ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 10/17 三木清「時局と思想」の『宣伝と政治の限界』

2015-10-19 08:41:25 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。読書はお休み。「ヨハネにおける奇跡理解」を少々。お握りを持って海の中道へ。帰宅後、昼寝1時間。写真の整理。夜、「ぴったんこかんかん」台湾編を見る。10時に就寝。熟睡。6時起床、身体の節々が痛い。その他体調・快調。チュン、チュン。
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藤木 冨士子 おはようございます。
今日は教会で食糧デー支援バザーがあります。飢餓の中にいる人たちにたくさんささげられるように、がんばってきます。

萩野 秀子 おはようございます。ゆっくりとおやすみなさい。次男の文化祭、チラシ配りをします。癒やされますように。お祈りします。

村田 多鶴子 おはようございます~♪ 身体の節々が痛いってお辛いでしょうね。速やかにその痛みから解放され、先生ご夫妻が、お守りの内に穏やかなよい時間をお過ごしになられますようにm(__)m

文屋 善明 心地よい疲労感です。

村田 多鶴子 それを聞いて、ホッとしました~(笑)
posted at 06:22:54


文屋 善明
10月17日 7:06 ·
今日の名言:@kotoba_bot
神は存在する。なぜなら数学が無矛盾だから。そして悪魔も存在する。なぜならそれを証明することはできないから。(アンドレ・ヴェイユ、数論研究者)
<一言>というよりも、「博士の愛した数式」(小川洋子)の博士の言葉という方がピッタシ来る。数学者ってこんなこと考えているのだ。
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堀 俊明 数学的記述には矛盾が存在するのをゲーデルが証明しています。不完全性定理

文屋 善明 そうすると、数学的には「神は存在しない」ということになりますね。そうか、問題の立て方が間違っているということか。
posted at 07:05:57


「今週のローズンゲン 2015/10/11~10/17」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/f133f4838aedbf56b0a6e6103b6888e…
posted at 08:33:39

「昨日のツイート 10/15 三木清『輿論の本質とその実力』」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/f10550bfbf78731605a04ee4e6e2d2a…
posted at 09:06:37


文屋 善明さんが新しい写真2枚を追加しました
10月17日 7:01 ·
お目覚めの花。「秋ですね」「ハイ、秋です」。
文屋 善明さんの写真

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文屋 善明
10月17日 6:49 ·
2015日々の聖句 10月17日(土)
あなたの間に、占い師、卜者、易者、呪術師、などがいてはならない。これらのことを行う者をすべて、主はいとわれる。(申命記18:10,12)
自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。(ロマ1:22~23)
私の黙想:
単純素朴な遊牧民族、ただ目には見えない天地の造り主であるヤハウェを信じていたイスラエルの民にとって、バビロニア捕囚は大きなカルチャーショックであったのであろう。そこでは単純なヤハウェ信仰にはない、人間の文化、知恵が花開いている、当時としては高度な文化生活であった。そこでイスラエルの民はいろいろなことを学んだ。その中でも、神話、歴史等と共に高度な宗教的呪術等、神を自由に操作する技術であったのであろう。バビロンの高度文化に影響を受けやすいのは、若者たちであった。そういう風習に惹かれていく若者たちを指導者たち、親たちは必死で食い止めようとした。今日の聖句において「ヤハウェはいとわれる」、という言葉の中にその必死さが伺える。口語訳ではもっと厳しい。「ヤハウェは憎まれる」。フランシスコ会訳では「ヤハウェは忌み嫌われる」とあり、汚いものを見るような表現である。
日本の若者たちが「ハロウイーン風」の化粧とファッションで町を練り歩く姿を見るのを、私たちキリスト者が感じるあの「イヤーナ気分」。西洋文化の最も恥部な部分がさらけ出されている。私たちは、大急ぎで、あれはキリスト教とは全く関係はございません、と叫びたくなる感じ。
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清水 行雄 おはようございます。いいね!を押す僕は、素朴なおっさんなんでしょうねf^_^;)


文屋 善明さんは加藤 佑三さんと一緒です
10月17日 7:07 ·
もう4年ですか。これからもよろしく。
4年前の今日過去の思い出をチェック:加藤 佑三さんとFacebookで友達になって4年です!

