ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 5/25

2011-05-26 06:46:45 | ツイッター
お早うございます。大災害の中、被災された方、救援活動に当たっておられるすべての方々に上よりの祝福が豊かにありますように。7時起床、昨夜は10時前に就寝。一泊二日のかなりハードなスケジュールでさすがに疲れた。森澤君が思っていた以上に回復していた。体調快調。チュンチュン。
posted at 08:24:35

#losungenj 乏しい人は永遠に忘れられることなく、貧しい人の希望は決して失われない。(詩9:19)
posted at 08:26:24

#losungenj キリストの言葉:金持ちが天の国に入るのは難しい。(マタイ19:23)
posted at 08:28:18

#losungenj ここでの「乏しい人」と貧しい人」という二通りの言い方の違いは何か。ヘブライ詩特有の多重表現(同じ意味のことを別な単語を重ねて強調する)であろう。むしろ「貧しい者たち」は貧しさの故に神を忘れない。18節の「神を忘れる者」(=傲慢)との対比が重要であろう。
posted at 08:39:32

今日の名言:RT @meigenkakugen: 愛の反対は、憎しみではなく無関心です(マザー・テレサ)。 <一言>目の前の人間に無関心であるためには、ただ単に目に入らないか、あるいはかなり意識的に自分の心の中から、その人を排除しなければならない。
posted at 08:44:55

今日は写真の整理をしようと思いましたがカメラが見つかりません。どこかで忘れてきたのかと昨日の行動を思い起こしますとどうやら大藪君の自動車の中らしいと思い連絡をしました。あいにく彼は祈祷会の最中で、おわったら見てくれると言うことでしたがなかなか連絡ありません。続く
posted at 19:06:34

昼食後、電話をしますと、ロータリークラブの会合に出かけたとのこと。数時間後にもう一度電話をしますと車にはカメラはなかったらしい。じゃ、自分で確かめたいと思いましたが、彼は今度は医者に出かけたとのこと。半分諦めていましたが、暫くすると私のカメラを手に彼が来訪。無事戻ってきました。
posted at 19:16:04

今日は朝から詩104と取り組む。だいたいの釈義は完了。詩の流れは分かった。問題は、なぜこの詩が聖霊降臨日の詩なのか。ポイントは30節の「神の息」。問題は詩そのものの主張と聖霊降臨日の理解とのズレ。解決方法は私たちの聖霊降臨理解の方を深め、改める方向に求めるべきであろう。
posted at 19:27:45

次の日曜日(復活節第6主日)の説教「主をたたえよ 詩148」をブログにアップしました。 http://bit.ly/mAGc1w
posted at 20:50:22

<補遺>昨日は旅の疲れでだらだらと過ごした。ただ、その中でも詩104の釈義ができたことは感謝。カメラが無事に戻ってきてホッとしたが、これは大藪氏に感謝。

最新の画像もっと見る