ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

11月14日(水)のFB

2018-11-15 13:50:20 | ツイッター
11月14日(水)、主の平和。お早うございます。良く晴れた日です。今日は輸血の予定。それ以外の予定なし。
体温:36.2、血圧:136/83、心拍:95、血液酸素:95%。
体調・快調、チュンチュン。
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33Kamikatura Uccjさん、Noriko Tama Corlさん、他31人

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村田 多鶴子 おはようございます~♪
こちらもよく晴れています。
ご夫妻をはじめご親族の皆さんがお守りの内に穏やかな佳い一日をお過ごしになられますようにm(__)m

小貫 ツマ お早うございます。こちらも青空が見えています。主の平和!。

久保和男 主の平和。

文屋 善明
お目覚めの花。これは空に舞う花火ではありません。宗像大社の菊祭りの菊です。そんなこと見ればわかる。はい、見たとおりです。
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、屋外、自然
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32Kamikatura Uccjさん、Noriko Tama Corlさん、他30人

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Minae Moriwaki 思わず、菊花火のYouTubeをみてしまいました(*^o^*)
今晩の安きをお祈りいたします。

文屋 善明
2018 日々の聖句 11月14日㈬
天よ、露を滴らせよ。雲よ、正義を注げ。地が開いて、救いが実を結ぶように。恵みの御業が共に芽生えるように。わたしは主、それを創造する。(イザヤ45:8)
今や、めぐみの時、今こそ救いの日。(2コリント6:2)
私の黙想:
ペルシャ帝国の興隆とキュロス王の登場。彼の登場によりイスラエルの民はバビロン捕囚から解放された。この章の第1節で「主が油を注がれた人キュロスについて主はこう言われる。わたしは彼の右の手を固く取り、国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。扉は彼の前に開かれどの城門も閉ざされることはない」。旧約聖書で異国のキングを「主が油注がれた人」という表現はここだけのことである。キュロス王がするであろうこと「国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。扉は彼の前に開かれどの城門も閉ざされることはない」、つまり彼は諸国の王を破り降伏させるが、彼がすれであろう第1のことは武装解除であり、各国の国境の開放である。それは従来の戦争終結とは著しく異なるものであり、新しい形の「新しい形の帝国」であり、ヤハウェはそれを「救済」と見ているようだ。
1節から8節までの間に「わたしが主」という言葉が5回繰り返される。そしてその言葉に対応して「あなたは知らなかった」という言葉が2回繰り返される。つまりペルシャ王に対してヤハウェが「油を注いだ者(メシヤ)」と呼ぶ。それは必ずしもイスラエルだけのの解放者ではない。当時の人たちにとっては信じられないことであった。「あなたはそれを知らない」。
ヤハウェによって偉業がなされる。それを人間は理解できない。理解できなくてもいい。イスラエルの主は、あなたを主の民のために働くものとして祝福を与えるが、あなたはそれを知らなくてもいい。あなたは全世界に平和をもたらす器とされる。天はあなたに「恵みを注ぎ」、あなたは世界に「正義」をもたらすであろうが、それら全ては神の創造のみ業なのである。
何と言う壮大な預言であろう。神は神を知らない者をも神の器として用いられる。
21Minae Moriwakiさん、磯野 眞紀子さん、他19人

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祈りは連帯して力となる、アーメン

眞野 玄範
WCC「祈りの輪」東ティモール民主共和国(ティモール・レステ)、インドネシア共和国、フィリピン共和国に生きる人々を覚えて(2018/11/18-24)

○感謝をささげましょう
†地域で重大な意味を持った教会の証しのゆえに
†民族、文化、宗教の多様性のゆえに。ことにインドネシアで宗教間の架け橋を築いてきた人々のゆえに。
†人権、正義、平和、和解のために勇敢に抵抗し、働いてきた人々のゆえに。ことにフィリピン教会教協議会(NCCP)のゆえに。
†自然資源を荒らす採掘、森林破壊、その他の環境破壊に抗議している人々のゆえに。

○嘆願をささげましょう
†インドネシア、フィリピン、東ティモールの政府のため。かれらが腐敗をなくし、正義と平和を確立し、そこに住むすべての人々の福祉のために働くように。
†紛争、拷問、ドラッグ、人身売買、人権侵害の被害者のため。責任ある者たちが罪を問われるように。
†地震、津波、その他の自然災害の被害に遭った人々のため。地域社会の復興のため。
†正義、平和、持続可能性をもたらすための教派、宗教を超えた協力のため。

○祈り(フィリピン)
主よ、どうかキリスト教信仰は田圃のようであることを悟らせてください。稲は植えられた時には一株一株が目立っていますが、根を張って丈が伸びるにつれ、株に分かれていることは見えなくなって、ただひとつの広大な田圃が現れます。そのように、わたしたちの人生においてみ旨が為されますように、わたしたちに愛の根を与えてください。分かち合いと奉仕において成長させてください。救い主、御子イエス・キリストによって。アーメン