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Richard Bakerさん、藤木 冨士子さん、加藤 佑三さん、他5人が「いいね!」と言っています。
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加藤 佑三 本当に4年間もお付き合いいただきありがとうございます。終末期も見捨てないで下さい。

文屋 善明 いや、ほんとうに、お世辞なしで、佑三さんとお友だちになれたことは、嬉しいです。鋭い社会批判と、暖かい家族愛、学んでいます。一度、一緒にゆっくり飲んで、大いに喋りたいですね。

加藤 佑三 わ-い、嬉しい。目にゴミが入って。大先生にこんな褒め言葉を貰えるとは。是非是非私も死ぬ前にお会いして御礼が言いたいです。機会を待ちます。(裸の自分がばれてしまうのが不安ですが)

文屋 善明 お互いに、裸同士で、温泉ででも。


文屋 善明
10月17日 8:24 ·
世界のジャーナリストはキッチリ見て、ちゃんと報道しています。ああ、日本のジャーナリズムは死んでいます。
田中 隆夫さんの写真

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10207880391469185&set=a.2355788495636.138181.1277935117&type=3&theater

田中 隆夫
10月16日 21:29 · 編集済み ·
海外メディアも驚いた安保法案抗議デモ。だが「日本のメディアは大幅に弱体化。朝日新聞も、ましてやNHKは…」
週プレNEWS 10月15日(木)10時0分配信
戦後70年を迎え、大きな問題が山積する日本の姿を海外メディアはどのように見つめ、報道しているのか?  

「週プレ外国人記者クラブ」第4回は、英紙『エコノミスト』や『インディペンデント』などに寄稿するデイビッド・マックニール氏に、安保法案への抗議で盛り上がった市民デモについて聞いた。

***

―「安全保障関連法案」がようやく成立しました。衆参両院での審議やそれを取り巻く一連の出来事を見て、どのように感じましたか?

マックニール 印象的だったのは、国会で審議が進み、政府が安保法案について説明すればするほど、逆に法案の具体的な目的や意味がわからなくなったことです。でも、私がそれ以上に驚いたのは、デモなどを通じてこの法案に反対し、抗議する動きが想像を遥かに上回る規模に広まったことでした。

それまで日本では右翼のほうが活発だと思われていて、例えば在特会の嫌韓デモなどに行くと200人規模のデモが頻繁(ひんぱん)に行なわれていましたが、安保法案に抗議する動きでは、それこそ数千人、数万人規模の学生や主婦、普通のサラリーマンらが集まった…。私は日本に住んで今年で15年目になりますが、日本人がこれほど積極的に政治に対して意思表示をするなどとは夢にも思っていなかったし、それは多くの海外メディア関係者に共通する感想でしょう。

―何が日本人にそうした変化をもたらしたのでしょう?

マックニール 政府の説明に対する「不信感」や「透明性の欠如」という要素が大きいと思います。先ほど言ったように、この法案について安倍政権が説明すればするほど多くの矛盾が浮かび上がり、政府は本当の意図を隠している、自分たちから白紙委任状を取ろうとしているのだ…という懐疑的な気持ちが人々の中で広がったことで、デモなどの抗議が拡大したのだと思います。

実は先月、SEALDsのリーダーである奥田さんにインタビューする機会があったのですが、「どうやってここまできたの?」という質問に対して、彼が答えたのは、まず反原発のデモがあって、その次に「秘密保護法」に反対する運動があって、そして今回の「安保法制」と、一連の出来事を通して、一歩ずつ運動が拡大してきたのだということでした。その意味では安保法制の前から「変化」が既に起きていたとも言えるでしょう。

―実際に安保法案に反対するデモを見て、どんな印象を持ちましたか?

マックニール まず強調したいのは、彼らのデモが非常に平和的、紳士的だということ。60年代や70年代の学生運動にみられたような暴力性は全くなく、ある意味「保守的」だとすら言える。彼らは「革命」ではなく、現行の政治システムの中でこの国を変えていきたいと考えているという点です。

ただし、世論調査では国民の多くが反対しているにもかかわらず、彼らのデモは「原発再稼働」も「秘密保護法」も、今回の「安保法案」も最終的に阻止することができなかった。当然、この国の民主主義がまともに機能していないという意識や、それに伴うフラストレーションは相当に膨らんでいるはずで、それが今後、彼らの運動にどのような変化をもたらすのかにも注目しています。

―他の国々、例えばイギリスでは、こうしたデモは珍しくないのでしょうか?

