ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

6.11 脱原発宣言

2011-06-15 10:02:39 | ときのまにまに
去る6月11日、東日本大震災からちょうど3ヶ月目、私は一つの決断をいたしました。それまでは、まだ、多少の迷いもありましたが、この日を期して脱原発の立場に立つ決意をいたしました。これから徐々にその方向で発言していきたいと思っています。

最後の段階で私の背中を押したものは、高木仁三郎『原子力神話からの解放―――日本を滅ぼす9つの就縛――』(講談社、42-43頁)の次の文章です。以下、そのまま引用します。
…………
もう少しくだいて言いますと、日常生活では、原子というのは安定したものです。原子を構成する原子核はつねに安定していて、原子核のまわりを回る電子がいろいろ結びついたりして変化が起こります。この変化によって、日常生活に必要なエネルギーは、工業的に、あるいは人体の中で、生まれたり消滅したりしています。私たちの生命の世界というのはそういう世界です。
ところが核の世界は、私たちの世界では本来的に前提になっている原子核の安定性にあえて挑んでいって、その原子核の安定性を崩します。不安定化することで膨大なエネルギーを取り出すわけですから、私たちの日常生活にとっては脅威となるような現象がそこから起こってくることになります。そのことは原子力の歴史のなかで、概して非常に軽視されてきました。
考えてみれば、これはたいへんなことです。私たちが生活している日常世界の原理、すなわち原子核が安定していることによって成り立っている日常生活の安定性に、あえて挑むわけですから……。このような行為を称して、歴史的にもいろいろな表現があります。
たとえば「パンドラの箱を開けた」というのもその一つです。硬いクルミを叩き割って、こじ開けてしまった、あるいは禁断の木の実を食べてしまったという意味ですね。

この本質的な困難はどういうかたちで現われるかというと、とりもなおさず、それは放射線とか放射能と言われる現象として現われます。放射能とは、単に放射線を出す能力という意味だけでなく、一般的にはそういう能力を持った物質というふうに使われています。原子核を不安定化させると、結果として、大量の放射性物質が出てくるのです。
…………

これを読んだ衝撃は小さくありません。その日のブログで次のような文章を書いています。
今日、アマゾンから高木仁三郎『原子力神話からの解放』(講談社文庫)が届いた。ともかく、何よりも最優先に読むべきものとして読み始めた。凄い本だ。長年の疑問が一つ解けた。原子力はなぜ「禁断の実」なのか。ほかのエネルギーと根本的に異なる点が明瞭になった。「原子力を食べる」ということの犯罪性が明瞭になった。
エデンの園の「禁断の実」は決してエデンの園の「どの木の実でもいい」というわけではなかった。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」(創世記2:16-17)。物質とは何かということを追求して、その極限において人間は「原子核」に達した。そこまではいい。しかし、それは食べてならない木の実である。(ブログ「ぶんやさんち」(6月6日)

先日、イタリアにおいて原子力発電についての国民投票が行われ、圧倒的多数で脱原発が宣言された。マスコミがしたアンケート調査だからあまり信頼はできないが、日本でも今、原発についての国民投票が行われたら、その結果は明らかであろう。

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