10宮田 真也さん、越山 香菜子さん、他8人

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ことの善悪を超えて人類にとって貴重な資料だ。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1133305850160098&set=a.101540370003323&type=3&theater鄭玹汀
『封印された原爆報告書 NHKスペシャル』(2010年8月6日放送)を見ました。衝撃的な内容でした。以下のブログから重要なポイントを抜粋します。

https://blog.goo.ne.jp/t…/e/ddac9fad8987f13e69ab7562da0a07f2 より抜粋

【はじめに】
アメリカ国立公文書館の資料室にあるフィルムが眠っていた。そこに映し出されたのは被害の実態調査に借り出された日本の医師と科学者たちだった。その数1300人。被ばく地でしか得られない貴重な調査が行われていた。

報告書は全部で181冊。1万ページにおよぶ。戦後に日本を占領したGHQの資料の中におさめられていた。そこには被爆国日本自らが調べ上げた被害の実態が描かれていた。
また放射線が人間の臓器にどのような影響をおよぼすのか。200人の超す被爆者の遺体を解剖した記録もあった。

調査の対象となった被爆者は2万人。治療はほとんど行われず、原爆が人体に与える影響が調べられていた。報告書はすべて日本人の手で英語に翻訳されていた。この貴重な記録はすべて原爆を落とした国、アメリカに渡されていた。
われわれは数少ない関係者を取材していった。そこから浮かび上がってきたのは、被爆者の治療よりもアメリカとの関係を優先させていた日本の姿だった。

【旧陸軍病院宇品分院にて】

調査を受けた被爆者の一人が生きていた。沖田博さん(89)。
嫌がる沖田さんに構わず、さまざまな検査が2ヶ月間、続けられた。
「お前、モルモットじゃ!と言われたような気になりました。こんちくしょうと言いたいのだけれど言えない。くそっと思いながら態度には出せませんでした」と沖田さん。

【アメリカ調査団へ日本の協力】

広島と長崎に相次いで投下された原子爆弾。その年だけであわせて20万人を超す人たちが亡くなった。原爆投下直後、軍部によって始められた調査は、終戦とともに一気に拡大した。国の大号令で、全国の大学などから1300人を超す医師や科学者が集められた。調査は巨大な国家プロジェクトになり、2年以上の歳月が費やされた。

なぜ自ら調べた原爆被害の記録をアメリカに渡したのか。われわれはアメリカ公文書館に記録された報告書の中に答えを見出さんとした。するとある人物の名が浮かび上がってきた。アシュレー・オーターソン大佐。マッカーサーの主治医で終戦直後に来日したアメリカ原爆調査団の代表だった。

オーターソン大佐とともに日本で調査にあたった人物がカリフォルニアにいた。フィリップ・ロジ氏。92歳。調査団の中の最も若い医師だった。ロジ氏は、調査団がつくとすぐに日本側が報告書を渡したいと申し出てきたと語る。

「オーターソン大佐は大変、喜んでいました。日本がすぐに協力的な姿勢を示してくれたからです。日本は私たちが入手できない重要なデータを原爆投下直後から集めてくれていたのです。まさに被爆国にしかできない調査でした。」

報告書を渡していたのは、原爆調査を指揮する陸軍省医務局の幹部だった。その中の一人が小出策郎軍医中佐だ。30歳の若さで医務局入りしたエリートだった。陸軍が最初に行った報告書もすべて英語に翻訳されてオーターソン大佐にわたされていた。なぜ小出中佐は終戦前から調べていた内容をアメリカに渡したのか。

当時の内情を知る人物が生きていた。陸軍の軍医少佐だった三木輝雄さん。94歳。医務局長を父に持ち、終戦時は大本営に所属していた。報告書を提出した背景には、占領軍との関係を配慮する日本側の意志があったという。

三木さんは語る。
「いずれ要求があるだろうと。その時はどうせもっていかなけりゃいかん。それなら早く持って行った方が心証がいいだろうと。それで要求がないうちにもっていった」

「-なんのために心証をよくしようとしたのでしょうか」
「731(部隊)のこともあるでしょうね。」

三木さんがいう731部隊は、生物・化学兵器の効果を確認するために、満州で捕虜を使った人体実験を行った特殊部隊だ。ポツダム会談で、連合国は、捕虜虐待などの戦争犯罪を厳しく追及することを確認していた。小出中佐は、陸軍の戦後処理を任された一人だった。

