ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 11/04

2012-11-05 14:26:01 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。昨日は『キリスト教の揺籃期』(1997)読了、同じ著者による『使徒行伝と歴史』(1957)を読むところ(この40年が意味すること)、その前に佐藤研の『聖書時代史(新約編)を読む。夜はNHKの『実験刑事トトリ』を見る。三上博史と高橋光臣の組み合わせが面白い。10時に就寝。今朝は5時に起床。体調快調。チュン、チュン。
posted at 05:08:07

#losungenj 11.04(sun)
そのあなたが御心に留めてくださるとは人間は何ものなのでしょう。(Ps8:5) わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。(Rom5:8)
posted at 05:25:08
#losungenj 私の黙想:
今日の聖句は「人間」という存在の不思議さ、凄さを賛美している。何が不思議なのか、凄いのか。ただ一点、天地万物を創造し、支配し、動かす「全能の神」が吹けば飛ぶような人間に目を留めているという、この事実。この事実が人間のミステリアスである。それを除けば人間は他の動物を比較してもほとんど無能に近い動物に過ぎない。ペトロの手紙1の著者は言う。
「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない」。詩人が「御心に留め」の具体的な現れが「神が人間に言葉をかけ、人間はその言葉を聞く」という事実に他ならない。だから、「神の言葉を聞く」ことのない人は、・・・・。
posted at 05:30:51

今日の名言:RT @meigennavi:
私達があらゆる努力をする…全精神力、精神力全体を傾注して、まず自己を極限にまで使い尽くして高めきった後に、私達は今一度これまでの過程で獲得してきた事柄すべてを捨て去ることができなければならない。(シュタイナー)
<一言>表現が極端であるが、さすがに神秘哲学者で教育学者の言葉だ。要するに、いろいろな方法で獲得された「知識」をすべて捨て去った後に、自己の内部に残っている「意識」がその人自身のものである。「知識(knowledege)」と「意識(consciouness)」という言葉の使い分けに注意。
posted at 05:48:54

追記:FBでは、昨日の文章の後に次のような言葉が付いています。 <だからこそ、登り坂でふうふう苦しみながら登る姿に感動する。人生、登り坂もあれば、下り坂もある。だから生きるに値する。>RT @3tk: @ybunya なんかすごい^^ #こころ旅 #kokorotabi
posted at 06:21:10

「昨日のツイート 11/03」をブログにアップしました。 http://t.co/bwn37J2m
posted at 06:37:12
只今、八幡から帰宅。礼拝後、4時近くまで話し込んでしまった。焼酎の飲み方から始まって、博多うどんのこと、長浜ラーメンのこと、替え玉の習慣、もつ鍋のこと、福岡という地名の由来、初期ユダヤ教のこと、イエスと律法学者との関係等様々、話題は尽きない。
posted at 16:48:53

<補遺>
昨日の説教は信徒たちにはかなり厳しかったらしく、昼食後、かなり質問や感想が飛んできた。やはり、友のために命を捨てるということ、あるいは全財産を売って施すという、非常に極端な「愛」には厳しいものがある。

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