ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 10/29 西田幾多郎の敗北(大宅壮一)

2014-10-31 10:10:41 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。『これがニーチェだ』続読少々。ニーチェにおける「神の死」とは「この世界の存在そのものと一体化した本来の神がキリスト教とその道徳によってなぶり殺されてしまったということ」。浮羽市杷木にそばの花を見に出かける。松末の蕎麦屋「和さ田」で昼食。小石原・飯塚経由で帰宅。夜、日本シリーズを見て9時過ぎに就寝、5時起床。体調、快調。チュン、チュン。

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萩野 秀子 おはようございます。整形外科、チラシ配りをします。良き日となりますように。お祈りします。

Satoshi Mizota ほんの読み方のペースが落ちたようですね。いいですね。じっくり読む。理解するまで読む。いいですね。

文屋 善明 この本の場合には、いちいちニーチェの原文(邦訳ですが)にあたりながら読んでいるので、時間がかかります。でも、非常に有益です。
posted at 05:10:22


文屋 善明
今日の名言:RT @kotoba_bot:
「余の顔を忘れた訳では在るまいな」
<一言>この偉そうな言葉、テレビ番組「暴れん坊将軍」の主人公のセリフ。この歳になって分かったこと、「忘れてもいいこと」と「忘れられないこと」とがはっきりしてくる。私の人生において何が大切なことだったのか分かってくる。

望月 克仁さん、Yutaka Tanabeさん、藤井 衞さん、他25人が「いいね!」と言っています。

播 稔 文屋先生の「言わんとすること」が、少しわかりました。
posted at 06:14:39


文屋 善明さんが写真4枚を追加しました。
お目覚めの花。「あなたがたも置かれるべきところに置かれると立派ですね」「でも、わざわざ近寄って見にくれて、おまけに写真まで撮るあなたも変わっていますね。普通は蕎麦が茹で上がるのを待つまでの間、部屋から眺められるだけなんですがね」。(昨日立ち寄った蕎麦屋さんの庭にて)
文屋 善明さんの写真

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村田 多鶴子 いい感じのお庭ですね~♪

杉浦 紀明 うゎあ!(゜д゜)!何と立派なツワブキ。こんなに豪華なツワブキは初めて見ました。ありがとうございます。

播 稔 自然な感じがいいですね。それで、良く庭掃除、花の手入れは良くなされていますね。

Tomomi Spennemann-Oshima ツワブキは庭先にもあるのですが、似た花が沢山ありますが、葉と茎が特徴なんですね.食べることもできるらしいですよ。私はまだ頂いていませんけれど。

文屋 善明 この花は、マンションの裏庭(自宅の横、寝室の窓から見える所)の斜面に沢山自生していて、私には「美しい雑草」としか思えません(でした)。

Tomomi Spennemann-Oshima もずが似合う花ですから、池のそばとかお茶室のそばに植えられていますよ。二三本でも存在感がありますね。

糸原 由美子 ハウスの庭にあったツワブキは職員のKさんが干して貧血のお薬にしてましたよ。私は幼いとき母と摘んでふきのように煮て食べたと思います。


文屋 善明
2014日々の聖句 10月29日(水)
わたしは主を避けどころとしている。どうしてあなたたちはわたしの魂に言うのか「鳥のように山へ逃れよ」と。(詩11:1)
自分の確信を捨ててはいけません。この確信には大きな報いがあります。(ヘブル10:35)
私の黙想:
エルサレムに留まるべきか、エルサレムを離れて安全な場所に移動すべきか。ヤハウエ信仰を維持すべきか、この世を支配している権力に依存すべきか。ヤハウエ信仰に立つものはこの世の武力の前で無力である。だからエルサレムから逃げ出せ。
イスラエルの歴史の中ではこういう国論を二分するような状況をしばしば経験したのであろう。その意味では預言者イザヤと預言者エレミアとのメッセージは対立する。どちらが正しいのか性急に判断できない。エルサレムを離れてヤハウエ信仰を維持するべきか、エルサレムに留まり、ヤハウエ信仰に殉死するべきか。
この「山に逃れよ」という言葉で、マルコ福音書の13章14節を思い起こす。強力なローマ軍に包囲される危機迫る中、キリスト者たちはエルサレムを離れて「山に逃れた」。ヤハウエ信仰に立つ一部のユダヤ教徒はエルサレムにとどまりローマ軍と徹底抗戦し全滅した。本当の意味ではキリスト者たちは神宿る「エルサレムに神殿」を放棄した。実は、自分たちの信仰体系の中から「神殿信仰」を廃棄した。生き残ったユダヤ人たちは殉死した「英雄たち」を誉め讃え、逃げたキリスト者たちを軽蔑した。これは歴史の中で実際に起ったことである。

望月 克仁さん、舟田 譲二さん、増野 真美さん、他20人が「いいね!」と言っています。

門叶 国泰 王国史にとどまらず、イスラエル史、キリスト教史まで、さすが黙想が広がりますね。感謝!

