ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート10/19 三木清『言論統制と精神の自由』

2015-10-21 06:34:27 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。11月3日の合同礼拝の説教の準備。大枠が完成。聖ザビエル聖堂でのミサに参加。昼寝1時間。特定24の福音書の断想を書く。釣川堤防散策。夜、「下町ロケット」を見て11時に就寝。5時半起床。体調・快調。チュン、チュン。
いいね!24件コメント3件

藤井 衞さん、佐藤 静代さん、播 稔さん、他21人が「いいね!」と言っています。
コメント

村田 多鶴子 おはようございます~♪ 先生ご夫妻の今日の歩みが守られ祝されますようにm(__)m

藤木 冨士子 おはようございます。

播 稔 下町ロケットは良かった。
posted at 05:31:53


文屋 善明
10月19日 6:32 ·
今日の名言:@simoneweil_bot
ローマは、無神論的で、物質主義的で、自己のみを崇拝する、大怪獣である。イスラエルは、宗教的な大怪獣である。このどちらもが、愛するにあたいしない。大怪獣はつねにいやらしい。(シモーヌ・ヴェイユ、フランスの哲学者にして政治家)
<一言>現代のあの大怪獣たちもいやらしい。
いいね!23件コメント3件

堀 俊明さん、藤井 衞さん、藤木 冨士子さん、他20人が「いいね!」と言っています。
コメント

清水 行雄 おはようございます。このヴェイユの言葉、保存させていただきます。

西堀 俊和 面白い。

播 稔 いやらしいというニュアンスが大事と思います。
posted at 06:31:40


文屋 善明
10月19日 7:59 ·
NHKこころ旅。凄い豪華な朝食。今週は山口県。今日は月曜日、正平さんが訪れることが出来なかった所。明倫小学校の運動場運動会の思い出、萩の町、土塀が続く町並み、でっかい天丼、オムライス、神花山古墳(じんがやま)、寂地峡(岩国市)での思い出。山口県の旅も楽しそう。
いいね!13件コメント3件

藤木 冨士子さん、播 稔さん、松井 理直さん、他10人が「いいね!」と言っています。
コメント

渡辺 茂 山口県は良い所なんですが、いかんせん政治家は最低です。

藤木 冨士子 でも、政治家になるのが好きなお国柄と思ってました。

渡辺 茂 地盤・看板・鞄の三バンを持つ保守世襲議員ばかりです。

文屋 善明 甘い汁を飲んで育った甘えん坊は、甘い汁がないと生きていけなくなる。
posted at 07:58:58


「昨日のツイート 10/17 三木清「時局と思想」の『宣伝と政治の限界』」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/d576c8687b5c2b4f1c6f0c92a04e52f…
posted at 09:00:46


文屋 善明さんが新しい写真2枚を追加しました
10月19日 6:25 ·
お目覚めの花。「さぁ、新しい週の始まりです。今週も何か良いことありそう」。(昨日の聖ザビエル聖堂の祭壇花)
文屋 善明さんの写真

いいね!48件コメント1件

Richard Bakerさん、豊田 滋さん、藤井 衞さん、他45人が「いいね!」と言っています。
コメント

山本 友美 文屋司祭のコメントで元気が出ました。今日から一週間忙しいけれど、神様に守られて頑張らなくては。でもまだ眠たい。


文屋 善明
10月19日 6:17 ·
2015日々の聖句 10月19日(月)
主は寄留の民を守り、みなしごとやもめを励まされる。(詩146:9)
みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です。(ヤコブ1:27)
私の黙想:
寄留の民、今でいえば、難民。みなしご、やもめ、今でいえば戦争で家族の主柱を失った遺族。あるいは、何らかの事情によって家庭崩壊し、居所を失った人々。
主は彼らを「励まされる」。他の訳はほとんど「支える」となっているのに、なぜ「励ます」に変えたのだろうか。それは、まぁ、いい。
今日の聖句のポイントは、それに続く後半の句との関係である。前半と後半を結ぶ接続詞は単純な「ヴ」である。ほとんどの邦訳は「しかし」と訳している。確かにこれらは対比されている。フランシスコ会訳、岩波訳では接続詞を省き、直結している。つまり後半は後半というよりも「支える」ということの具体的な方策が述べられていると見るべきであろう。何故、彼らが寄留の民となったのか、何故、彼らはみなしごなのか、何故、彼女らはやもめなのか。彼らをそのような境遇に押し込んだ悪い連中の「企て」を、覆させる。原語の意味は「(強制的に)曲げる」。主は彼らの政策を転覆させる。
いいね!21件コメント2件シェア1件

