ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 11/21

2016-11-24 08:27:30 | ツイッター
お早うございます。主の平和。降臨節第1主日の旧約聖書を読む。昼前に田久町の祭に出かける。昼食後、1時間半昼寝。「イミタチオ」と取り組む。夕方、相撲を見る。夕食後、疲労のため何も出来ず風呂には行って9時前に就寝。10時半頃足が火照って眠れず家内が暫く足をもんでくれた。そのうち寝付いた。熟睡、5時半起床。体温:36.3、血圧(136:76、74)・体調・快調、チュン、チュン。

36 芳賀 道子さん、小貫 ツマさん、他34人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

東山 富昭 おはよう😃ございます。昨日から、耳鳴りがしています。明日は、私が保佐人や補助人を立てるための、診断書を書いてもらうために、精神科で診察してもらいます。今日も、よろしく、お願いします。

村田 多鶴子 おはようございます~♪奥様に感謝ですね。
気温変動が大きいようですから、どうぞ、お大事になさって下さいませ。
ご夫妻がお守りの内によい一日をお過ごしになられますようにm(__)m

村田 多鶴子さんが返信しました · 返信2件
萩野 秀子
萩野 秀子 おはようございます。チラシ配りです。雨です。守られますようにお祈りします。

藤木 冨士子 おはようございます。

小貫 ツマ どうぞお身体お大事に。奥様に感謝ですね。聖書やイミタチオクリステイなどの解説を楽しみに読ませていただいております。


文屋 善明
11月21日 5:41 ·

お目覚めの花。「降臨節までラストウイーク、今週は何があるのかな」「週のなかばには、友人と一緒に昼食の予定、これは楽しみだ」「楽しい会話が期待できる」。
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花

30 西村 逸郎さん、藤木 冨士子さん、他28人
コメント

播 稔 友人とお話することは、頭脳を活性化させます。


文屋 善明
11月21日 6:04 ·

016 日々の聖句 11月21日(月)
主の御業は大きく、それを愛する人は皆、それを尋ね求める。(詩111:2)
野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。(ルカ12:27)
私の黙想:
ややこしい手続きを省略して、今日の聖句を口語訳と並べて見ると面白い。「主のみわざは偉大である。すべてそのみわざを喜ぶ者によって尋ね窮められる」。力点がかなり違う。口語訳の方では明らかに、「尋ね窮められる」の方に、重点がかかっており、新共同訳の方は「それを愛する人」にポイントがある。問題点を極論したら、口語訳の方はアカデミックな関心が強調され、新共同訳の方は情緒的関心が述べられている。どちらも、それぞれ魅力的である。一本の野の草を見て、その不思議さから野草の研究者になる人もいれば、その草の美しさに感動して詩を書く人もいる。私自身はどちらでもないが、どちらの人にも魅力を感じる。
一つの聖句についても同じである。それに感動して信仰に入る人もおれば、その言葉の思想的背景に興味をいだいて分析し疑問を感じる人もいる。同じように、十字架上のイエスを見て「あなたはきりすとではないか、。それなら自分を救い、またわれわれを救ってみよ」という人もおれば、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」という人もいる。
さぁ、私はどっちの人間だろう。

32 Izumi Naraさん、鎌野 健一さん、他30人
コメント

水草 修治 口語訳と新改訳とは受身に訳していますが、新共同訳は例のごとく新味を出そうと、あえて能動態に訳していますね。こういうところが、読み物としてはかまわないように思いますが、新共同訳は釈義には使えないと説教者たちに評されるゆえんでしょうね。
主の御業は、ルカとの関係で、野の花と関係付けられていますが、詩篇111の中ではどうも主の民に対してゆずりの地を与えた契約の真実つまり歴史上のみわざを指しているようです。
野の花に神のみわざを見ることはいいのですが、歴史の出来事の解釈については聖書に直接ないことは、人の勝手な解釈になりがちなのでむずかしいところですね。

