ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

「今般政府に尋問の筋これあり」

2009-06-15 16:00:12 | ときのまにまに
鳩山邦夫前総務大臣が、麻生首相に「今般政府に尋問の筋これあり」という西郷隆盛の言葉を叩き付けて辞任した。その後は、わたしが予想した通り、いろいろな隠されていた裏情報が次々と流出してくる。もう「流出」というより「暴露」に近い。予想通り麻生首相と自民党の支持率はどんどん低下している。
さて、そんな政局のことは、もうここまできたらどうでもいい。なるようにしかならない。むしろ、わたしは西郷さんのこの言葉をこんな場面で使うセンスの問題である。この言葉はそんなに軽いものではない。西郷さんが竹馬の友、大久保利通に向かってこの言葉を使った場面は、大臣を辞任するかどうかというような場面ではなく、それから百年後を想定した両雄の生命をかけた場面であった。
明治維新という共通の目的を辛苦を共にし、文字通り生命をかけて達成した。ただ、これからの日本の経営という点で、両者に行き違いがあった。そこで西郷はすべてを大久保に託して薩摩に戻ってしまう。そのときの西郷には何も野心もなかったに違いない。野心というものから最も無関係なところが西郷の西郷たるところである。しかし、東京から最も離れたところに住む、西郷を最も恐れ、気にしていたのは大久保利通であった。大久保は西郷のことを一番理解していたし、西郷も大久保のことを誰よりもよく知っていた。二人の間にはたとえ意見は異なっても戦う意志など全くなかったに違いなかった。しかし、状況はそれ程簡単ではなかった。
明治新政府にとって最大の問題は財政危機であり、そのためにそれまでの支配階級(=官僚)に支払われていた禄(俸給)を廃止せざるを得なかった。言い換えると、新政府にとって武士階級は不要な存在であった。食い扶持を失った武士たちは生活に困窮し、浪人になり、巷に溢れていた。もう、刀の時代は終わっていた。国中にあふれた武士たちは政府に向かって武力闘争をしかけた。その背後に西郷隆盛の匂いを嗅いだ大久保は、新しくできた警察制度の長、大警視川路利良に命じて密偵を薩摩に派遣させた。その密偵団には西郷暗殺の秘密指令もあった言われている。この暗殺指令に大久保がどれだけ関わっていたのか不明である。
このことを知った西郷は密偵の件に関して「今般政府に尋問の筋これあり」と言ったとされる。それがいわゆる西南戦争の切っ掛けとなった。
従って、この言葉は仲良し仲間が喧嘩別れしたというレベルの問題ではない。単純な異議申し立てでも宣戦布告でもない。言葉の意味としては「政府に向かって質問がある」ということであるが、問うほうも答えるほうもお互いに何もいう必要はないほどよく分かっているが、「ここまで行ってしまったら、戦えば負けるのは分かっているが、戦うしかないだろう」。それが西郷の真意であろう。従ってここの言葉は大久保に向かって語られたというよりも、自分に向かって語る非常に思い歴史的「独り言」であろう。「政府に」という言葉には、今権力を持っているのは「あんた」だが、その権力を生み出したのは「あんたとわたし」だという自負が感じられる。その点では、鳩山さんがこの言葉を引用したくなるの気持ちは理解できるが、重さが違う。


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