佐藤 元紀さん、Luke Etsuzou Nomahさん、真塩 ナナ子さん、他18人が「いいね!」と言っています。
シェア1件
コメント

清水 行雄 おはようございます。すごい黙想でした。

藤木 冨士子 シェアします。


文屋 善明
10月19日 9:31 ·
これでも、警視庁や県警は動かないのか。誰が彼らを委員に選定したのだろうか。その責任もありますよね。
文屋 善明さんの写真

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=911674375576691&set=a.200492220028247.51380.100002024109092&type=3&theater

いいね!20件コメント1件

藤木 冨士子さん、大脇 友弘さん、山上 博信さん、他17人が「いいね!」と言っています。
コメント

加藤 佑三 これじゃ中国と変わらない、一昔前の日本に戻ってしまったのか。何の為の監視委員なのか。


文屋 善明
10月19日 15:46 ·
秋の臨時国会の開催を逃げようとする与党を逃がすな。
赤旗政治記者@akahataseiji
【速報】さっき、5野党・1会派の書記局長・幹事長・国対委員長が会談し、「国会を開かない理由は到底考えられない」との見解で一致し、明日にも与野党幹事長・書記局長会談を開くよう与党に申し入れることで合意した。(15:40)
いいね!17件

藤井 衞さん、川染 三郎さん、アモス エノク 若山さん、他14人が「いいね!」と言っています。


文屋 善明さんが藤原 節男さんの写真をシェアしました。
10月19日 17:41 ·
そうだ、今や日本人は分かった。
藤原 節男さんの写真

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=903255763095245&set=a.350898838330943.84103.100002324907200&type=3&theater

いいね!31件コメント5件

奥野 卓司さん、小柳定治郎さん、塩澤 紀子さん、他28人が「いいね!」と言っています。
コメント

櫻井 啓子 ああ、こんな目に遭わなければ、分からなかった我々国民とは!!

加藤 佑三 分ったんだけど、元に戻し、今直ぐ良くする手段と方策が見つからない。何故なら民主主義国家では無いのだから。このまま、地獄の底に落ちて行く。

渡辺 茂 日本会議の人は逆に今が最高!!って思ってるよ。

播 稔 桜井姉:それでも、まだ判っていないのです。

藤木 冨士子 わかっただけじゃ変わらない。で、どうすんの?