マックニール 最近のデモで最も大規模だったのは2002年にロンドンで行なわれたイラク戦争に反対するデモで、この時は政府側の発表では100万人、主催者発表では200万人が集まったと言われています。

この時の状況は今の日本に似ていて、世論調査では国民の70~80%がイラク戦争に反対していたのですが、当時のイギリス首相だったトニー・ブレアはそうした「民意」を無視する形でアメリカのイラク戦争を支持し、イギリス軍の部隊を戦地に送り、戦死者まで出してしまった。

あれから13年を経た今、こうした「民意」が実は正しかったことが証明され、人々はトニー・ブレアへの怒りを忘れていません。彼の言葉はもう誰も信用しないし、道を歩いているだけで彼を「犯罪者として捕まえろ!」という人たちも、いまだに後を絶ちません。

―対象的に、日本ではアメリカの「大義なき」イラク戦争を支持した小泉純一郎首相の責任を追及しようという動きはほとんどありませんでした。また、日本人は一般的に「熱しやすく冷めやすい」ところがありますが…。

マックニール 安保法案は成立しましたが、この先も沖縄県辺野古の米軍基地問題など多くの課題が残されており、政府にとっては危険な状況が続くでしょう。中でも沖縄の問題は非常に重要で、翁長知事が埋め立て承認を取り消したことで、法廷での争いも含めて、安倍政権との全面的な対立となる可能性は非常に高い。

もちろん、この問題に関するメディアの扱い方にもよりますが、最近では辺野古の基地の問題について沖縄県内だけでなく、本土の人たちの関心も高まっているだけに、今後の動き次第では、沖縄の問題がより大きな問題へと発展する可能性もあると考えています。

―そのメディアですが、ここ数年で「権力の監視」という機能が大幅に弱まってしまい、NHKなどはまるで「政府の広報機関」のようです。こうしたメディアの弱体化、あるいは安倍政権による「コントロール」の強化が、ようやく芽生えた学生や市民の活動に影響を与える可能性はありませんか?

マックニール 確かに安倍政権成立後、メディアは大幅に弱体化され、日本の代表的なリベラル紙だった朝日新聞も慰安婦問題の「誤報」騒ぎで叩かれてからすっかりおとなしくなってしまった。もちろんTVも同様で、NHKについては言うまでもありません…。

また、これは今に始まったことではありませんが、記者クラブ制度の弊害によって、記者会見でも政府はあらかじめ準備された質問に答えるだけで、メディアの側から厳しい質問が飛ぶことはほぼない。政府の言い分をそのまま伝えるだけというのが、この国のメディアの偽らざる現状です。

ただし、あの3・11の原発事故をきっかけに、日本の人たちは大手メディアの報道に対して以前よりもずっと懐疑的になっていて、「TVや新聞が本当のことを報じていない」と考える人は増えている。インターネットを含めて、市民が情報を集める手段は以前よりも遥かに多様化しているので、大手メディアの影響力は以前ほど強くないというのは確かだと思いますね。

●デイビッド・マックニール
アイルランド出身。東京大学大学院に留学した後、2000年に再来日し、英紙『エコノミスト』や『インディペンデント』に寄稿している

(取材・文/川喜田 研)

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竹本 耕造さん、森田 美芽さん、藤木 冨士子さん、他29人が「いいね!」と言っています。
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嶋津 雅彦 報道の自由が損なわれることは、国民の知る権利が守られなくなるということです。メディアには、そこを自覚して踏ん張ってほしいと思います。

堀 俊明 偏向報道が正常に戻っただけでしょう。

Yoshinobu Tobo 真理概念がしっかりしていないからでしょう。

石井 昭 安倍政権の安保法案の危険度もさることながら、日本の憲法無視、国論無視、立憲民主主義無視、暴力国会強行を平気でやる安倍政権のあやうさ、そしてそれを許した日本政治の脆さそのものをも、世界はちゃんと見ておる。公明党よ。民主党よ、維新の政党などそれを忘れるな。


文屋 善明
10月17日 8:46 ·
強烈すぎる現代風刺画。

https://www.facebook.com/DevRange/photos/pcb.883044571792122/883042381792341/?type=3&theater

心理学と人間開発さんの写真

心理学と人間開発さんが新しい写真16枚を追加しました — 友達: Hannah Mayさん、他94人
8月25日 ·
• These Disturbing Illustrations Expose the Sad Truth About Modern Society.
By: Steve Cutts