門叶 国泰 原文は受動態ですね。また、「それらをダーラシュする者たち」には前置詞ラーメドが付いていますから、主語にはなり得ませんね。

藤木 冨士子 シェアします。


文屋 善明
11月21日 6:29 ·

今日の名言:@B_Pascal_jp
想像力は全てを左右する。それは美や正義や、そしてこの世にとって全てである幸福をつくる。(パスカル、『パンセ』§82)
<一言>この言葉の直前にパスカルはこんなことを言っている。「われわれは、長衣をまとい、法帽をかぶった弁護士を一目見ただけで、彼の能力について有利な見解をいだかずにはいられなくなる」。これが人間の「想像力」だという。
この随想はかなり長い。その冒頭でもこうも言う。「想像力。これは人間の中のあの欺く部分のことである。あの誤りと偽りの主であり、いつもずるいとい決まっていないだけに、それだけいっそうずるいやつである。なぜなら、もしそれが嘘の間違いのない基準だったら、真理の間違いのない基準となっただろうから」。

26 Izumi Naraさん、藤木 冨士子さん、他24人
コメント

播 稔 よく区別しないとなりませんね。内なる創造力でも同じだなー。


文屋 善明
11月21日 6:30 ·

イミタチオ・クリスチ(313):
自己中心は良くないが、自己を見失ったあなたは一体どこにいるのでしょうね。世の中の雑事に忙しく働いて、一体何が得られるのだろうか。2:5:12

24 Izumi Naraさん、藤木 冨士子さん、他22人


文屋 善明
11月21日 6:43 ·

「昨日のFB 11/19」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

11 Izumi Naraさん、藤木 冨士子さん、他9人


文屋 善明さんがShoichiro Ikenagaさんの投稿をシェアしました。
11月21日 7:54 ·

これは、危ない!韓国の大統領と同じじゃないか。

Shoichiro Ikenaga
11月20日 20:52 ·
 つい最近ウェブメディア「BLOGOS」(11日9日)に掲載された安倍首相の妻・昭恵夫人のインタビューの中にもその片鱗が垣間みえた。このインタビューでは昭恵夫人自身も、自分の行動が「神様に動かされている」など、オカルトめいたことをいくつか語っているのだが、その中で、夫である安倍首相のこんな“行動”を暴露したのだ。

〈主人自身も特別な宗教があるわけじゃないんですけど、毎晩声を上げて、祈る言葉を唱えているような人なんですね〉

〈神様なのか、先祖なのか、分からないですけど。何か自分の力ではないものに支えてもらっていることに対しての感謝を〉

 安倍首相は毎晩、何に声を上げて祈っているのか。昭恵夫人は特別な宗教はないといっていたが、このオカルト的行動でまっさきに想起するのは、第一次政権のときに取りざたされた「慧光塾」のことだ。

「慧光塾」は光永仁義なる人物(故人)が代表をつとめていた経営者向けのコンサルタント会社だが、その内実は代表の光永代表が“神のお告げ”によって取引の良し悪しを判断したり、オフィスに大量の塩を巻き“悪霊祓い”をするなどの、オカルトまがいの新興宗教だった。

 しかも、光永代表は会員企業に法外なコンサルティング料を要求する一方、穴吹工務店やホテルニューオータニなどのように、慧光塾のオカルト経営指導のせいで逆に倒産や経営不振、内紛状態に陥った会社も少なくなかった。また、光永代表は慧光塾の会員企業から自分の関連企業への融資をさせ、一時は東京地検特捜部が詐欺事件で捜査に乗り出したこともあった。

 ところが、安倍首相はこのオカルト団体とべったりともいえる親密関係を築き、その胡散臭いビジネスにも全面協力していた。


「毎晩声をあげて…」安倍首相のオカルト行動を昭恵夫人が証言! 慧光塾や池口恵観の“お告げ政治”がいまも? - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ
LITE-RA.COM
http://lite-ra.com/2016/11/post-2714.html

20 久保和男さん、藤井 衞さん、他18人
コメント

櫻井啓子 でも日本のメディアは韓国の大統領問題ばかり。。。

伊藤 利行 不安な心から、何らかの験担ぎをする人はいる。程度問題で、それは誰にでもあるはず。彼の心の不安は何かということこそ問題ではないか?

