ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

沖之島天主堂でのイースター礼拝

2008-03-26 17:30:49 | ときのまにまに
沖之島天主堂のイースターミサは午前8時から始まるという。中田神父は午前6時半から別の教会で礼拝を済ませ、沖之島の礼拝が終わると、すぐにもうひとつ別の教会の礼拝にでかけるとのこと。しかも、それは定期便の船での移動である。中田神父は3つの教会の責任をもっておられるとのこと、大変なことである。
さて、8時までに教会に出かけるということになると、ホテルの朝食時間とうまくかみ合わない。この島にはコンビニもない。下手をすると朝食にありつけないことになる。それで、ホテルと相談してお弁当を準備してもらい、6時半に部屋で朝食を済ませ、教会に出かけた。
この日は、風雨が強く、とても歩いて行けたものではない。ホテルの従業員にお願いして、教会まで送ってもらった。8時前には、礼拝堂は約130人以上の信徒たちが静かに祈っていた。女性はほとんど白いベールを被っている。男性たちも、キッチッとした服装である。この島の産業は主に農業と漁業であるから、恐らくそのような職業の人たちと思われるが、彼らが背広を着て、座している姿は、スキがない。その後ろ姿は敬虔そのものであった。
この島の人口は約800人で、そのうち60パーセント以上がカトリック教徒とのことである。そのうちの130人がイースター礼拝に出席している。こんな地域が日本にもあったということだけでも、嬉しくなる。
8時5分前から信徒による聖餐式準備式が行われ、8時ジャストに司祭と2人のサーバー(小学生と中学生)とが礼拝堂入り口からプロセッション(入道)して礼拝は始まった。礼拝は式文に従って粛々とすすめられ、キリエもグロリア(大栄光の頌)もほとんど全員暗誦しているようで、2階の聖歌隊の声と美事に響き合い、礼拝堂に響く。聖書朗読も、代祷も、誰も指示することなく、ごく自然に流れ、可愛いサーバーがそれを補佐している。司祭の説教も10分ほどで、信徒たちの心に響くものであった。この説教はその日の内にブログに掲載されている(「こうじ神父今週の説教」 http://blog.goo.ne.jp/knkouji/)。
礼拝は8時50分ジャストに終了。美事である。実に内容の濃いい50分間であった。完全に無駄な「人間の声」が排除され、神の言葉と神の民の賛美だけが詰まった50分間であった。司祭の「ハレルヤ、主と共に行きましょう」という礼拝の終わりを告げる言葉と共に、「ハレルヤ、主の御名によって」と応え、文字通り信徒たちは礼拝堂を後にして、それぞれ家路に着いた。
さて、司祭の説教の中で触れられていたことであったが、実はここの教会でのイースター礼拝は土曜日の夕方から始まっていたのである。土曜日の夕方から「復活徹夜祭」が夜中の11時まで行われ、そこでは洗礼式が行われていたのである。そこにも、かなりの信徒たちが集い、食事を共にしていたらしい雰囲気があった。中田神父の説教はむしろ徹夜祭の方に力がこもっていたと思われる。これは驚きである。
ここでのイースター礼拝に参加して、思わされたことは、宗教における「安らぎと慰め」ということである。カトリック教会全体については、わたしは何も知らないが、少なくとも伊王島のカトリック教会の礼拝にはこれがある。実は、日本聖公会を含め、プロテスタント教会にはこの「安らぎと慰め」が失われているのではなかろうか。これが、伝統というものの価値なのだろうか。
最後に、懺悔しなければならないことがある。前日の土曜日、天主堂を訪れたとき、誰もいないので(神様は居られたが)、礼拝堂の内部の写真を一枚撮りました。後で、気が付きますと礼拝堂内部では「撮影禁止」でした。お詫びの印として、それを掲載します。ゴメンナサイ。

       

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1 コメント

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島の礼拝に興味があります (加藤 治)
2008-03-28 10:51:40
伊王島の礼拝の様子をお知らせくださり、有難うございました。15年ほど前に古賀さんたちと平戸の数箇所の教会を、また3年ほど前には五島の15箇所の教会群を訪れて大きな衝撃を受けました。しかし、礼拝に参加したことはなく、こんなに見事に守られている聖堂での礼拝はどんなんだろうと興味を持っていました。それが今回初めて分かりました。
ひとつよく分からないのは、聖公会には「安らぎと慰め」が失われているということです。私はそうは思わないので、4月に八幡に来られた時に議論しましょう。
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