清水 行雄 おはようございます。今朝は、黙想というより、歴史講義の感があります。(^_^)

文屋 善明 「黙想」というのは「黙って想う」ということで、非常に独断性が広く認められています。まぁ、言うならば、スキだらけということでしょう。歴史に対してもスキだらけの論述です。

Satoshi Mizota アソビもなければ精密機械も組み立てられません。

文屋 善明 ありがとうございます。そう言っていたけたら光栄です。「専門家」ではないということをつくづく思わされています。


文屋 善明さんがアルバム「うきは市松末のそば畑にて」に写真を12枚追加しました。
2014年10月28日、こんな植物の種(失礼!)を人間は「発見」し、栽培し、食べることを覚えたものだと感心します。最後の2枚は隣接する柿畑。
文屋 善明さんの写真

西村 逸郎さん、望月 克仁さん、渡邊 宣博さん、他30人が「いいね!」と言っています。


文屋 善明さんがアルバム「うきは市松末の蕎麦屋「和さ田」」に写真を7枚追加しました。
アチラコチラに散在する蕎麦畑に囲まれたところに隠れた名店「和さ田」を偶然「発見」しました。こんな田舎にと思うほど立派な座敷の蕎麦屋さんでした。この店の向かい側には温泉もあります。昔は旅館だったのかと思わせる佇まいでした。十割手打ち蕎麦は最高!
文屋 善明さんの写真

望月 克仁さん、清水 晴好さん、金井 由嗣さん、他24人が「いいね!」と言っています。

村田 多鶴子 お蕎麦大好き人間としては、羨ましい贅沢ですね~♪(^^♪


文屋 善明さんが写真2枚を追加しました。
昨日、柿の里、杷木で買ってきた渋柿を皮を向き、熱湯に10秒ほど浸して、ただいま干し始めました。さぁ、何時食べれるようになるか楽しみです。

文屋 善明さんの写真

西村 逸郎さん、望月 克仁さん、宮脇 温子さん、他45人が「いいね!」と言っています。

播 稔 干す前に、10秒程度熱湯で殺菌するわけですね。知らなかった。

清水 晴好 アルコール殺菌じゃなくて、熱消毒なんだ。

文屋 善明 この後で、焼酎を噴霧します。

清水 晴好 にゃ~るほど。

播 稔 自然のアルコールも利用するのですね、焼酎が柿のうまさをひきだす効果も有るのかも。

文屋 善明 表面が十分に乾燥していなければ焼酎の滅菌作用が減じますので。いわば、二重殺菌です。

播 稔 そういうことなんですね。

堀 俊子 去年も確か干し柿、みましたが、殺菌は知らないでした。

塩澤 紀子 ひもが長めですね。風でなびきそう。

藤井 衞 成全寮時代には庭の渋柿を干し柿にしてクリスマスに食した思い出があります。

安永 玲子 私大好物です!でもほしがきません、観るだけで我慢!^^


植村 光郎‎文屋 善明
文屋先生 こんにちわ。渋柿の色が綺麗ですね。「和さ田」の蕎麦は私も気に入っています。


文屋 善明
ただいま、ジムから帰宅しました。今日は疲れているので、カルーく。

望月 克仁さん、舟田 譲二さん、Mae Nishioさん、他16人が「いいね!」と言っています。

播 稔 かるーく1杯ですか?

