最近は柑橘の「デコポン」の人気も高いようです。
名前にふさわしい形をした美味しい柑橘です。
デコポンは間もなく収穫の時期です。
デコポンや甘平(かんぺい)は高価な柑橘です。
今日は愛媛の「デコポン」とオオイヌノフグリの花を紹介致します。
間もなく収穫の柑橘「デコポン」
道端に咲いている12月下旬の「オオイヌノフグリ」
最近は柑橘の「デコポン」の人気も高いようです。
名前にふさわしい形をした美味しい柑橘です。
デコポンは間もなく収穫の時期です。
デコポンや甘平(かんぺい)は高価な柑橘です。
今日は愛媛の「デコポン」とオオイヌノフグリの花を紹介致します。
間もなく収穫の柑橘「デコポン」
道端に咲いている12月下旬の「オオイヌノフグリ」
イエス・キリストは神の王国の良いたよりを宣明しながら都市から都市また村から村を旅し、人々に真理を証しされました(ルカ8:1)。人々にイエスはバプテストのヨハネを称賛し、「女から生まれた者の中でバプテストのヨハネより偉大な者は起こされていません」と証しされました(マタイ11:11)。次いで、人々にご自分の周りにいる、悪い世代・誇り高くて気まぐれな人々について、「幼子たちが市の立つ広場に座って、自分の遊び仲間に叫ぶのに似ている」と、いう興味深い話をされました(マタイ11:16)。その時のイエスの教えがマタイの福音書に次のように記されています。
「「わたし(イエス)はこの世代をだれになぞらえましょうか。それは、幼子たちが市の立つ広場に座って、自分の遊び仲間に叫ぶのに似ています。こう言うのです。「あなたたちのためにフルートを吹いたのに、あなたたちは踊らなかった。わたしたちが泣き叫んだのに、あなたたちは身を打ちたたいて悲しまなかった」。これと同じように、(弟子の)ヨハネが来て食べたり飲んだりしないと、「彼には悪霊がいる」と人々が言い、人の子(イエス)が来て食べたり飲んだりすると、「見よ、食い意地の張った、ぶどう酒にふける男、収税人や罪人たちの友」と言います。しかしやはり、知恵(イエス)はその働きによって義にかなっていることが示されるのです」」(マタイ11:16~19)。
イエスは上の聖句に記されている通り、「この世代」つまり、ご自分の周りにいる悪い世代・誇り高くて気まぐれな人々について、「幼子たちが市の立つ広場に座って、自分の遊び仲間に叫ぶのに似ている」と説明されました。その幼子たちはこう言うのです。「あなたたちのためにフルートを吹いたのに踊らなかった。わたしたちが泣き叫んだのに、あなたたちは身を打ちたたいて悲しまなかった」。エスは何のことを教えておられるのでしょうか。イエスは次のように説明されました。「(弟子の)ヨハネが来て食べたり飲んだりしないと、「彼には悪霊がいる」と人々が言い、人の子(イエス)が来て食べたり飲んだりすると、「見よ、食い意地の張った、ぶどう酒にふける男、「収税人や罪人の友」と言います」。イエスの弟子ヨハネはぶどう酒を飲まない簡素な生活をしていることを誹謗し、イエスが人々に深い気遣いを示し食べたり飲んだりすると、他の人たちのように「少しも苦行をしない」と非難しているのです。イエスは悪い世代・誇り高くて気まぐれな人々を幼子フルートや嘆きでは満足しないのと同じように、そのような人々を満足させることは出来ず、彼らを喜ばせるものは何もないことを説明されました。幼子の聞き分けのない遊び仲間と同じなのです。
それでも、イエスは、「知恵(イエス)はその働きによって義にかなっていることが示されるのです」と教えられました。イエスはご自身の証拠となる働き・神の王国の良いたよりの宣明とあらゆる疾患とあらゆる病を治す働きによって、イエスや弟子のヨハネにもたらされている誹謗・中傷が偽りであることが明らかにされていることを説明されました。現在も真のクリスチャンたちは、世界中239の国や地域で神の王国の良いたよりを宣明していますので、その働きによって誰が義にかなった真のクリスチャンかを見分けることができるのです(マタイ24:14;28:19,20)。
赤カブを 抱え出荷の 農婦かな 今日の一句
12月下旬の庭に咲いている「タンポポ」
ミカンの収穫は12月初めに終わり、
この時期は「伊予かん」の収穫時期です。
「伊予かん」は香りがよく、甘くジューシーな柑橘です。
「伊予かん」は皮をむくと柑橘の香りが一面に広がります。
皮は自家製のママレードにすると美味しいです。
「伊予かん」は取り立てを好まれる方と、
取ってから1ヶ月ほど保管したものを好まれる方がおられます。
今日は愛媛の「伊予かん」と初冬のピンクのカタバミの花を紹介致します。
妻の栽培する「伊予かん」
12月下旬の庭に咲いている「カタバミ」
