30の、年内最後の交換ノートに綴られた、S先生の手紙を もう一度読みたかったからである。

○○(娘の名)さんへ
 早いもので今年もあと少しで終わりをつげようとしています。
この一年を振り返ってみると、考えさせられることがたくさん
ありました。その中で、自分として何ができるのか?どうしたら
いいのか?どうやっていくのかということを強く意識するように
なりました。正しいと思ったこと、どんな小さいことでも
自分なりに結論づけてそれを貫くことで、後悔のないようにする
ことを心がけるようになりました。
 最初のころ、ここで、友達が笑顔でいられるようにということを
約束しました。それがこの一年、少しは果たせたのかなぁと感じて
います。でも まだまだやれたのかもしれないという思うことは
たくさんあります。
 自分としてできること、それを考え、来年も実践していきたいです。
 今年も一年 ありがとう。来年もまたよろしくお願いします。



ようやく、学校での出来事を綴った生活綴り文ではなく、先生個人の生徒に対する気持ち綴った手紙が、S先生からもらえた。

4月の異動の際、教育長に事故で傷ついた生徒達が、卒業するまで見届けたいと言ってくれたS先生。

事故で引率した8人の教師の中、学校に残った2人のうち、唯一の娘が知る、娘の学年の先生である。


事故当初、ボート訓練の実行を生徒達に告げたのが S先生。  
雨天で驚く生徒達・・・。
その姿を写した写真を学校からもらい、写りは小さいが同じように、驚く娘の顔 を見つけた時、私はS先生を憎んだ。

昨年の1月の月命日の弔問時、私は教員の人事権のある教育長に
「引率した教師を全員、生徒達が卒業するまで、傷ついた生徒達のために 学校に残して欲しい。」とお願いした。
しかし、
「章南中の先生達はボロボロだ!」と大人の教師を守ろうとする教育長に、もう保護者でもない私の声は届かなかった。

今年の1月、市教委の月命日の弔問時に、主人と私はもう一度、お願いしてみるつもりだ。
        「学校ではベテランの、唯一事故を知る娘の学年の、S先生を異動させないで下さい。」 と。
保護者ではないけれど・・


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2 コメント

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Unknown (章南中3)
2013-02-02 22:32:32
当時の一年の担任だったA先生、T先生は異動し、K先生は退職ということで
自分はこの方々は逃げだしたと認識しています。

それに対しS先生はのこってくれた…
当たり前と言われれば当たり前ですが嬉しいです。

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Unknown (agasa)
2012-01-08 21:36:49
橋下大阪市長が、現在の教育委員会を一度ガラポンする、といってます。独裁だ、ちびヒットラーとか言われましたが結局市民からは大喝采で受け入れられています。
確かに誰も責任を取らないこの教育制度は変えなきゃいかん。ぶっ潰さなきゃいかんと私も思います。
ホントに誰も責任を取らない。市長は、自分が治める市の子どもが命を亡くされているのに、弔問にも来ない。こういう輩が再選されないように、白日の下にこれまでの所業をさらさなきゃいかんと考えています。
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