文屋 善明 こんな怪しげな人の指導によって国政が決められていろとしたら、それは大問題で、彼の個人的な問題では済まされない。

伊藤 利行 もちろんそうですが、彼を持ち上げる多くの人物がいる以上、背景としての問題が明らかにならないといけないのではないだろうかということです。長男が消えたら、次男が登場するもので、誰かが黙ったり失脚しても、問題の存在があれば、代わりの人物が出てくるもの。日本の政治が、そのような内容不明なものによって動かされているということであれば、彼への同調者を含めて問題でしょう。同じ精神構造の国会議員がいるとすれば、看板的発言で惑わされずに、それは何かと問う必要を感じます。

文屋 善明 その通りです。しかし、それにしても安倍さんは酷すぎる。まさか、背景にオカルトがあるとは思ってもいませんでした。

平野 宏 シェアさせていただきます。


文屋 善明
11月21日 15:13 ·

読書の合間に。実は私が旧約聖書って面白いと思った最初の本がこの本なんです。この本の発行は1982年3月で、私の微かな記憶では、出たての頃、何気なく買って読み始めたら、それまでに読んだことのないような内容で、驚いたことを覚えています。
多分、その頃、著者はキリスト教界ではほとんど無名だったと思います。(知らなかったのは、私だけだったのかも知れません)
しかも、取り上げられている聖書の個所も、キリスト教界ではほとんど取り上げられていない、伝道之書とか雅歌で、出版元も三省堂ということで、通常はパスされるような本でしたが、私が手にしたのもほとんど偶然のようなものでした。
ところが、これを読んで、私は「旧約聖書の世界」に目が開かれたのでした。
何年かぶりに、手にして、まだまだ温もりが残っているのに驚いています。この人の名前、池田裕を岩波版の「旧約聖書翻訳委員会」のリストに発見して、うれしくなりました。
自動代替テキストはありません。

51 寺田 由志子さん、岡本真知子さん、他49人
シェア1件
コメント

Hajime Kawamukai この方、私が大学におりましたときの古代オリエント学入門の担当教員でございました。本も面白いですが、本人の話を聞くほうが面白いという方でした。

文屋 善明 どちらの大学でしたか。この本の著者紹介では「茨城キリスト教大学」でした。チャーチ・オブ・クライスト系の大学でした。

Hajime Kawamukai 筑波大学に非常勤で来られておりました。

ちょうど、津村先生が神学舎に抜けられたあとのワンポイントリリーフという感じだったのですが、結局そのまま筑波大学の先生になられました。

文屋 善明 筑波大学ですか。さすがですね。大学側も本人側も、とても良いマッチングだと思います。

文屋 善明 ヘブル大学へ留学というので、神の幕屋系の方かと思っていましたが、浅野順一先生のお弟子さんのようですね。

Hajime Kawamukai そして、オリエント考古学のホープ、長谷川先生の師匠筋に当たるようです。この方の話を聞いていると、ユダヤの匂いが思い浮かぶようになり、聖地で発掘したくなるという・・・

本当に、いいタイミングの時におりました。ラッキー

峯田 敏幸 私はこの本を岩波現代文庫で読みました。私にとっては聖書関連のベスト3には入ります。学ぶことの多い本でした。

門叶 国泰 総説旧約聖書(日本キリスト教団出版局)の序章「旧約のこころ」を書いておられますね。のめり込みました。思い出して懐かしく手に取っています。


文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
11月21日 15:57 ·

今年は宗像大社での菊展に行かれませんでしたが、FBが3年前の私の写真を出してくれましたのでシェアいたしました。
3年前
この日の思い出を見る

文屋 善明さんが写真3件を追加しました。
2013年11月21日 ·
お目覚めの花。「清く」「正しく」「美しく」「これが宗像大社の菊展の華です」。

文屋 善明さんの写真

18 播 稔さん、藤木 冨士子さん、他16人
コメント

村田 多鶴子 素晴らしいですね!