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Luke Etsuzou Nomahさん、竹本 耕造さん、藤木 冨士子さん、他36人が「いいね!」と言っています。


文屋 善明
10月17日 9:27 ·
今日の「折々のことば」。本当にそうだと思います。不寛容というのは自分以外のすべてを「死体化」することなんですね。だから、何を言われてもニヤニヤしておれるんだ、あの人は。
文屋 善明さんの写真

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=910907215653407&set=a.200492220028247.51380.100002024109092&type=3&theater

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岡 輝美さん、佐藤 静代さん、西川 芳昭さん、他23人が「いいね!」と言っています。
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堀 俊明 日本ほど自由に議論できる国は少ないでしょう。


文屋 善明さんが新しい写真4枚を追加しました
10月17日 15:29 · 編集済み ·
強烈すぎる現代の風刺画から4つを選んで名前を付けてみました。「スマホ」「テレビ」「経済構造」「飽食」
文屋 善明さんの写真

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竹本 耕造さん、佐藤 文俊さん、Susumu Odaさん、他14人が「いいね!」と言っています。
コメント

加藤 佑三 何と無く解る物もありますが、是非とも簡単な解説をお願いします。
いいね! · 返信 · 1 · 10月17日 18:17
文屋 善明
文屋 善明 風刺画を「解説する」ほど野暮なことはありません。もし、解説が必要だとすると、その風刺画は失敗作です。だから「題名」をつけるのも躊躇しました。


文屋 善明さんが森 カズマサさんの動画をシェアしました。
10月17日 18:53 ·
言っておきますが、日本人は笑われているのですよ。誇るべき世界の笑い者。

https://www.facebook.com/yoshiaki.bunya

再生44,711回
森 カズマサさんが新しい動画をアップロードしました
10月8日 3:12 · 編集済み ·
ドイツから見た日本國における福島と放射能に関しての認識具合のレベルの低さと無関心さに対する風刺動画。
“放射能蔓延自体が嘘の心理誘導”であるとか、
“気にせずニコニコしていれば大丈夫”
であるとかに関する、日本國のバカ楽観論と
バカ楽観妄想に関して、上手く表現されている動画であります。

完全に不謹慎な動画なのですが、
人はまず、なぜハッキリと解らない疑問、疑わしき数々の問題等に対して、
国家政府がとことんまで真剣に追求し、それを國民に対して公にしていかないのか?
という部分に着眼すべきであります。

国家政府は皆さんが思っている以上に、
完全にクソの塊なのであります。

『そんな訳ないない。全然大丈夫大丈夫♪
ポジティブポジティブ』というアホみたいな思想だけであらゆる問題が片付いていくんならば、今頃武器強化とか核武装とか戦争や紛争や原発再稼働やなんか言うてる訳ないがな。

全然まだまだ無関心さの集積のせいで問題だらけやぞ。

関心を一気に向けて集中して、一旦ややこいことが済んでから全開に楽しんだらええやんか。

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伊藤 利行さん、播 稔さん、Luke Etsuzou Nomahさん、他18人が「いいね!」と言っています。
コメント

中野 芳夫 無関心は罪です !!

