13日の金曜日から4日間もブログが空いてしまいました。それで本日は日記の空きを埋める意味でこの間のことを、できるだけ「思い」については省略し日誌風にまとめておきます。
13日朝、4時起床。4時半手作りのパンとジャムで簡単な朝食。タクシーが5時に迎えに来たので家内と一緒に乗り込み赤間駅へ。博多行き5時34分の普通列車に乗り込み。博多に着いたのが6時14分、地下鉄で福岡空港へ。国内線第1ターミナルまではかなり距離があり、6時50分の集合時間にぎりぎり間に合う。航空券を阪急交通社の添乗員さんから受けとり、荷物検査を受け、待合室のベンチに腰を落ち着けたのが、7時10分頃。福岡発五島福江空港行きANA4915の機内のシートに座ったのが7時40分。飛行機は予定通り7時50分に福岡空港を離陸した。久しぶりの飛行機で少々興奮気味。実に慌ただしい朝で、朝の儀式も中途半端のまま。
福岡上空の機内からの景色
今日は阪急交通社の「さいはての五島列島 ぐるり周遊 2日間」というパック旅行に参加したのである。この旅行のセールスポイントは下五島(福江島)と上五島(中通島)とを2日間でめぐるという点である。しかも飛行機・船・バス等の交通機関はもちろんホテル代と食事4回付きで39,800円はかなり割安である。普通でいくと飛行機代だけで往復約30,000円、福江・奈良尾間の船賃が往復で1500円、ホテル代と食事代は少なめに見積もっても約15,000円、それだけで合計46,500円。それにガイド付きのバス代と添乗員の人件費(お世話代)は不明。
五島福江空港までは約40分。天候の関係で上昇の時多少揺れたが、シートベルト着用のランプが消えて5分ほどで着陸態勢に入った。予定通り、8時20分には福江空港着。人員の点検とこれから2日間のオリエンテーションがあり、空港前で待機している五島バスに乗り込んだのが9時。参加者は約30名、添乗員さんの名前は畦間さん。なかなかしっかりした頼りがいのある女性である。福江島での観光ガイドは小学校の校長を定年退職し、五島の歴史や植物等に詳しい郷土史家の松本さん。五島椿の会の副会長でもあるとのこと。とても愉快な元校長先生で、枠にはまらない型破りのガイドで参加者を楽しませてくれた。隠れキリシタンについても造詣が深く、わたしとしてはとてもラッキーであった。
井持浦教会
はじめに訪れたところが、五島でも西の端にある玉之浦半島の井持浦教会。ここには明治32年、東洋で最初に作られたというルルドの洞窟のレプリカがある。この洞窟は五島の各地から信徒たちが一つ一つ石を運んできて作られたといわれ、様々な奇跡が起こっているといわれている。現在の聖堂は昭和63年に完成されたロマネスク風の建物である。残念ながら中には入ることはできなかった。
次に訪れたところは日本列島の西の果て大瀬崎断崖で、そこには美しい灯台がある。しかし残念ながら雨のためその美しさを十分に堪能することはできなかった。それにしても玉之浦は外海からかなり入り込む入り江で、丘の上からの景色は抜群である。もう一度天候のよい日に訪れたいものである。
次に、空海が中国での修行を終えて帰国した際に漂着したのが玉之浦で、ここには玉之浦半島のつけねの所に「西の高野山」と呼ばれる真言宗の立派な「大寶寺」がある。ここは車窓からの見物ということでバスは県道384号を北に向かった走った。この沿線にはカトリックの村と仏教の村とがお行儀よく交互にあり、その境界線がはっきりしているのが面白い。面白いことに五島はキリシタンで有名であるが同時に仏教もかなり盛んな地のように見受けた。五島全体ではカトリックの信徒(キリスト者はほとんどカトリック)は全人口の25パーセントとのこと。カトリックの村には必ず立派な聖堂が建っている。