ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

読書記録:竹下節子「『弱い父』ヨセフ」

2017-11-03 10:19:33 | 雑文
読書記録:竹下節子「『弱い父』ヨセフ」
今、パリ在住の文化史家・竹下節子さんが書いた「『弱い父』ヨセフ」(講談社選書メチエ)を読んでいる。非常に面白い。キリスト教徒として70年以上生きてきたのに、知らなかったことがあまりにも多くあることに気付かされ驚く。司祭などと言えたものではない。
ヨセフと言えば、イエスの父であり、マリアの夫である。クリスマスペイジェントでは欠かせない登場人物である。ところが、ヨセフのことについてほとんど学んだこともないし、考えたこともない。その盲点にピシッと焦点を合わせて、キリスト教の全歴史を背景に「聖ヨセフ」の姿を描き出してくれている。クリスマスを前にぜひ読んで欲しい貴重は一書である。たとえば、こんな文章がある。「父とは母の呼びかけによって成り立つ。母が『おとうさん』と呼びかけることで、呪文のように父は立ち現れる。それは男が生物学的父であることを『保証』するものではない。(中略)父子関係とは、因果的順列関係ではなく、母の呼びかけによって喚起されるかんけいせいなのだ。」少し飛んで、「ヨセフはマリアによって『おとうさん』と呼ばれたからイエスの父であった。イエスは『天の父』を父と呼ぶことで神の子であった」(125頁)。美事ではないか。この名言のほか、わたしなどがまったく知らなかった「聖ヨセフの靴下」という聖遺物についての紹介もある。
竹下節子の公式サイト http://ha2.seikyou.ne.jp/home/bamboolavo/

一代で何事かを成し遂げるかのように見える人にも、長い間にその人を準備した歴史や家族の大きな流れの必然性がある。自分の人生に完結する意味が見出せない人も、実はその大きな流れの中で次代を準備する何らかの役割を担っているかも知れない。小さな自我や自分さがしにこだわって内向し、閉じていく人もあれば、大きな流れの源にある生命力やその向こうにある広がりや解放や完成を直感的にとらえて自我を拡大できる人もいる。
親には大きな流れの中で子供の持つ使命が分からないこともある。しかし、分からないからといって大きな命の流れをせき止めてはならない。強い父、命令する父、戦う父は、その強さや権威や勇気の根拠を、狭い自我や利己の意識に求めるのではなく、大きな超越価値に求めなくてはならない。聖ヨセフの謙虚が天使の声をキャッチした。ヨセフは、イエスが天の父から与えられた使命を果たすことを助けたのだ。

最新の画像もっと見る