ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 01/22

2013-01-23 06:33:21 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。午前中、使徒言行録を通読。ルカは「説教」に強い関心を抱いていたことが分かる。ほぼ完全な形の説教が13件もある。「言葉の力」について考える。説教の書き直しをほぼ完了。午後から録画しておいた「八重の桜」を見る。9時半就寝、5時起床。体調快調、チュン、チュン。
posted at 05:07:56

今日の名言:RT @kotoba_bot:
現実が夢を壊すことがある。だったら、夢が現実を壊すことがあってもいいじゃないか。(ジョージ・ムーア)
<一言>アイルランドの小説家。夢が現実によって壊されたとき、われわれは失望する。それなら夢が現実を破るとき、我々には希望が生まれる。
posted at 05:55:11

「昨日のツイート 01/21」をブログにアップしました。 http://t.co/RMwZ6xUb
posted at 06:44:15

今日のこころ旅は、沖縄県北部の大宜味村の旧庁舎、築88年になります。建築家の祖父の建築による。それを見に行く。沖縄本島へ船で行く。沖縄は雨。この日は名護市に泊る。桜が咲いている。雨が止んだ。きれいなバナナの花、激しい波の音。すごい風で自転車が飛ばされそうだ。大宜味村にはいる。
posted at 08:01:15

日々の聖句2013 01月22日(火)
善を行うことを学び、裁きをどこまでも実行して、孤児の権利を守り、やもめの訴えを弁護せよ。(イザ1:17)
自分も一緒に捕らわれているつもりで、牢に捕らわれている人たちを思いやり、また、自分も体を持って生きているのですから、虐待されている人たちのことを思いやりなさい。(ヘブ13:3)
私の黙想:
心のこもらない宗教儀式は、不正な裁判、弱者虐待と同根である。宗教と倫理、信仰と行為とは分離できない。「まつりごと」と「おもいやり」は表裏一体である。これを分離するとき不正が発生する。
神は言われる。「お前たちのささげる多くのいけにえがわたしにとって何になろうか」、「むなしい献げ物を再び持って来るな」。災害復興予算から不正な資金を配布された人たちは、なぜ、潔く、こんな金を持ってきて私たちを「同類」にするな、と言えなかったのか。出す方も出す方、貰う方も貰う方。

お目覚めの花。「私の名前は蠟梅です」「梅のように見えますが梅ではありません」「毒にもなりますが薬にもなります」「人は私を先見とか先導とか言います」「慈愛とか優しい心という人もいます」。私の好きな花です。 (写真4枚)

町田 勝彦 おはようございます。

町田 勝彦 頂きました。(_ _)

文屋 知明 狼狽、老害でなくて「良かった!」。

文屋 善明 すみませんね。

濱 和弘 蝋梅は、私の恩師の加藤亨牧師が必ず元旦礼拝の時に会堂に飾っていた花、恩師が天に召されてもう8年、そのことを懐かしく思い出しました。

塩谷 常吉 春を感じる花ですね。

堀 俊子 ろうばいの、さきてうれしや、今朝の雨  俊子

文屋 善明 「ろうばい」エピソード
同志社の創立者・新島襄先生の故郷、群馬県安中市は「ろうばいの郷」とも呼ばれている。その関連か新島先生は殊更にろうばいを愛されたようだ。新島先生の漢詩「寒梅」は、寒中に咲く梅という意味で、学名ではなく新島先生が庭先に咲く梅を呼んだ名だといわれている。

寒梅  新島襄 「庭上一寒梅 笑風雪侵開 不争又不力 自占百花魁」
庭先の一本の梅の木、寒梅とでも呼ぼうか 厳しい風雪の冬を耐えしのび、そして、平然としてよろこび美しい花を咲かせる。 他と一番を競うわけでもなく、かと言って力むわけでもない。 それでいて、自然とあらゆる花の魁と咲くのである。なんと謙虚な姿。そうありたいものだ。

1890年1月23日、大磯の地で療養中の新島先生の危篤の知らせを受け、駆けつけが妻、八重の手を握り、「狼狽(ろうばい)するなかれ、グッドバイ、またあわん」と最後の言葉を残し、48年の生涯を閉じた、という。

ルカ福音書をそのまま映像化した作品で、その点で非常に面白い。

イエス·キリスト映画
www.youtube.com
イエス・キリスト(紀元前4年頃 - 紀元後28年頃、ギリシア語: Ίησοῦς Χριστός[1]、ヘブライ語ラテン文字転記:Yhoshuah ha-Mashiah)は、ギリシア語で「キリストであるイエス」、または「イエスはキリストである」という意味である。すなわち、キリスト教においてはナザレのイエスをイエス・...

黒田 聖司 随分昔にVHSテープ作品を購入しました。今も時々子供と一緒に観ています。丸々YouTubeで観られるとは…

上野 博志 聖書を拝読しながら、タイムスリップしているみたいです。素晴らしいです。

水草 修治 三十年ほど前、ライフ企画が出していたものですね。ルカ福音書をそのまま映像化したものですね。

文屋 善明 アメリカではこの種の映画が沢山あるのでしょうね。私はほとんど見たこともありませんし、知りませんでした。

糸原 由美子 今見終えました。淡々と福音書の朗読を目で見るような感じでしたが端折ってもあんなに長いのですね。教えていただき感謝です。

ルカ福音書におけるイエスのナザレでの説教を読み、説教とは何かということについて考えた。ところがルカ福音書では説教らしい説教はほとんど見られない。変な話し洗礼者ヨハネの説教(3:7-14)ぐらいで、イエスに関してはほとんどがイエスの言葉、教えの断片集である。勿論それはルカが手にし得た資料の問題であろうと思われる。
それで使徒言行録を読むとルカが説教に非常に関心があったことが分かる。ペンテコステの日のペトロの説教(2:14-36)、神殿での説教(3:11-26)、議会での説教(4:8-12)、ステファノの説教(7:1-53)、コルネリウスの家でのペトロの説教(10:34-34)、アンティオキアでのパウロの第1説教(13:16-41)、同第2説教(13:46-47)、リストラでのパウロの説教(14:15-17)、アテネでのパウロの説教(17:22-31)、エフェソの長老たちへの告別説教(20:18-35)、千人隊長の前でのパウロの証し(22:3-21)、ローマでのパウロの第1説教(28:17-22)、同第2説教(28:25-29)など、ルカは説教を克明に記録している。その他にも説教として取り上げても良いものが何点かある。

<補遺>特になし。


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