ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

権力の座の悲劇と喜劇

2009-01-18 18:29:32 | ときのまにまに
わたしが楽しみにしているテレビ番組の一つに、日曜午後の「たかじんのそこまで言って委員会」がある。面白さの理由の一つは、マスコミ等で表に出てこない裏情報が飛び出してくることで、今日もなかなか面白かった。終わり近くになって、麻生首相にいかにして政権を投げ出させるか、という質問に対する答えで、ざこば師匠が「奥さんに『もう辞めて』といと言わせるのが一番早い」というのには参加者一同大笑いをしていた。さすが、落語の師匠だけに、人間の真相をしっかり掴んでいる。それでも、麻生首相は辞めないであろう。権力というものは、そういうものである。権力の座に着くと、人間は変わる。権力者には最も多くの情報が集まるが、その情報はすべて権力に「奉仕」し、恩恵を被っている連中のフィルターを通っているので、常に権力者を賛美する情報に変質している。早い話、国会のいろいろな委員会でのヤリトリでこちらから見ていると、馬鹿らしい応答をしていても、委員会室から出てくるや否や、「今日の首相の応答はすばらしかった」などと褒められたら、そうかと思ってしまうであろう。そうなると、それ以後のどんな情報や意見も、すべて「俺が悪いのではなく、あいつらが悪い」ということになってしまう。これが権力の座に着いている人間の悲劇であり喜劇である。
麻生首相が、就任したときの所信表明演説を聞いて、わたしは昨年の9月26日付のブログで次のように書いた。
<就任早々に、桝添大臣と口を揃えて、「高齢者医療制度を根本的に見直す」と宣言したにも関わらず自民党内のボス連から睨まれると、トーンダウンするなどということは、祖父吉田茂の孫としてはまことに恥ずかしい限りである。「バカヤロー」と怒鳴って、衆議院を解散させるぐらいの「意気が」がほしい。まぁ、首相に成り立てなのだから、そこまでは「期待」しないが、「解散・総選挙」という既定路線を、あっさりと否定し、任期満了までは「解散しない」と宣言する程度の勇気はほしい。それこそが「怖いもの知らずのお坊ちゃん首相の真骨頂であろう。解散しようと、しまいと、どっちにしたって、それは日本の政治の問題ではなく、自民党と民主党との勢力争いという「政局」の問題にすぎない。それよりも、重要かつ緊急の課題が山積している。>
今、この文章を読み返すと、あの頃はまだ麻生首相に少しは期待していたのだ、と恥ずかしく思う。ただ、だらだらと権力の座にしがみつき、周囲の「茶坊主」たちに「首相、首相」と言われ、外国に行けば「日本の首相として、外国の要人と握手をする」、ただそれだけが首相であることの「楽しみ」のように見える。首相ってそんなにいいものですか、と聞きたくなる。
しかし、彼は政治権力者の最後の特権さえも放棄しようとしている。それは、「辞職」という特権である。

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