怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

1月16日  平成生まれの生徒達

2012-01-16 09:23:11 | 市教委に対して
昨日は19ヶ月近く続いている、静岡側の毎週の弔問日であった。

1年前の今頃は、急ピッチで進めなければ6/26に間に合わない、娘のブロンズ像について、毎週のように主人と私には宿題があった。
陶芸家選びから、遺族の意向を第一に進められ、像の設置場所・像の形状・像のタイトル・像のメッセージ等、次々と次回の弔問までに決定していった。

優しい作風が気に入り、選んだのは静岡の女性陶芸家であった。
ただ、像のタイトルとかメッセージと言われても、何もわからず、毎週弔問に来る静岡側3人と一緒に、考えてもらっていた。
メッセージは?と聞かれ、陶芸家先生からは知らない著名人の「人生とは○○する時間」という言葉にしたいと提示された。
確かに立派な言葉であったが、娘が果たして喜ぶだろうか?
像を見る多くの生徒さん達に伝わるだろうか?
平成生まれの子供達に・・・
私は娘も好きだった 歌手の西野カナの「if」という曲を、当時生徒さん達に教えてもらい、その歌詞が好きだった。
その曲を陶芸家先生にも聞いてもらい、問題はあるだろうが、メッセージにその歌詞の一部を使ってもらいたい、その歌詞なら、平成生まれの生徒さんの心に響くのでは?と強く思った。
メッセージやタイトルは、同じ陶芸家で静岡大学教授の、ご主人が彫られるという。
その女性陶芸家の先生も、昔教師だったといい、随時細かい制作プロセスを示したA4版の紙や写真が、静岡側から届いた。

そしてようやく私達が決めたタイトルは、主人と私の名前の漢字に、娘の名の読みを挟み、思いを込めて考えた、「 光奏でる友と 」。
しかし、土壇場になって、作家先生から示されたタイトルは、「新しい朝」でいきたいと。
ラジオ体操?のような、昭和の臭いプンプンのタイトルに、私の心は娘の像から離れていった。

その苦い経験があって、私は、豊橋市教育長が決めた 命の日 への取組みや内容が不安になった。
昭和の固い頭で、厳粛と型にはまった、命の日の娘の慰霊が 進められていくのに、我慢がならなかった。
「 生徒さん達の心に響く 明るくて希望の持てるもの にして下さい。
厳粛な形で、押し付けるのではなく。
   この事故は、教師達 大人が引き起こした のですから! 」


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