先日、今年頂いた年賀状の中から次の言葉を紹介させていただきました。
<たとえ認知症になっても、私は私でなくなったのではない。私は私のままで、復活の命を生きている。紅葉の裏も表も紅葉のままである。死も生もそのままで、命そのものである。>
この言葉を受けて別な方から、「裏を見せ表を見せて散る紅葉」という有名な俳句を思い出しました、という感想を頂きました。
この歌は、良寛さんが危篤であるという知らせを受けた貞心尼は大急ぎで良寛の元に駆けつけ、臨終までの一週間、心を尽くして良寛の世話をしたと言われています。そのとき、良寛が貞心尼に向かって、この歌を詠んだ、と言われています。もっとも、この歌は良寛の作ではないとされていますが、自分の心境をもっともよく示していると説明しています。良寛は死を前にして、自己の表も裏もすべてあなたの前ではさらけ出しています、という心境だったのでしょう。
逆に見ると、人間は木の枝から離れて、ひらひらと舞うようになるまで、裏(本当の姿)を見せられないということでしょうか。
<たとえ認知症になっても、私は私でなくなったのではない。私は私のままで、復活の命を生きている。紅葉の裏も表も紅葉のままである。死も生もそのままで、命そのものである。>
この言葉を受けて別な方から、「裏を見せ表を見せて散る紅葉」という有名な俳句を思い出しました、という感想を頂きました。
この歌は、良寛さんが危篤であるという知らせを受けた貞心尼は大急ぎで良寛の元に駆けつけ、臨終までの一週間、心を尽くして良寛の世話をしたと言われています。そのとき、良寛が貞心尼に向かって、この歌を詠んだ、と言われています。もっとも、この歌は良寛の作ではないとされていますが、自分の心境をもっともよく示していると説明しています。良寛は死を前にして、自己の表も裏もすべてあなたの前ではさらけ出しています、という心境だったのでしょう。
逆に見ると、人間は木の枝から離れて、ひらひらと舞うようになるまで、裏(本当の姿)を見せられないということでしょうか。