クリスマスのシーズンにはイルミネイションが美しいのだという説明を聞きながら大浦教会、中の浦教会などを車窓から眺めてバスは北上を続け、高浜海水浴場でトイレ休憩。この海岸の向かい側には嵯峨ノ島という美しい島があり、近くの貝津という港からわずか20分ばかりで渡れる。昔、この島は潜伏キリシタンが開墾したとのことであるが、同時に流刑の島でもあり、ほとんど無法地帯であったとのこと。更に北上し、三井楽(みらく)という所にある遣唐使ふるさと館でバイキングスタイルの昼食。五島の郷土料理を満喫した。素朴ではあるが素材が新鮮で美味しくいただいた。何しろ朝食が4時半ということだったのでかなりで空腹でほとんどかぶりつき状態。ちょっと食べ過ぎたかとも思われる。
昼食後は東シナ海を眺めながら(実は雨のためバスの窓は曇りほとんど見えなかったが)東に向かい遣唐使船が立ち寄ったといわれている魚津ヶ崎(ぎょうがさき)公園で一服し、水の浦教会の付近で車窓から石油備蓄基地を眺め、今度は南の方向に下がり、福江市内の中心地まで戻り、武家屋敷通りを見学し、お茶をいただき、今度は一挙に北上して堂崎教会を訪れた。
この教会は明治12年(1879)禁教令解除後の五島における最初の教会として設立されキリシタン復活の拠点としての役割を担った教会である。赤煉瓦造りのゴシック風の聖堂は堂々として素晴らしい。現在はキリシタン迫害の受難の歴史を物語るキリシタン資料館になっている。同時に月に一度はここでミサが行われるとのこと。聖堂の前庭にあるヨハネ五島の十字架像は迫力がある。ヨハネ五島は伝道師を志しながらわずか19歳で殉教した26聖人の一人で、この教会は彼を記念して建てられた。
ヨハネ五島の十字架像
本日の観光は堂崎教会が最後で、ここから福江市内までノンストップ。車内ではガイドさんの説明が子守歌の状態。4時半頃、上之家ホテルにチェックイン。ホテルのレベルについてはノーコメント。旅の疲れが大いに安眠を助けた。明日は6時朝食、7時出発の予定。(この続きは明日のブログで)
雨のため写真が不鮮明なので絵はがきから
13日朝、4時起床。4時半手作りのパンとジャムで簡単な朝食。タクシーが5時に迎えに来たので家内と一緒に乗り込み赤間駅へ。博多行き5時34分の普通列車に乗り込み。博多に着いたのが6時14分、地下鉄で福岡空港へ。国内線第1ターミナルまではかなり距離があり、6時50分の集合時間にぎりぎり間に合う。航空券を阪急交通社の添乗員さんから受けとり、荷物検査を受け、待合室のベンチに腰を落ち着けたのが、7時10分頃。福岡発五島福江空港行きANA4915の機内のシートに座ったのが7時40分。飛行機は予定通り7時50分に福岡空港を離陸した。久しぶりの飛行機で少々興奮気味。実に慌ただしい朝で、朝の儀式も中途半端のまま。
福岡上空の機内からの景色
今日は阪急交通社の「さいはての五島列島 ぐるり周遊 2日間」というパック旅行に参加したのである。この旅行のセールスポイントは下五島(福江島)と上五島(中通島)とを2日間でめぐるという点である。しかも飛行機・船・バス等の交通機関はもちろんホテル代と食事4回付きで39,800円はかなり割安である。普通でいくと飛行機代だけで往復約30,000円、福江・奈良尾間の船賃が往復で1500円、ホテル代と食事代は少なめに見積もっても約15,000円、それだけで合計46,500円。それにガイド付きのバス代と添乗員の人件費(お世話代)は不明。
五島福江空港までは約40分。天候の関係で上昇の時多少揺れたが、シートベルト着用のランプが消えて5分ほどで着陸態勢に入った。予定通り、8時20分には福江空港着。人員の点検とこれから2日間のオリエンテーションがあり、空港前で待機している五島バスに乗り込んだのが9時。参加者は約30名、添乗員さんの名前は畦間さん。なかなかしっかりした頼りがいのある女性である。福江島での観光ガイドは小学校の校長を定年退職し、五島の歴史や植物等に詳しい郷土史家の松本さん。五島椿の会の副会長でもあるとのこと。とても愉快な元校長先生で、枠にはまらない型破りのガイドで参加者を楽しませてくれた。隠れキリシタンについても造詣が深く、わたしとしてはとてもラッキーであった。