文屋 善明
10月19日 19:56 ·
2015年と1937年、78年の差、何でこんなに似ているのだろう。三木清の言葉が、そのまま現在の日本に当てはまるとは。その間、日本はなにも成長しなかったのだろうか。
言論統制と精神の自由(「時局と思想」1937年9月「日本評論」188頁)
北支事変の勃発と同時に、政府はジャーナリズムの代表者を集めて懇談した。その内容の詳細は分らないが、その結果が言論の統制となって現はれたことは事実である。すでに数年前から言論の統制は次第に強化される傾向にあったのであるが、今や事変を契機としてそれが一段と強化されることになったのである。一度強化された以上、それが事変の終結と共に緩和されるであろうと考えることは、甘い空想に過ぎないかも知れない。
この重大時におい て言論の統制が行われるのはやむを得ない ことであろう。 しかしまた翻って考えるならば、この重大時に当っては国民が時局の真相を十分に認識することが大切であり、そのためには先づ報道の自由が要求されるのである。もとよりそれは無制限の自由ではあり得ない。しかし時局の真相を伝えるに足りるだけの報道の自由は必要である。時局の真相が分らないようでは「時局認識」を深めようにも深めようがない。統制の強化のために事件の一部分一方面が伝えられるのみで全般が伝えられない場合には、真相は掴めないであろう。また検閲の強化のために報道が遅れるようでは事件に対して的確な判断を下すことができないであろう。
政府は国民に向って「時局認識」を深めることを要求している。それは極めて当然なことである。時局に就いて正しい詔識がなければ、国民は完全に協力することができないであろう。しかし国民に認識を要求するならば、その認識に達するために必要なものを国民に知らせることを忘れてはならないであろう。 然るに実際は「時局認識」の重要性がしきりに説かれるようになって以来かえってその認識に欠くことのできない報道がますます不足してゆくように感ぜられてはいないであろうか。
この重大時に当って言論の自由が拘束されるのはやむを得ないことであろう。しかしまた他面から考えるならば、このような重大時には衆智をあつめて遺憾なきことを期することがいよいよ肝要なわけである。衆智をあつめるためには言論の自由が許されねばならない。もとより無制限な自由が可能であるとは考えない。しかし国民の批判を聞くということは政府としても万全の策を立てるために大切なことである。いづれも国を思ひ国を憂うるの至情から出たものである限り、たとえ反対者の意見であるにしても、それから学び、それを利用しないようでは真の政治は行はれ難いであろう。他人の口を塞ぐことは自己を無智ならしめることである。 自分に都合の好い ことしか耳に入れないようにすることは危険であるといわなければならない。批判を通じてのみ真の認識に達することができるのである。
もっとも、日本人は、政府が統制を唱えると、必要以上にそれに対して過敏になる傾向がある。そうでなくても、言論の統制が行われれそうな気配があると、日本人は自分から自然に統制されていくという傾向を持っている。日本ほど政治の行いやすい国はないということも出来るであろう。日本人のこのような性質は何処から来ているのであろうか。
誰もが先づ挙げるのは、日本において自由主義が十分に発達するに至らず、従って日本人は自由というものを真に味ったことがないということである。これは確かに重要な理由であろう。日本人は確かに自由を経験したことがない故に、たとえ言論の自由が存在するとしても、自己の個性的な意見をしっかりと持っている者は稀であって、大抵は事大主義的に権力のある思想や流行になっている思想に追随していくのである。即ち言論の自由がある場合にも精神の自由はないのである。精神の自由といえば、直ちに個人主義とか自由主義とかといわれ、すでに時代遅れの思想のようにいわれであらう。それが自由主義の産物であるにしても、自由主義のすべてが廃棄すべきものであるのではない。自由主義のうちにも勝れたものがあり、一部の真理が含まれているのであって、それを正しく継承するのでなければ今後の真の文化は発展し得ないのである。日本人には精神の自由が乏しい故に、言論の自由が興ヘられてもそれを十分に利用し得ず、また言論の自由が奪われてもそれほど苦痛に感じないのである。挙国一致も附和雷同では困るであろう。精神の自由が欠けている場合には、何かの具合である思想に全部一致していても、事情が少し変って来ると、今度は全部の者が全く反対の思想に感染してしまうということも生じるのである。
精神の自由と言論の自由とは区別されるべきものであるが、両者はまた互に関連している。精神の自由がなければ言論の自由も死んだもの、意味のないものになるであろうし、言論の自由がなければ精神の自由も発達し得ないであろう。我が国において必要なものは言諭の自由のみでなく精神の自由であり、しかし精神の自由を発達させるためには言諭の自由が許されることが必要なのである。
日本のインテリゲンチャが容易に統制されるのみか、自ら進んで統制に応じる傾向を有するという理由には、また例えば彼等の生活程度が低く、つねに生活に脅かされているということもあるであろう。そしてそのこととも関連して考えられる一層重要な理由は、日本のインテリゲンチヤの活動の範囲が狭いということである。例えば、ドイツではナチスの政策に依って多敵の学者が大学から追放された。それらの学者はあるいはイギリスへ、あるいはアメリカへ行って、相変らず学者として活動を続けている。中にもアメリカに渡った者は多く、そのためにアメリカの学問は現在注目すべき発達を遂げつつある。ナチスのユダヤ人追放によって得をしたのはアメリカであり、損をしたのはドィツ自身である。
ところで仮に日本のインテリゲンチャが同様の事情におかれたと想像する場合、彼らは一体何処へ行きうるであろうか。学問や芸術の有する本質的な国際性にもかかわらず、彼等は恐らく行くベきところがないであろう。いづれにしても日本のインテリゲンチャにとって活動の範園の狭いということが彼等の精神の自由にとって妨害となっている。日本の学者や芸術家にしても、支那において活動の天地が興えられているとしたならば、事情はよほど変わってくるであろう。その場合には彼等の学問や芸術の性質も変わってきて、一層国際性を有するものとなって来るであろう。精神の自由は文化の国際性の意識とも結び附いている。このようにして現在の支那問題の発展は日本のインテリゲンチャにとって注視すベき重要な問題であるのである。
いいね!29件コメント2件

藤井 衞さん、佐々木 弘幸さん、アモス エノク 若山さん、他26人が「いいね!」と言っています。
コメント

糸原 由美子 うっかり読んでいたら、今のことかと思いました。

播 稔 日本には本当の「革命」はなかった。 三島由紀夫があのとき・・・。

最新の画像もっと見る