ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

1/4のFB

2018-01-06 06:47:19 | ツイッター
お早うございます。主の平和。1月4日、木曜日。宗像市は気温0度、最高8度。今日は隙間の日差しがあってもだんだんと雲が厚くなり、明日には雨が降ります。10時半就寝、6時起床。夜中にトイレで3回程起きた。寝る前に体温を測ったら、36.4度。今朝の体温:36.4度、血圧(123:80、76)。血液粘度:0.40。血液酸素:96%。体調:快調。チュンチュン

43 中尾 ケトラ 香鶴子さん、Mabune Tatsuoさん、他41人

安孫子 哲朗 文屋先生おはようございます。穏やかな日でありますようにお祈り申し上げます

小貫 ツマ おはようございます。主の平和。

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

Mabune Tatsuo おはようございます。
今日も主を心の王座に付けて歩めますように!
アーメン。

村田 多鶴子 おはようございます~♪
浜松は晴れ、最高気温は9度の予報です。
お守りの内に、皆さんが安穏な一日をお過ごしになられますようにm(__)m

東山 富昭 おはようございます😃。今日の朝は、零下1度で、水道で、凍っている箇所がありました。今は、晴れて、暖かい感じがあります。これから、普通の生活ができるか、わかりません。先生のことを、お祈りしています。主なる神と主イエスキリストにあって歩みます。よろしく、お願いします。

藤木 冨士子 おはようございます。

文屋 善明

昨日の日誌:
午前、箱根駅伝を見た。知子と貴子とは博多の街に出たので、穏やかな1日。
午後、昼寝2時間。そのままベッドの上で夕方まで過ごす。
よる、「君の名は」の復刻版を見るつもりが、とんでもない間違いで、マンガだった。10時半就寝。

35 瀧本 直子さん、磯野 眞紀子さん、他33人

文屋 善明
1月4日 6:12 ·
お目覚めの花。正月3ヶ日のも過ぎて平日の生活を取り戻さなければならない。明日から再入院、約1ヶ月の予定。病院に持っていくものを整理しなければならない。
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、自然、屋外

39 磯野 眞紀子さん、丹羽 一二さん、他37人
若月 新一 おはようございます。

岩城 真紀子 お大事にして下さい。

文屋 善明
2018 日々の聖句 1月4日(木)
主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに(選ればれたのである)。(申命記7:7~8)
神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。(1コリント1:28~29)
私の黙想:
神が誰を神の僕として選ぶかは全く神の自由意志である。優秀なものを選ぶことも出来るし、劣等生を選ぶことも出来る。しかし、神がどういう人に「心引かれる」かは、そのレベルの神の自由意志を越えている。「心引かれる」という言葉がポイントだ。神がどういう人物、(ここでは民族)に「心引かれるか」、「魅力を感じるか」は、神の自由意志というよりも神の性格(本性)に基づく。「心引かれる」という言葉にはそういう意味が込められてくる。口語訳では選ればれた理由は「愛した」からだという。フランシスコ会訳でも「愛情を傾け」、新改訳はかなり強烈に「恋い慕って」と訳している。岩波訳は少々工夫して「数が多かった」からでは無いと否定した上で、「慈しみ」と訳している。どの訳が最も原典に近いのかは私には判定できない。
ここでの文脈ではアブラハムの選びではなく、出エジプトの出来事を背景にして「選び」が述べられている。選ばれた彼らはエジプトにおいて余程みじめな民族であったのであろう。エジプトの奴隷であった時代のイスラエル民族がどういう状態にあったのか、とくにその宗教生活の面ではあまり詳しくは述べられていない。ただ、モーセの成育過程において乳母として雇われたのが「ヘブライ人の女」だったというだけで、多くの保守的な人々は乳母を通してイスラエル宗教がモーセに影響を与えたと解釈するが、聖書にはそのような記述はない。むしろ、モーセ自身は宮廷から逃げ出した後、ミディアンの地に宿り、そこでミディアン宗教の影響を受けたらしい。ただ、モーセが召命を受けたとき、ヤハウェは「先祖の神」であることを告げている。それぐらいで、イスラエルの民はエジプトの地においてエジプト人化することが無かったということが注目される。
ヤハウェがイスラエルの民に「愛」を感じたのは、ただ「先祖に誓われた誓いを守られた」からだという。ここでも申命記特有の「契約思想」が顔を出している。