井持浦教会
はじめに訪れたところが、五島でも西の端にある玉之浦半島の井持浦教会。ここには明治32年、東洋で最初に作られたというルルドの洞窟のレプリカがある。この洞窟は五島の各地から信徒たちが一つ一つ石を運んできて作られたといわれ、様々な奇跡が起こっているといわれている。現在の聖堂は昭和63年に完成されたロマネスク風の建物である。残念ながら中には入ることはできなかった。
次に訪れたところは日本列島の西の果て大瀬崎断崖で、そこには美しい灯台がある。しかし残念ながら雨のためその美しさを十分に堪能することはできなかった。それにしても玉之浦は外海からかなり入り込む入り江で、丘の上からの景色は抜群である。もう一度天候のよい日に訪れたいものである。
次に、空海が中国での修行を終えて帰国した際に漂着したのが玉之浦で、ここには玉之浦半島のつけねの所に「西の高野山」と呼ばれる真言宗の立派な「大寶寺」がある。ここは車窓からの見物ということでバスは県道384号を北に向かった走った。この沿線にはカトリックの村と仏教の村とがお行儀よく交互にあり、その境界線がはっきりしているのが面白い。面白いことに五島はキリシタンで有名であるが同時に仏教もかなり盛んな地のように見受けた。五島全体ではカトリックの信徒(キリスト者はほとんどカトリック)は全人口の25パーセントとのこと。カトリックの村には必ず立派な聖堂が建っている。クリスマスのシーズンにはイルミネイションが美しいのだという説明を聞きながら大浦教会、中の浦教会などを車窓から眺めてバスは北上を続け、高浜海水浴場でトイレ休憩。この海岸の向かい側には嵯峨ノ島という美しい島があり、近くの貝津という港からわずか20分ばかりで渡れる。昔、この島は潜伏キリシタンが開墾したとのことであるが、同時に流刑の島でもあり、ほとんど無法地帯であったとのこと。更に北上し、三井楽(みらく)という所にある遣唐使ふるさと館でバイキングスタイルの昼食。五島の郷土料理を満喫した。素朴ではあるが素材が新鮮で美味しくいただいた。何しろ朝食が4時半ということだったのでかなりで空腹でほとんどかぶりつき状態。ちょっと食べ過ぎたかとも思われる。
昼食後は東シナ海を眺めながら(実は雨のためバスの窓は曇りほとんど見えなかったが)東に向かい遣唐使船が立ち寄ったといわれている魚津ヶ崎(ぎょうがさき)公園で一服し、水の浦教会の付近で車窓から石油備蓄基地を眺め、今度は南の方向に下がり、福江市内の中心地まで戻り、武家屋敷通りを見学し、お茶をいただき、今度は一挙に北上して堂崎教会を訪れた。
この教会は明治12年(1879)禁教令解除後の五島における最初の教会として設立されキリシタン復活の拠点としての役割を担った教会である。赤煉瓦造りのゴシック風の聖堂は堂々として素晴らしい。現在はキリシタン迫害の受難の歴史を物語るキリシタン資料館になっている。同時に月に一度はここでミサが行われるとのこと。聖堂の前庭にあるヨハネ五島の十字架像は迫力がある。ヨハネ五島は伝道師を志しながらわずか19歳で殉教した26聖人の一人で、この教会は彼を記念して建てられた。
ヨハネ五島の十字架像
本日の観光は堂崎教会が最後で、ここから福江市内までノンストップ。車内ではガイドさんの説明が子守歌の状態。4時半頃、上之家ホテルにチェックイン。ホテルのレベルについてはノーコメント。旅の疲れが大いに安眠を助けた。明日は6時朝食、7時出発の予定。(この続きは明日のブログで)
雨のため写真が不鮮明なので絵はがきから