文屋 善明 この菊展でも、年々レベルが下がってきて去年はガッカリしました。

村田 多鶴子 私も先日浜松フラワーパークの菊花展に足を運びましたが、四国時代に観て来た菊花展が余りにも立派だったせいか、とてもレベルが低くてガッカリで…、写真を撮る気にもなりませんでした。
皆さんきっと懸命に育てて来られたんだろうとは想うのですが……。


文屋 善明
11月21日 20:49 ·

どたか、ご存じの方、教えてください。関西学院の「関西」をなぜ「Kwansei」と読むのでしょうか。これだけ長く付き合っていて、この正しい由来を聞いたことがありません。

34 Luke Etsuzou Nomahさん、播 稔さん、他32人
シェア1件
コメント

亀山 宏 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/.../quest.../q108504335

関西学院大学についてです。英語で書くと「KWANSEI…
DETAIL.CHIEBUKURO.YAHOO.CO.JP

文屋 善明 ありがとうございます。よく分かりました。

播 稔 むかしは,関西をクワンセイと詠んでいたためでは。関西人は? 関東はクワントウか?

山城順 活水はKwassui と呼んでいます。

文屋 善明 なるほど。私は今、地名、組織名の「隠語化」ということをかんがえています。たとえば、京都の烏丸、普通に読めば「カラスマル」ですが、地元の人はこれを「カラスマ」と読みます。これは一種の余所者を排除する隠語です。関西学院をKwanseiと読むことによって、内外の差を作り出しているとも言えます。でも、関西学院の場合は、社会の方が読み方がが変わってしまったので正確には「隠語化」とは言えません。と言うような、ことを考えています。

杉浦 紀明 文屋 善明 先生、確かに「余所者を排除する隠語」というのはよく分かります。私のところも初級レベルの難読地名でそれが教会の名前になっていますが、以前に脅迫めいた電話がかかったことがあって、「お前のことは知ってるぞ。○○教会だろう!」と言われて、「何も知らない余所者だ」と分かって落ち着いて対応できた記憶があります。

文屋 善明 旧約聖書にも、そんな話があったような気がするのですが、見つけられません。

糸原 由美子 一昔前の九州の人は「か」を「くわ」と発音しておられましたよ。つまりもっと昔は「くわ」と発音するのが普通だったのではないでしょうか?

文屋 善明 全国的には「ハラ」と読まれている原が九州では「バル」と読まれているようなものですね。そうすると、関学の場合の理由と、活水の場合とでは理由が異なるのかも知れませんね。

山城順 原のばるとかぱるは 朝鮮由来が多いです。特に 九州は 多いですね。渡来した人たちが多いです。

文屋 善明 成る程、その可能性は大きいですね。

糸原 由美子 九州だけでなく奈良という地名はおそらく韓国語の国という意味からきたのだと思います。日本は渡来人がいっぱいいたと思います。私たちは単一民族国家ではありません。

糸原 由美子 すみません、Pcの具合がわるくて変になりました。一昔前の・・・です。

糸原 由美子 文屋さんご存じの熊本から来ておられたハウスの職員Fさんがくわと発音されてましたよ。

文屋 善明 私が今だに理解出来ていないのは、鎮西学院の校名の出典です。九州には「鎮西」という地名もありますが、鎮西学院の場合はそれとは無関係とのこと。だとすると「鎮西」という単語の意味になりますが、それが分からないのです。余所様のことなのでどうでもいいですが、キリスト教主義の学校なので、その由緒を知りたいのです。

村田 多鶴子 鎮西は、九州の別称(異称)と言う説明を見つけましたが…。
(平安時代末期から鎌倉時代にかけて九州の別称として用いられていたらしいです。)

文屋 善明 それがほんとうなら、時代錯誤はありますが、スゴイデスネ。

文屋 善明 私自身、10年前に九州に転宅して、とまどったのが九州における「西日本」という言い方です。九州の地方新聞も「西日本新聞」だし、銀行も「西日本銀行」、ガス会社は「西部ガス」、なんでだろう。

文屋 善明 どうも関西から来た人間としては関西とは関東に対する、とくに「東京」に対する「西」という意識ですが、九州の人たちにとっては日本全体に対する西日本、本当に対する西と言う意識が強いように感じます。鎮西の「鎮」とは軍事的な概念で防衛線、守り、砦という概念で、日本全体に対する西の守りという意味だと思われます。

藤木 冨士子 日本では死んでしまった発音ですね。高知県にはまだあるかもしれませんが。

最新の画像もっと見る