ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

オリンピック憲章

2009-10-13 18:18:41 | ときのまにまに
2020年のオリンピックを広島・長崎で開催しようという運動が始まりつつあるようだ。しかも核廃絶運動と絡み合わせて招致活動をすれば有利だという判断もあるようだ。そのことについて、賛成・反対の声が高らかに上げられている。東京とは招致活動に150億円を投入しても駄目だったという。その筋の情報通によると、200億円ぐらい使わなければならないという。その意味では石原知事もケチったのかも知れない。後から負け犬のようにぼやいても後の祭りであろう。そんなことはどうでもいい。
問題は、オリンピックという純粋にスポーツの祭典であるべき国際的行事がスポーツ以外の何かの目的のために利用されるということである。ナチスが国威発揚のために1936年のベルリン・オリンピックを開催したことは有名であるが、その後のどのオリンピックでも何ランカの形で政治的目的が絡んでいる。
もっとも、核廃絶というモチベーションは政治的であるかどうかということについては議論の余地があるが、少なくとも核兵器を持っている国ともっていない国がある以上「政治的課題」になっている。そういう国際的状況において「核廃絶」ということをテーマにしてオリンピック開催を目指すというのは「ひとりよがり」過ぎないだろうか。オリンピックにおいては核兵器を保有する国も保有しない国も、一時的にその問題を括弧に入れて、完全に対等の立場で競技をするところに意味がある。
この度の2016年オリンピック招致運動の総決算となったプレゼンテーションで鳩山首相は環境問題を前面に押し出し、いい「説教」をした。それを聞いていたIOCの委員の中に、東京に入れないと罪悪感を感じるような強制を感じたと述べたという。オリンピックの招致という場面で人々をそのような気分にさせるプレゼンテーションはいかがなものか。わたしの友人のひとりが、「 広島・長崎への招致も下手をすると説教つきの招致アッピールになりそうだ」と述べていた。わたしも全く同感である。
そこで、もう一度オリンピックとは何かということを考えるためにも「オリンピック憲章の前文」を掲載しておく。

オリンピズムの根本原則(憲章の前文)
1 オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高めて融合させた、均衡のとれた総体としての人間を目指すものである。スポーツを文化や教育と融合させるオリンピズムが求めるものは、努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などに基づいた生き方の創造である。
2 オリンピズムの目標は、スポーツを人間の調和のとれた発達に役立てることにある。その目的は、人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進することにある。
3 オリンピック・ムーブメントは、オリンピズムの諸価値に依って生きようとする全ての個人や団体による、IOC の最高権威のもとで行われる、計画され組織された普遍的かつ恒久的な活動である。それは五大陸にまたがるものである。またそれは世界中の競技者を一堂に集めて開催される偉大なスポーツの祭典、オリンピック競技大会で頂点に達する。そのシンボルは、互いに交わる五輪である。
4 スポーツを行なうことは人権の一つである。各個人はスポーツを行う機会を与えられなければならない。そのような機会は、友情、連帯そしてフェアプレーの精神に基づく相互理解が必須であるオリンピック精神に則り、そしていかなる種類の差別もなく、与えられるべきである。スポーツの組織、管理、運営は独立したスポーツ団体によって監督されなければならない。
5 人種、宗教、政治、性別、その他の理由に基づく国や個人に対する差別はいかなる形であれオリンピック・ムーブメントに属する事とは相容れない。
6 オリンピック・ムーブメントに属するためには、オリンピック憲章の遵守及びIOC の承認が必要である。
2004 年9 月1 日から有効



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