聖書のマタイの福音書に、バプテストのヨハネが獄(ひとや)に入れられ1年が過ぎたころ、バプテストのヨハネは二人の弟子たちをイエスのもとに遣わし、「あなた(イエス)が来るべき方(メシア)ですか、それとも、わたしたちはほかの方を待つべきでしょうか」とイエスに質問しました(マタイ11:2,3)。このイエスへの質問の言葉だけを読むと、バプテストのヨハネの信仰は弱まったのだろうか、と思われるかも知れません。しかし、そうではありませんでした。イエスは深い愛を示し、バプテストのヨハネの弟子たちに多くのいやしの業を見せて、ご自身が約束のメシアであることを証しされました(マタイ11:4~6)。イエスの態度は極めて謙遜であり、バプテストのヨハネの質問に証拠を示し回答をしました。その後イエスは、バプテストのヨハネについて、「女から生まれた者の中でバプテストのヨハネより偉大な者は起こされていません」と述べて、大層褒めて、神エホバの預言通りに遣わされた「使者」であることを証しされました(マタイ11:11)。そのことがマタイの福音書に次のように記されています。
「これらの者(バプテストのヨハネの弟子たち)が去って行くと、イエスは(バプテストの)ヨハネについて群衆にこう言い始められました。あなた方は何を眺めに荒野に出て行ったのですか。風に揺れる葦ですか。では、何を見に行ったのですか。柔らかな衣を装った人ですか。柔らかい衣を着た人なら王たちの家にいるのです。では、いったいなぜ出て行ったのですか。預言者(神エホバの言葉を伝える人)を見るためですか。そうです、しかも、あなた方に言いますが、預言者をはるかに上回る者です。これは、その人について、「見よ、わたし(神エホバ)自らあなたの顔の前にわたしの使者を遣わす。その者(バクテストのヨハネ)はあなた(イエス)の前にあなたの道を備えるであろう!」と書かれている人です。あなた方に真実に言いますが、女から生まれた者の中でバプテストのヨハネより偉大な者は起こされていません。しかし天の王国(神の王国)において小さいほうの者(神エホバに油注がれた14万4千人のクリスチャン)も彼(バプテストのヨハネ)よりは偉大です。ただ、バプテストのヨハネの日から今に至るまで、天(神)の王国は人々の推し進める目標となっており、推し進めている者たちはそれをとらえつつあります。すべて、つまり預言者たちと律法とは、(バプテストの)ヨハネに至るまで預言したからです。そして、あなた方が受け入れることを望むなら、彼(バプテストのヨハネ)こそ、「来ることに定められているエリア」なのです。耳のある人は聴きなさい」(マタイ11:7~15)。
上記のマタイの福音書に記されている通り、バプテストのヨハネの弟子たちが去ると、イエスは群衆に向かって、バプテストのヨハネがマラキ3章1節で予告されていた神エホバの「使者」であることや、マラキ4草5節と6節で予告されていたエリヤであることを証しされました。こうしてイエス・キリストは、バプテストのヨハネは以前のどんな預言者よりも優れている、と称賛し、「あなた方に真実に言いますが、女から生まれた者の中で(夫婦の交わりによって生まれた人間の中で)、バプテストのヨハネより偉大な者は起こされていません」と証しされました。イエスのこの称賛の言葉から分かる通り、バプテストのヨハネは牢屋にいれられ信仰が弱くなっていたのではありませんでした。
しかし、天の神の王国政府をイエスと共に構成する「小さいほうの者」、つまり、油注がれた14万4千人のクリスチャンの方が、バプテストのヨハネより偉大と教えられました(啓示14:1~5)。なぜ、バプテストのヨハネは天の神の王国政府の共同支配者・構成員にはなれないのでしょうか。バプテストのヨハネが死んだのは、イエスの油注がれた弟子たちがイエスと共に神の王国政府の共同支配者・構成員になるという契約、つまり協定をイエス・キリストが確実なものとされる前でした。そういう意味で、イエスは、「天の王国(神の王国政府)において小さいほうの者も彼(バプテストのヨハネ)より偉大です」と述べて、バプテストのヨハネは、神の王国政府の共同支配者・構成員にはならない、と教えられたのです。その代りに、バプテストのヨハネは大群衆のクリスチャンたちと同じく、神の王国の地上の臣民となり祝福を受けます(啓示7:9)。
ムラサキの 大根もあり 道の駅 今日の一句
ご近所の庭の「八重の山茶花」
愛媛県宇和島市の27日はとても暖かで、気持ちの良い1日でした。
庭には引き続きスミレの花が咲き、花だけを見ていると春の到来を思わせます。
今年は例年に比べ暖冬で推移しています。
皆様方の地方は如何でしょうか。
今日は12月下旬のスミレの花とピンクのバラを紹介致します。
12月下旬に咲いている庭の「スミレ」
12月下旬に咲いている庭の「バラ」