藤木 冨士子 何も言えません。

播 稔 日本は住めない国になるかもしれないのに。


文屋 善明
10月17日 19:34 ·
以下に紹介する文章は、三木清氏の「時局と思想」の『宣伝と政治の限界』の部分である。ドイツにおいてヒトラーが1934年8月19日に総統に就任して以来、ナチ政権は次々と国内法を改悪し、戦争の準備を進め、遂にチェッコスロバキアに侵入を始めた頃の評論である。日本では、この年の7月に盧溝橋事件を起こし日中戦争が勃発して間もない頃のことである。不思議なことに80年近い前に書かれた評論が現在の日本にそのまま置き換えても違和感がないことである。ぜひ、ご一読お願いいたします。
時局と思想 (1937年9月、『日本評論』)
宣伝と政治の限界
スペィンの内乱は容易に終熄しそうにもない。戦闘は次第に北方戦線から南方戦線ヘ移り、マドリッド戦線においては、7月初め、かつてヨーロッパの経験したことのないような大規模の空中戦とタンク戦が展開されたと伝えられている。またチェッコスロヴァキアに対するナチス・ドイツの脅威は愈々大きくなり、チェッコ議会においては新たに国防訓練法案が可決された。そして他方ダニューブ・ナチスの策動はダニューブ沿岸諸国を軒並に震駭させ、オーストラリアにおいては愛国戦線を正規軍に編入する等、その対応策が種々講ぜられている。かくて「欧州の危機」は増大するばかりである。ヨーロッパの政治家はいづれも、戦争が、しかも破滅的な戦争が不可避であると信じているといわれている。
この場合更に次の如き事情が指摘されている。 「各国新聞紙は、この欧州の不安を激成するに大きな役割を持っている。新聞を通じて非難された外国はそれに反作用し、隣国の非難に対して非難を浴せ返し、結局戦争の不可避を思い込ませる憎悪を発生させるに至るのである。例えば、ドイツやイタリーの諸新聞の痛罵は、ロシア及びフランス各紙の痛罵を喚び起し、英国においてすら、独裁者の攻撃が現政府反対党の弁士から投げられると、囂々たる拍手の声援が新聞に見出されるという有様である。即ち新聞に現はれた欧州の悪意は実に恐るべきものである。痛罵誹謗と悪意の論説が今日の如くかくも多数発表されるということは以前には無く、第1次世界大戦前にも見られないものであり、1914年当時の新聞諭調ですらもっと友好の気分に充ちていたということである」(『文学界』9月号、海外文化ニュース)。
実際、今朝の新聞を見ると、ドイツ政府はロンドン駐在ドイツ代理大使を通じイギリス政府に対してロンドン・タイムス紙がべルリン支局長ノーマン・エバット氏を2週間以内にべルリンから召還するよう必要な手段をとられたい旨要請したと報ぜられている。これに関してドイツの一新聞はドイツ政府の立場を伝えていう。「エバット氏は常にドイツ生活の悪い半面のみを狙い、タイムス紙の読者に封しドイツに就いて好くない印象を興えるような話題を報じた。ドイツ政府は爾来必要な手段をとる考であったが、英独関係に紛糾を来すことをおそれて躊躇して来た。然るに今や英国政府が3人のドイツ記者にロンドン退去を命令した以上、ドイツ政府としては最早猶予する理由はない、唯ドイツ政府が英国人記者3人に退去を要求せず、単に1人としたのは寛大と節度とを示したものである」(8月10日同盟通信電報)。
新聞の上では欧州はまさに噴火山上にある。しかし事態は果してそれほど差し迫って戦争に向っているのであろうか。将来の欧州大戦において大きな役割を演ずべきヨーロッパの民衆は果してそれほど興奮の坩堝の中にあるのであろうか。危機が叫ばれてから既に4ヶ年、欧州の天地は依然としてマルスの神の蹂躙する所となっていない。それは何故であろうか。この疑問に突き当たってニューヨーク・タイムス紙のロンドン特派員フェルヂナンド・ カーン氏は、 眼をヨーロ ッパの民衆に向け、彼等が案外冷静であることを認め、宣伝戦の民衆に及ぼした逆効果を発見して、次のようにいっている。「国境を越えて未曾有の激烈な悪意が交換されている現状にも拘らず、欧州の諸国民は故意に耳を塞ぎ、隣国の民衆を憎悪することを拒否している如くに見える。これが、私の見る所に依れば、一切の不安な現状にあっても、各々が武器をとって闘はない原囚の一つであろう」と。先づ欧州の危機の根源ともいわれるドイツ国民はどうか。毎日の新聞の第1頁に超特大号の活字を用いてでかでかに印刷された政府筋發表物を見たとき、 彼等は即座にこれに反応し、他国に対して憤慨などしているか。ベルリンで見られる所では、大抵の市民は、もう飽き飽きしたといった態度で、肩をすぼめ、素速く頁を繰って第2頁から読み始める。これはナチス政権治下の4ヶ年で、かうした政治的環境にすっかり慣れっこになってしまった結果であるという。同様にフランス市民も、毎週外交通信員が暴露してくれる恐るベき陰謀記事に対し、嘘だといわんばかりの態度をとっている。英国においても、サラリーマンが忙しくバスを捕へ、電車に乗って、一刻も早く家路に着くのは、どこそこの国でまたセンセーショナルな新事件が起ったと書き立てる新聞を読んで驚いたためではない。彼等はそれらの政治的紛争をせいぜい一号活字見出しの殺人事件の記事位にしか考えていないのである。かく例証しつつ、カーン氏は、民衆のかかる案外な無関心は、要するに食傷気味になってしまった結果であるといっている。(前掲『文学界』参照)
