ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 10/20

2014-10-22 06:26:35 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。午前、ザビエル聖堂でのミサに参加。マルコ福音書における「受難物語」の位置付け。昼寝、1時間。『Nの肖像』を読む。1981年以後の松村先生の年譜を整理。「軍師官兵衛」、「遺留捜査」を途中まで見て9時半ダウン、4時半起床。体調、快調。チュン、チュン。

東山 富昭さん、文屋 知明さん、中野 芳夫さん、他24人が「いいね!」と言っています。

村田 多鶴子 おはようございます~♪新しい朝、希望の朝です。
今日も、お守りの内に、先生ご夫妻が、終日、体調、快調で、よい時間をお過ごしになられますようにm(__)m

藤木 冨士子 おはようございます。

萩野 秀子 おはようございます。チラシ配りをします。良き日となりますように。お祈りします。
posted at 04:40:04


文屋 善明
今日の名言:RT @meigen_bot27:
人は、いつか必ず死ぬということを思い知らなければ、 生きているということを実感することもできない。(M.ハイデッガー)
<一言>そうかな?そりゃ死ぬことは確実だが、そんなに、いつもいつも死ぬことばかり考えているのは不健康ですよね。これがハイデッガーの限界かな。

東山 富昭さん、小杉 義信さん、中野 芳夫さん、他27人が「いいね!」と言っています。

水草 修治 そうですね。ハイデガーのいうことには、むろん一理はあるでしょうけれど、陳腐な感じがします。・・・死によってしか生はちゃんと認識できないというのは、彼のいう生がその程度の生でしかないような気がします。
 主を仰ぎ見る者に与えられる生は、「永遠に死の影も悩みもない」それ自体で充実しきった生であるように思います。

文屋 善明 ハイデッガー哲学において「死」の意味は彼の時間概念にとって決定的な意味を持っていることは認めますが、それはあくまでも哲学上のことで「生きる」という「実感」とは次元が異なることであろうと思います。

清水 行雄 先生方、おはようございます。僕の知るところでは、ハイデガーは、ただ「存在」を哲学的に究明しようとしただけと、聞き及んでいます。

大脇 友弘 おはようございます。難しい話には着いていかませんが…、
「善明、ハイデッガーを超える」…、失礼いたしました(^_^;)
posted at 05:39:44

「昨日のツイート 10/18」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/2357db0a3d715d931aeb1095f43d90c…
posted at 06:26:06


文屋 善明
NHKこころ旅。今週は山口県。ホルンフェルス大断崖、こいのぼり山、銀杏の大木、大島大橋、食べ物が美味しそう。満倉の大岩。

東山 富昭さん、中野 芳夫さん、Yutaka Tanabeさん、他11人が「いいね!」と言っています。

長倉 崇宣 ホルンフェルス、懐かしいですね。学生の頃、夕日を見に行きました。

文屋 善明 たしかに、珍しい岩ですね。

烏田牛島 和美 ホルンフェルスの町で、父が食べもの屋を営んでいます。ブランドイカ「男命いか」の活き作りなど楽しめます。

文屋 善明 ホルンフェルスは明日ごろ放映されるかもしれませんね。

濱 和弘 山口に長く住んでいましたが、ホルンフェルスは一度も生きませんでした。地元の人間は近いと当たり前のようにそこにあるものなので、なかなかありがたみがわからなくて行かないんですよね。
posted at 07:59:55


文屋 善明
お目覚めの花。「何とはなしに、今日は月曜日ですね」「そう、昨日は日曜日でしたからね」「月曜日の聖堂って寂しいですね」「そうね、特にここの聖堂は、朝のお祈りもないしね」。
お目覚めの花。「何とはなしに、今日は月曜日ですね」「そう、昨日は日曜日でしたからね」「月曜日の聖堂って寂しいですね」「そうね、特にここの聖堂は、朝のお祈りもないしね」。

Liz Bunyaさん、竹花 京子さん、堀 俊明さん、他41人が「いいね!」と言っています。


文屋 善明
2014日々の聖句 10月20日(月)
乏しい人は永遠に忘れられることなく、貧しい人の希望は決して失われない。(詩9:19)
イエスの言葉:貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。(ルカ6:20)
私の黙想:
本日の詩9編と10編とを一つにして題名をつけるとしたら「世界の裁判官なるヤハウエ」ということであろう。ここでの「乏しい人」「貧しい人」とは「ヤハウエ以外に頼りにするものが何もない人々」を意味する。おそらくそれが、捕囚後のイスラエルの人々の民族的自意識であったのであろう。
「神のみが頼り」というあり方は、現実の世界においては価値が逆転する。神の他に頼りにするものがあるということは、その頼りにするものが失われたとき、あるいは価値がなくなったとき、その人自身もあるいはその民自体が存在の根拠を失い、世界の歴史から消え去る(18節)。
ということで、いきなり使徒パウロの言葉を思い起こす。ここらあたりが「黙想」の強みである。彼は生まれながらに持っていたいろいろ頼りになるものを数え上げた上で、「しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります」(フィリピ3:7~9)。

北村 良輔さん、中野 芳夫さん、林 巌雄さん、他29人が「いいね!」と言っています。

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