ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

対馬にて(3) 豊砲台

2009-05-22 14:48:11 | ときのまにまに
対馬での最初の朝は、美しい朝日に照らされて始まり、朝食に続いて朝の様々なセレモニーを済ませたところへ、午前9時ジャストに花子さんはホテルの玄関まで迎えにきてくれた。この人はどこまで几帳面なのか。しかも、車中で飲むお茶まで準備してのお迎えである。教のスケジュールは北の端まで行くとのこと。日本列島を小さくしたような細長い対馬のちょうど大阪あたりに位置するところが淺茅湾で、厳密にいうと淺茅湾を挟んで南と北とに割れている。大雑把に言うと、淺茅湾から南の端、豆酘まで約1時間、北の端、豊まで約2時間、で南端から北端まで約3時間で縦断できる。ホテルは淺茅湾近くの鶏知にあり、昨日は鶏知から厳原の間(島の中央部)を廻ったことになる。今日はここから北の方向に走ることになる。というのは、わたしの個人的な関心で、対馬に行ったらぜひ立ち寄りたいところの候補として旧日本軍の「豊砲台」跡を筆頭にあげていたからである。わたしの希望を聞いたときの花子さんはいかにも「変人」だと言わんばかりにわたしの顔をしげしげと見ていたが、「わたしも行ったことがない」と一言。よっぽど変なところらしい。
ともかく、彼女の軽自動車元気よくホテルを出発した。しばらく走り、彼女は「やっぱりもう一度挑戦」と言ったかと思うと、自動車は昨日の上見坂公園に向かって走り出した。あそこからの眺めをぜひ見せたいという、もうこうなったら「意地」である。しかし、残念。今朝も雲が多く、そこから韓国はもちろん、淺茅湾も見えなかった。

        

そこから万関橋を渡り、神話のふるさと和多都美神社に立ち寄り、烏帽子岳展望台に上り、対馬の山々を展望し、ともかく北へ北へ、ちょうどお昼ちょっと前に、対州そばで有名な「そば道場あがたの里」に到着、ざるそばとそばがきに舌鼓を打ち、さらに北へ。

        

その最先端に旧日本陸軍豊砲台跡がひっそりと、隠れるように存在する。この砲台は太平洋戦争のとき、日本海の制海権を確保するために建造されたもので、設置された大砲は口径40.6センチ、砲身18.5メートル、重量103トンで、戦艦赤城の主砲を据えたと言われている。
        
        

昭和4年5月に着工、5年の歳月を費やして、同9年3月に完成した。しかし、もうその時には戦争の主力は飛行機に代わっており、世界最大の巨砲も無用の長物になっていた。結局、一発も発射することなく、終戦後解体され、現在は砲台の跡だけが残っている。
興味深いことに、この大事業も極秘事項であったため、対馬に人々はほとんど知らないことであったらしい。
豊砲台に興味を持つ観光客はほとんどいないらしく、砲台跡の周辺はかなり荒れていた。丘の中腹にポッカリと横穴があり、中は真っ暗である。入り口には説明版があり、ボタンを押すとテープがまわり、解説の声が響く。静寂の中に響く声は帰って寂しさを誘う。洞窟に入り口に、100円投入すると30分だけ点灯されるという説明があり、指示通りにすると成る程洞内は裸電球がともる。今にも怪物が出そうであるが、よく見ると、これは自然の洞窟ではなくコンクリート作りの建造物で、外から見えないようにカモフラージュのための細工によっていかにも普通の山にしか見えない。内部はかなり広く、その奥に、広い丸井空間があり、そこに巨大砲が設置されていたらしい。この砲台は5年かけて建設され、7年間、島民からも遮断され、日本海ににらみを効かせていたのかと思うと感慨深い。しかも、その時代はすでに「制海権」ではなく「制空権」が課題となっていた。喜劇か、悲劇か。まだ、読んでいないが大西巨人の『神性喜劇』という長編小説が対馬の砲台を守る兵隊の物語であるとのこと。ぜひ、読みたい。

        

対馬はその地政学的位置から、日本史における3っつの大きな戦争に巻き込まれている。その第1が元寇との戦いであった。このときは、蒙古軍の艦隊が博多に向かう途中、ほんの気まぐれのようにして対馬に立ち寄った際に起こった悲劇であった。その第2が、日露戦争の折にバルチック艦隊が対馬の近くを通過するということで、日本海軍はバルチック艦隊が対馬海峡を通るのか、朝鮮海峡を通るのかということで作戦上、両海域を軍艦が行き来することができるようにと急遽掘られたのが万関瀬戸で、その上を渡っているのが万関橋である。そして、その3が太平洋戦争である。しかし、結局歴史をふり返るとき、対馬は大きな戦争に巻き込まれつつ、一発も大砲を撃たなかった。
今日、日朝関係、朝鮮半島の南北関係の緊張が高まり、日朝関係が怪しくなっている状況において、対馬の人々はどう考えているのだろうか。聞いてみた。答えは「戦争による被害はそれ程心配していないが、むしろ朝鮮半島からの難民問題が心配だ」とのこと。これは、対馬に人でなければ分からない感覚であろう。

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