私はもとよりカーン氏の言が全部の直理であるとは信じない。しかしその観察には注目すベきものが含まれていると思う。そして氏がヨーロッパに就いて述ベたことが我々自身の場合にとって教訓的でないとは言えないのである。
近代の新聞はリベラリズムと共に發達した。事件を自由に報道すると共に興諭を現はしまた興論を作るということ、あるいは種々の立場における意見と批判とを伝えるということが新聞の仕事であった。然るに自由主義が衰退し、統制が強化されて来た場合、新聞はなお何を為すことが出来るか。 主としてセンセーショナルな宣伝があるのみである。他方、政治は宣伝である。これは今日の政治のイロハとなっている。今日の政治の宣伝的性質が今日の新聞のコマーシャリズムと結び附くのである。各国政府の惰報部というものは、民衆に対する宣伝部の意味をもっている。
報道と言論とを統制された新聞の政治的情報がその商業主義と結び附いて宣伝的となるのは、自然の勢であろう。もしヨーロッパの民衆が政治的記事に対して無関心になっているとすれば、 それは彼等がセンセーションに慣れてしまったためである。人間は驚くベき順応性を有する動物だ。あるいはそれは彼等が政治は宣伝であるということを見抜いてしまったためである。「継続した雄弁は退屈させる」とパスカルは書いている。宣伝は雄弁でなければ宣伝でなく、然るに継続した雄弁はやがて民衆を退屈させる。そこに今日の情勢における政治にとって不可避な限界がある。「鉄は熱い間に打たねばならない」というのは周知の諺だ。しかし鉄を打とうとする者は適当な時期において、初めてそれを熱くすることを心得ていなければならない。あまり早く熱くすると、愈々打とうという段になって却って冷くなっているということがある。そして日本の政治も現在において特にその危険がないとはいえないあろう。
ヨーロッパの民衆ももちろん決して政治に対して無関心になっているわけではなかろう。今日の情勢において誰が政治に対して無関心でいることができるであろうか。もし彼等が政治的情報に対して無関心を示しているとすれば、その「情報」が宣伝的であって真実をありのままに伝えないからである。真理は全体である。然るに今日の統制された情報はただ一部分しか伝えず、そのうえ多くは宣伝的に誇張され、あるいは反対に過小評価されている。とりわけ民衆が知りたがっているところの他の国の民衆の意見に就いては何事も知り得ない。唯一つ、カーン氏の言から知られることは、いづれの国の民衆も他の国の民衆に対してそれほど憎悪を抱いていないということである。宣伝的であることを見抜いてしまった政治的記事に対して民衆が無関心になっているということは、かくして逆に、いかに民衆が真実を知りたがっているかを示すものである。今日ほど人々が真実を知りたがっている時代はない、しかも今日ほど真実が知り難い時代もない。
「古い神学的精神は根本において言葉の十分な意味における政治的精神である」、とアランは書いている。裏返して言えば、政治的精神は神学的精神であって科学的精神ではない。今日の政治は神学のようにドグマチックであり、不寛容であり、道理によってでなく「威嚇と約束と報酬」とを掲げることによって人間を動かそうとしている。
政治は今日の情勢において宣伝たらざるを得ないということが政治の限界である。そして統制は宣伝になるという所にまた言論の統制の弱点があり、限界がある。その限界において示されるものは、民衆はいづれは宣伝に飽きるものであり、また彼等は結局真理を知りたがっているということである。そこにあらゆる文化的活動は政治に対して自分の活動の出発点を見出し得るのであり、また見出さねばならない。
北支事変が始って以来、毎日の新聞記事ばかりが心に懸って、小説など読む気持ちが全く起らないと言っている文学者などもあるようである。それは人間の本能として自然のことであろう。しかし現象に追随することは慎まなければならない。すべての文化的活動に従事する者は寧ろ今日において政治の限界をはっきり見究め、そこから政治に対する文化の関係を設定し、自分の活動の領域と意義とを確立することが大切である。

播 稔さん、アモス エノク 若山さん、Luke Etsuzou Nomahさん、他23人が「いいね!」と言っています。

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