播 稔 いや3杯は、かるーくのうちだなー。

門叶 国泰 私も「軽く」。インストラクターの予約を取らずに行ったので、苦しいとすぐ止めてしまう、しかも、先週さぼったので体が重くて。

文屋 善明 休むよりはましですよね。

文屋 善明さんが鄭玹汀さんの写真をシェアしました。
これは貴重な資料です。要保存。

西田幾多郎の敗北(大宅壮一)

以下、『「文藝春秋」にみる昭和史』(第一巻、文藝春秋、1988年、546~555頁)より

西田幾多郎といえば、日本の文化界に聳え立つ富士山のような存在である。日本の哲学、思想界における西田哲学の地位は不動である。……
西田哲学は“西田教”というべきもので、この国のもっとも高くてもっとも深い知識人の宗教となっている。今ではこの国の思想界も“二つの世界”に分れて抗争しているが、不思議にも西田幾多郎は、双方の偶像である。神聖にして犯すべからざるものである。
……
“西田教”の信者たちには全然知られていないといっていい大きな秘密がある。それはこの大教祖が“大東亜宣言”の草案を書いたということである。

東條英機といえば、日本軍閥の巨頭である。いや、無謀な“大東亜戦争”をひきおこした最高責任者として、極東裁判において戦犯第一号として処刑された男である。この東條が戦時中に企画、演出、主演したところの大芝居は、昭和18(1943)年11月5日に東京で開催した“大東亜会議”と称するものである。
……
とにかくこの企ては、東條政権のクライマックスを飾るとともに、日本民族膨張の最大のピークとして記念さるべきものである。
 そのために日本的知性の最高峰ともいうべき西田幾多郎が、その最深最高の知性を傾けたとしても、別に不思議ではない。それなら新聞にも堂々と発表さるべきであったのに、当時そのことはごく限られた人々の間にしか知られず、闇から闇へ葬り去られてしまった。戦後検閲制度が撤廃され、言論の自由が完全に確保されて後に出た『西田幾多郎全集』にも、これだけは収録されていない。
……
政府と大本営で“大東亜会議”を開くことを正式に決定したのは、昭和18年5月31日の御前会議においてである。これには関係各大臣と統師府代表が出て、「大東亜政略指導大綱」なるものを決定した。日本人ばかりでなく占領下の諸民族をも打って一丸とした総力戦体制をつくりあげようというのである。
……
軍事力だけではもうやっていけない、軍事力を強化するにしても、国民大衆、特にその知的上層部の積極的支持をえなければ、大衆がついて来ない、“大東亜共栄圏”などといっても、ただお念仏のように、オームのように唱えているのでは魂が入らない。このままでは占領下の諸民族はもちろん日本人さえも引っぱっていけなくなるだろう、この戦争をもっと意義をあらしめるものにするには、少なくともそう思わせるには、これに深い哲学的な根拠が与えられなければならない―といったような考え方が、一部、“国を憂うる”人々の間に、そのころ期せずして起ってきたのである。“大東亜宣言”草案を第一流の思想家に書かせるという計画も、この空気の反映の一つと見てよい。

博士(西田幾多郎博士)はつぎのようなものを書いて約束を果たした。これには「世界新秩序の原理」という題がついている。
要旨(最後の部分―引用者)

「(前略)今や志を同じうする独、伊、その他の諸国は、欧州の天地に新秩序を建設すべく勇敢に闘っている。亜欧両州におけるこの二大事業の完成する秋(とき)、真の世界平和を招来すべき世界的世界は実現するであろう。東亜共栄圏を通じて世界的世界の実現に努力すること、これが東亜諸民族の第二の歴史的課題である」

矢次(矢次一夫)氏はこれを二十部限定してプリントし、陸海軍大臣、次官、軍務局長、参謀本部や軍令部の首脳部、首相、外相、情報局総裁、書記官長らに配布した。

それから数カ月後に開かれた“大東亜会議”で採用された“大東亜宣言”は、五カ条から成っていて、「道義に基づく共存共栄」といったような使い古された慣用句や、「経済的発展」「人種的差別撤廃」「資源解放」などの実際的、実利的な面をうたったもので、西田哲学の影響らしいものはほとんど認められない。
……
ところで、もしも博士が金井(金井章次)、矢次氏の申し出を拒絶していたら、はたしてどういうことになったであろうか。案外無事であったかもしれないし、万一つかまっていたら、戦後は文字どおりに日本の知識人の最大の偶像、神さまになっていたにちがいない。
(後略)
「秘録実話―西田幾多郎の敗北(大宅壮一)」『文藝春秋』1954年6月号

望月 克仁さん、三田 清次さん、小泉 達彦さん、他19人が「いいね!」と言っています。

二上 英朗 へえ。

Akira Ueda 京都学派の闇の側面ですね。

文屋 善明 その時には「光の側面」でした。確かにあの時西田先生は光っていたのであろう。だから西田先生の「弟子であること」を誇りにし、その為なら何でも犠牲にしたのであろう。それが結局「学派形成」になった。西田先生に適度の距離を持ち「独立」していたのは波多野精一だけだったように思う。

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