29 中尾 ケトラ 香鶴子さん、磯野 眞紀子さん、他27人

文屋 善明
1月4日 6:56 ·
今日の名言:@Jewish_proverb
隣人とつねに平和を求めよ。隣人を楽しい席に招け。どの国から来た者も、豊かな者も貧しい者も、同じく裸で生まれた。そして最後には同じく土に眠るのである。(ユダヤの格言)
<一言>今のイスラエル国の人々に、この先祖の格言を教えてあげたい。今のイスラエルの人たちがホンモノの「ユダヤ人であるならば。

20 磯野 眞紀子さん、福澤浩子さん、他18人

文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
1月4日 7:06 ·
4年前のローズンゲンです。ここでは新共同訳へのかなり強い否定的な批判をしている。
4年前
この日の思い出を見るchevron-right

文屋 善明
2014日々の聖句 01月04日(土)
彼は軽蔑され、彼はわたしたちに顔を隠し、わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。(イザヤ53:3)
「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。(2コリント4:6)
私の黙想:
「彼はわたしたちに顔を隠し」。えっ、そうなっていたかな? 口語訳では「顔を覆って忌み嫌われる者のように」、フランシスコ会訳では「人は彼を見ないよう顔を隠してしまうほど」、新改訳は明白に「人が顔を背けるほど」、文語訳では「顔をおおひて避くることをせられる者のごとく」。いずれも彼が顔を隠しているのではなく、私たちが彼の顔を見ないように覆い隠している。それは単に私たちが彼の顔を見たくなくて「背ける」のではなく、強制力を持って、彼に顔覆いをさせている。彼が存在するのに存在しないかのように、私たちが意識的に顔を背けることがないように、社会的制裁として仮面を被らせている。それほどに彼を差別し、軽蔑し、無視している。決して「彼が私たちに顔を隠している」のではない。私たちが彼を見ないで済むように覆面を強制している。「主の下僕」はそういう存在として社会の中で生きている。イザヤ書ではその「主の下僕」は誰か謎のままである。むしろ私たちが軽蔑し、無視し、目の前に存在しているのに存在していないかのように覆い隠している人が「主の下僕」なのだ。金持ちの家の前に座して物乞いし、かろうじて生きていたラザロ(ルカ16:20)が「毎日贅沢に遊び暮らしていた金持ち」に対する「主の下僕」なのである。

コメント2件シェア1件
30 Mizota Michael Satoshiさん、増野 真美さん、他28人

12 安井 郁夫さん、久保和男さん、他10人

文屋 善明
「1/3のFB」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

12 文屋惠さん、安井 郁夫さん、他10人

文屋 善明
今日の「折々のことば」は、確かにそうなんだけれど、という具合に「けれど」が付く。子供にはその感動を表現する技術、意志(気持ち)が少ない。だから、大人としての常識や表現や判断力が必要だし、もっとも理想的なのはそういう大人が子供の心を失わずに持ち続けていることであり、それは本当に困難である。数少ないそういう人が優れた芸術家になる。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1567158910028231&set=a.200492220028247.51380.100002024109092&type=3&theater

23 磯野 眞紀子さん、丹羽 一二さん、他21人

文屋 善明
明日は入院などでバタバタすると思いますので、次の「断想」を投稿しました。

断想:顕現後第1主日・主イエス洗礼の日 (2018.1.7) - ぶんやさんち
BLOG.GOO.NE.JP

18 磯野 眞紀子さん、宮田 真也さん、他16人

最新の画像もっと見る