終戦を迎えた8月15日に小出少佐に極秘命令が出ている。「敵に証拠を得られると不利となる特殊研究はすべて証拠を隠滅せよ」

大本営にいた三木さんは、動揺する幹部の姿を間近にみていた。戦争犯罪の追求から逃れるためにも、戦後のアメリカとの関係を築くためにも、原爆報告書を渡すことは「当時の国益に叶うものだった」と言う。

「新しい兵器を持てば、その威力が誰でも知りたいものですよ。カードで言えば有効なカードがあまりないので、原爆のことはかなり有力なカードだったでしょうね」と三木さん。
自ら開発した原子爆弾の威力を知りたいアメリカ。戦争に負けた日本。原爆を落とした国と落とされた国。二つの国の利害が一致した。

【アメリカがもっとも欲しかったものは・・・】

原爆投下から2カ月。アメリカの調査団が入ってくると、日本はその意向を強く受けて、調査に力を入れるようになる。小出中佐にかわって、アメリカとの橋渡し役を務めるようになったのが、東京帝国大学の都築正男教授だった。放射線医学の第一人者で、当初から陸軍とともに調査にあたってきた。

報告書番号14。都築教授が陸軍と共同で作成したこの報告書の中に、同時アメリカが最も必要としていたデータがあった。原爆がどれだけの範囲にいる人を調べた記録だ。対象となったのは、広島市内で被ばくした17000人の子どもたちだった。どこで何人死亡したのか、70か所で調べたデータが記されている。

爆心地から1.3キロにいた子どもたちは、132人中50人が死亡。0.8キロでは、560人全員が死亡している。8月6日の朝、広島市内のあちこちで、大勢の子どもたちが学徒動員の作業に駆り出されていた。同じ場所でまとまって作業をしていた子どもたちが、原爆の殺傷能力を知るためのサンプルとされたのだ。

都築教授たちが調査を行った背景に、アメリカからの要請があった。アメリカ調査団の代表オーターソン大佐がこのデータに強い関心を示していた。ワシントン郊外にあるアメリカ陸軍病理学研究所、日本からのデータはすべてここに集められた。オーターソン大佐は調査の結果を、「原爆の医学的効果」と題する6冊の論文にまとめていた。

「第6巻には子どもたちの被害のデータがあるので、政治的配慮から機密解除が遅れました」

17000人の子どもたちのデータから得られたのは1枚のグラフだった。爆心地からの距離と死者の割合を示す死亡率曲線だ。原爆がどれだけの人を殺傷できるのか、世界で初めてあらわされたこのグラフは、アメリカ核戦略の礎となった。

こうしたデータを元に、同時、アメリカ空軍が行っていたシミュレ―ションがある。ソ連の主要都市を攻撃するのに、広島型原爆が何発必要かを算出し、モスクワ6発、ウラジオストク3発、スターリングラード5発という試算を出していた。

オーターソン大佐の研究をひきついだカリフォルニア大学名誉教授ジェームズ・ヤマザキ氏94歳は、死亡率曲線は、広島・長崎の子どもたちの犠牲がなければ得られなかったと指摘し、次のように語った。

「革命的な発見でした。原爆の驚異的な殺傷能力を確認できたのですから。アメリカにとって極めて重要な軍事情報でした。まさに日本人の協力の賜物です。貴重な情報を提供してくれたのですから。」

(中略)
65年前に失われた多くの尊い命。そして生き残った人たちが味わった苦しみ。その犠牲と引き換えに残された記録が、被爆者のために生かされることはなかった。世界の唯一の被爆国でありながら、自らの原爆被害に眼を向けてこなかった日本。封印されていた181冊の報告書が、その矛盾を物語っている。
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17Kamikatura Uccjさん、鄭玹汀さん、他15人

文屋 善明
「11月13日(火)のFB」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

10Kamikatura Uccjさん、安井 郁夫さん、他8人

文屋 善明
私の考える「将来の日本の理想的な姿」
日本の国は八方が海に囲まれた小さな島国である。つまり海が国境になっている。どこの国からも、どこの国に行くのにも海を渡らなければならない。
ですから、日本は全方位平和外交をするのには理想的な地政的な立場にある。
だからこそ、日本は可能な限り、外国人を日本人と同等の権利義務を移民として迎え入れる。そうすれば、彼らは日本に住んでいることを誇りに思うようになるであろう。誰がそんな国を攻めてくるだろうか。
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30Kamikatura Uccjさん、Kei Kurosawaさん、他28人

コメント
Kei Kurosawa インターネットの発達した現代、クチコミの力は大きいです。移民の方々に「日本いいぞ」と言ってもらえる国になれたら、最強の外交かもしれません。

小林 静子 障碍者や年寄り、人種も含めて人をその属性でなく個性でしっかり見てともに生きる習慣、能力がしっかりできないと、そんな国にはなれない。

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