ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

為替レートのことがわからない

2008-10-16 18:22:38 | ときのまにまに
若いときから神学や聖書学だけしか勉強してこなかったわたしにとって、経済や金融関係のことについて、わからないことが沢山あるのは、いわば当然である。むしろ、わかるはずがない、と言った方がいいだろう。だから、あえて質問もしないし、教えてもらおうとも思わないが、ただ、1つのことだけは、どうしても知りたい。話は単純である。
わたしが若い頃は、若い宣教師たちが我が家を来訪したり、わたしたちが宣教師の家を訪れたときなど、その豊かな生活をうらやましく思ったものです。どうもその秘密が1ドル360円という為替レートにあったらしいということも、だんだんわかってきた。
360円時代は昭和24年4月にGHGの指令による固定為替相場制で、実質的には昭和46年8月のスミソニアン協定により、1ドル308円に切り下げられるまで22年間日本経済を支配した。いったん破られた固定相場はたちまち、日本経済の実質的力を反映して、その2年後の昭和48年頃にはだいたい1ドル200年前後で推移した。これが、だいたい昭和60年頃まで続き、その頃中流意識という言葉がはやった。わたしが初めて海外旅行をしたのもその頃で、とくに東南アジアあたりでは「金持ち感」を経験した。
昭和61年にはついに1ドル152円まで円高が進み、翌昭和62年には120円が普通となった。こうなると、かなり日本への圧力も高まり、日本製品の割高感が強まったようである。そして、とうとう平成7年4月19日には、1ドル79円75銭まで上昇した。
その時以来、円高は「悪」というイメージが定着してしまった。少し意識の上で、時間的ずれはあるが、それまでは確かに「円高」は日本経済の強さを示し、日本人の誇りであったはずである。
どうしても、わたしに理解できないことは、なぜ「円高」は悪いのか、ということである。それが国際関係の自由競争に基づく「相場」なら仕方がないのではなかろうか。むしろ、問題は「円高」の恩恵が一般日本人に行き渡らないということで、企業、しかも輸出企業の論理だけが先行して、「円高=不景気」というイメージが作られているのではなかろうか。
以上は、経済のことがまったくわからない人間のつぶやきである。

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